国家安全保障 マス・メディアにおける論議 1990年代
オピニオン・リーダーたちの安全保障論 1990年代
防衛大学校卒業後、航空自衛隊、外務省を経て杏林大学大学院非常勤講師、野村総合研究所主任研究員となった森本敏氏。
森本敏氏は防衛大臣にもなった。
1993年10月5日の読売新聞「論点」で、
「国際政治を動かす要因は結局のところ宝である。国際社会の秩序を確保する最後の手段が国防力であるという現実は冷戦後も変わらない。」、
と厳しい国際社会の秩序のあり方を述べながらも
「米国の同盟国や友好国は米国をもっと支援し、協力する具体的な方法について話し合い、それを全体としてゆるやかな協力的安全保障のための合意へと発展させることが望ましい。」
と、
結論は理想主義に走っている。
1994年8月16日の読売新聞「論点」では、
「不透明情勢と防衛計画」
と題し、
「ロシアの脅威は今や消滅したという考え方に立っているが、そのような考え方が妥当性があるかどうか疑わしい。集団自衛権の行使に踏み込んでいないのは残念である。アジアの周辺国は、むしろ軍事力を増強しつつある。先行き不透明な時期に、国家の防衛力のあり方を根本的に方向転換することは慎むべきである。」
と、
脅威が存在していながらの、軍縮に向けて防衛計画の大綱を大幅な変更することに疑義を呈している。
1996年4月3日の読売新聞「論点」では、
「日米同盟 問われる真価」
と題し、
「アジア・太平洋全体の平和と安定にとってきわめて重要」、
「日米安保体制はこの地域における米国の活動を支える最も重要な基礎である。」
と、
日米同盟を評価している。
国際社会の厳しさ、アジア情勢の緊迫化をふまえ、
安易な軍縮を批判し、
日米同盟を支えることによる地域の安定を主張している。