質問者:ハイル禅師 聖人君子の心にも隙があったり
するのでしょうか?
私:人間は肉欲(性欲)があり種々の煩悩もあるので
心に隙が無い人はいないと言っても良いでしょう
例えば救霊に来られる方で貫禄があって偉い雰囲気の人でも
邪霊や魔に憑かれている事は結構あるからです
確かに表面的には身なりも言動も立派であり
お金にも執着がなく仕事も真面目にこなし
自分の部屋は清潔でとても紳士という人が居る
ただし色狐の憑依があり色事だけには礼節が無く
相手の人を騙したり傷つけたり自分も浮気したりする
表面的な人格がほとんど立派な人でさえ色事に欠点があると
心の隙間に動物霊や魔が憑依する訳で心の隙がある部分に
憑依されます
要するに「煩悩に魔が来る」のである
昔から「徳一尺高ければ魔千丈多し」という様に徳の高い地位
や権力を持った人ほど特大級の魔に憑依されやすく
自戒すべきであります
結論として聖人君子ほど魔の誘惑が多く来ますが
例えばイエスが四十日間荒野で修業していると
サタンが「イエスよ世界を汝にやろうだから俺の配下に
ならないか?」と言ってきた
なぜならイエスの心に強い権力欲が潜んでいるのを
魔が喝破して弱点を突いてきたからであります
ただイエスも魔の誘惑により自身の心の欠点に気付いて
身分の低い人たちから布教し始めたのであります
そうですねぇ…心の隙…
私は、聖人君子になりたいとは思ってはいないですが、常々自分の心のあり方には、注視した方が良いかなぁとは思っています。
勿論、やらなければいけない事というものはあるんでしょうけれども、
人(主に)への、人の心への配慮や愛情や思いやりを忘れていないか、そこからずれていないか、などと、この頃は、省みるようになって来ました。
そこからずれると、何か良くないようですね。
あたたかい心で、人や物事を見ていく…。
そんな人になれたら良いなぁと思っておりますよ。余裕がない時には、そうもいかない時もありますよ。日々、省みの日々ですよ。
先生も腹の立たれる事も御座いますかもしれませんが、出来うる限り、お互いいつも心穏やかであたたかい心でいられると良いですね。それではまた…。】 佐藤恭子。
心の隙…。確かにそういう所を突かれるという事があるかもしれませんね。
魔物という存在も、主に、神様が、人をお試しになられたり、錬磨される為に存在しているのではないかと近頃は思うようになってきました。
一度魔物に憑かれると、大変ですよね。
祓っても祓っても、自分の心の持ち方次第で、気が付かない内に、何度でもやって来、隙を突かれたり、入り込まれたり…。
それを防ぐ為には、やはり、神仏にお守り頂くだけではなく、心を愛で満たし、自分の想念や価値観や考え方に歪みや偏りが出来るだけ無いように、心の根底に愛の心を持ち、(大愛を含む)神仏に対しては勿論、人に対しても感謝の心を持つことも大切になってくるのではないでしょうか?
試されているのですよ。
人を救うという事は、そんなに簡単な事ではないと思います。
どんな時も、愛の心を持ち続けられるか注ぎ続けられるか、いざとなった時に強い愛を向け、注ぎ続けられるか…。先生はどう思われますか?
私も、良く気を付けたいと思います。
それではまた…。】 佐藤恭子。