熊本の地震、どうか早く大地よ静まってという思いでいます。
大きい余震が続くと不安も高まるし、
ライフラインが止まるのも本当に辛かったな、と
東日本大震災を思い出してます。
緊急地震速報で一斉に携帯が鳴るのとか、
当時古いガラケーの私のは鳴らなかったけど、
職場でとかほんと怖かった。
土曜は久々に防災グッズ見直しました。
そして5年前は実感できなかったけど、
小さい子供を抱えての災害はさらに大変だろうなと…。
子供の安全確保やら、離乳食の用意やら、揺れながらオムツ替えやら。
避難所などでじっと静かになんてしててくれないだろうし。
プライバシーのない中での授乳も…。
震災当時のmixi日記読み返したら、
避難所に行くまでではないけれど、
ライフラインで水道が止まって不自由な震災生活をしている方に
もしかして参考になるかな?という部分があったので、
転載します。
当時、私は福島市のマンションの11階に住んでいて、
ガスは使え、電気も翌朝には復旧したものの、
水道は1週間と1日止まっていました。
~以下、転載~
水道が出ないだけでも
トイレ流せない、お風呂入れない、料理できない、茶碗洗えない、顔洗えない、歯を磨けない…
トイレは職場では入れたのでなるべく職場。
家の近くの小学校の仮設トイレ借りたり、
うちのタンクは埋め込み式のため 、
水をもらっても流せないこと判明…。
(目の前の川から夫やマンションの方たちが、
水を汲んできました)
水分ひかえなるべくトイレ行かないようにしてたら、
一度職場で腹痛で脂汗かいてしまいました。
食事は電気でレンジなど使えたので
冷凍してたものや結構缶詰などもあったり
ついついいつもキープの多いお菓子で食いつないでました。
若干痩せたかな?
お風呂代わりに汗拭きシートで体拭き、
顔はメイク落としシート、歯は歯磨きシート(震災直後の青空スーパー?で夫がゲット)。
でもやっぱりスッキリしません。
台所も次第に衛生状態が悪くなってきます。
そんな中、実家から、近所の井戸水いただいたり、
周りより低いからか細くちょっとずつなら水出るから、
お風呂わかしたよ、と連絡。
月曜に仕事から帰ってからもらい湯に行きました。
地震以来4日ぶりのお風呂いい気分(温泉)、シャンプー、洗顔でスッキリ♪
こんなに気持ちよく爽快な気分久々☆
夕食も料理した煮物や青物がこんなに嬉しいなんて…涙。
貴重なガソリンでの移動。
すっかり行列のなくなった学習センター給水所で、
お水いただき我が家でも歯磨いたり顔洗いできるようになり、
少し生活が向上しました。
【補足】
お皿洗えないから、ラップが活躍しました。
子どもさんがいる家庭では少しでも明るく過ごせるよう
紙皿にかわいい絵を描いてラップして使ったそうです。
ちょうど資源物回収直後で空のペットボトルも全くなかったので、
ちょうどあった生協宅配さんの発砲スチロールの箱にゴミ袋2重にして
給水をもらいに行きました。
水道が止まっている日数が長くなってくると
井戸水を解放してくださる方が多くて、
ツイッターやラジオなどでそういった情報が多く聞かれるようになりました。
水道局の方々は不眠不休で水道管の復旧に励んでいました。
地区によってどこまでは水道復旧なんて情報も入ったり…。
おどしのような電話も多かったそうですが、
大元から順次チェックしていくしかなかったとか。
当時の挨拶は一時「水出た?」でした。
大きい余震が続くと不安も高まるし、
ライフラインが止まるのも本当に辛かったな、と
東日本大震災を思い出してます。
緊急地震速報で一斉に携帯が鳴るのとか、
当時古いガラケーの私のは鳴らなかったけど、
職場でとかほんと怖かった。
土曜は久々に防災グッズ見直しました。
そして5年前は実感できなかったけど、
小さい子供を抱えての災害はさらに大変だろうなと…。
子供の安全確保やら、離乳食の用意やら、揺れながらオムツ替えやら。
避難所などでじっと静かになんてしててくれないだろうし。
プライバシーのない中での授乳も…。
震災当時のmixi日記読み返したら、
避難所に行くまでではないけれど、
ライフラインで水道が止まって不自由な震災生活をしている方に
もしかして参考になるかな?という部分があったので、
転載します。
当時、私は福島市のマンションの11階に住んでいて、
ガスは使え、電気も翌朝には復旧したものの、
水道は1週間と1日止まっていました。
~以下、転載~
水道が出ないだけでも
トイレ流せない、お風呂入れない、料理できない、茶碗洗えない、顔洗えない、歯を磨けない…
トイレは職場では入れたのでなるべく職場。
家の近くの小学校の仮設トイレ借りたり、
うちのタンクは埋め込み式のため 、
水をもらっても流せないこと判明…。
(目の前の川から夫やマンションの方たちが、
水を汲んできました)
水分ひかえなるべくトイレ行かないようにしてたら、
一度職場で腹痛で脂汗かいてしまいました。
食事は電気でレンジなど使えたので
冷凍してたものや結構缶詰などもあったり
ついついいつもキープの多いお菓子で食いつないでました。
若干痩せたかな?
お風呂代わりに汗拭きシートで体拭き、
顔はメイク落としシート、歯は歯磨きシート(震災直後の青空スーパー?で夫がゲット)。
でもやっぱりスッキリしません。
台所も次第に衛生状態が悪くなってきます。
そんな中、実家から、近所の井戸水いただいたり、
周りより低いからか細くちょっとずつなら水出るから、
お風呂わかしたよ、と連絡。
月曜に仕事から帰ってからもらい湯に行きました。
地震以来4日ぶりのお風呂いい気分(温泉)、シャンプー、洗顔でスッキリ♪
こんなに気持ちよく爽快な気分久々☆
夕食も料理した煮物や青物がこんなに嬉しいなんて…涙。
貴重なガソリンでの移動。
すっかり行列のなくなった学習センター給水所で、
お水いただき我が家でも歯磨いたり顔洗いできるようになり、
少し生活が向上しました。
【補足】
お皿洗えないから、ラップが活躍しました。
子どもさんがいる家庭では少しでも明るく過ごせるよう
紙皿にかわいい絵を描いてラップして使ったそうです。
ちょうど資源物回収直後で空のペットボトルも全くなかったので、
ちょうどあった生協宅配さんの発砲スチロールの箱にゴミ袋2重にして
給水をもらいに行きました。
水道が止まっている日数が長くなってくると
井戸水を解放してくださる方が多くて、
ツイッターやラジオなどでそういった情報が多く聞かれるようになりました。
水道局の方々は不眠不休で水道管の復旧に励んでいました。
地区によってどこまでは水道復旧なんて情報も入ったり…。
おどしのような電話も多かったそうですが、
大元から順次チェックしていくしかなかったとか。
当時の挨拶は一時「水出た?」でした。