連休3日目、少し早起きして高野山に向かった。高野山は、山の中に突然台地が開け、全体が金剛峯寺境内というイメージを持っていた。しかし実際は、山道が突然広くなり、普通の街並みが現れた、という印象だ。因みに高野山という山はここにはない。この盆地が高野山というらしい。駐車場は満杯だったが偶然入ることができた。
正門から入り左の林を見ると、今まで見たことのない樹相に興味を惹かれる。杉のような樹皮をした巨木なのだが、葉が松のようで、幽玄な感じを漂わせる。近寄ってみるとやはり高野槙だった。
さて金剛峯寺の社内にも入ったが、10畳から15畳の部屋が並んだ様は、寝殿造を想起させ、襖絵、欄干など細心の心配りがされている。
境内を出て左に行くと、寺院が並んでいた。それぞれ◯◯院とあり、合間に土産屋などの民家が挟まる。
更に進むと、奥の院へと続く小径に至る。小径は高野槙の林の間を縫い、両側はびっしりと石碑が占める。
よく見ると島津家や武田信玄など有名な武将の墓石もあり、一般企業の碑も見える。献花台には花ではなく、高野槙の小枝が生けられている。
灯籠の銘をみると、松下幸之助の名もあった。年代を見ると、苔蒸して読めないものを除き、昭和十年から令和まで、連綿と続いている。
この石碑群は過去の遺跡ではない。数百年前から現代まで手を加え続けられている、生きた遺跡である。実に日本人らしい。
帰り道は北の道、国道371号線を下ったが国道とは名ばかり、車一台がやっとで、川側にガードレールのないところも多い。