飛鳥宮と言われることがあるが、藤原京などのように格子状の道路で区画された都市ではない。宮や寺が、南北に細長い平地に点在していたものと想像される。平地の幅は数百m、長さは2kmほどだろうか、結構狭い。
その飛鳥平地の西側にある小高い丘陵が甘樫丘(あまかしのおか)である。伝承によるとここに蘇我蝦夷、蘇我入鹿がそれぞれ豪邸を持っていたと言われている。乙巳の変で入鹿が討たれた後、蝦夷は自らの館に火を放ち、自殺したという。ではどこにあったのだろうか、行ってみることにした。
丘全体が公園となっているので、まず北部の頂上を目指す。かなり急だ。
甘樫展望台と言われている。そこはとても眺望に恵まれていた。北は大和三山が一望に見渡せる。
東には飛鳥寺が真正面に見えた。
ここが館跡かと思ったが、如何せん狭すぎる。尾根沿いに歩いてみたが、建物を建てられそうな平地はない。やはり西麓のどこかだろう。
候補地は2つの芝生公園。板蓋宮に近く、数分で参内することができる。
飛鳥寺にも参詣した。飛鳥寺は日本で最初に建てられた寺院で、蘇我馬子が創建したと言われている。塔を中央に配置した当初の伽藍は珍しい。
有名な飛鳥大仏は体高3m弱、細長い顔に杏型の目が特徴的だ。
この仏、光背がない。元はあったらしいが火災でなくなったらしい。また台座がない。よく見ると大きな石の上に座っている。これが作られた当初からこの場所から動いていないことの根拠の一つとなっている。
寺の西側80mのところに蘇我入鹿の首塚と言われる石碑があった。
馬子に始まって入鹿に終わる、うまくできた話だが、真偽の程は疑わしい。