おお、ここに来るのは久しぶりだ。
私の悪い性格で、つい色々あちこちいろんな分野に手を広げてしまう癖があって、
まあ、人生そこそこ長いんだからいろいろやったらいいやんと思ってたりもする。
写真を撮ることも見ることも好きだ。
シャッターを切ることは自由な心の活動だ
上手いも下手も自分の中の撮りたいと思う写真への道のりの大事な道しるべ
ただ、写真を撮っても自分がちっとも成長していないような気がする瞬間が多々ある
シャッターを切った回数だけ写真がうまくなる、なんてよく雑誌に書いてあるけど
それはごまかしのような気がする。
確かに取り繕うのがうまくはなる、自分に対しても、他人に対しても。
自分が成長するのにカメラなんていらない
そう思う瞬間もいっぱいある
成長を邪魔してることもあるな、と思うこともある。
大好きな人にカメラを向けたらその人は自分を好きになるだろうか
否、カメラを持たない自分がその人を見つめたほうがずっと想いが伝わるしその人のことが分かる
キノコや植物もそう、カメラを持つということはむしろ成長の足枷で、
それを乗り越えて成長できる人が自然写真家なのだと最近思う
珍しい植物や綺麗なキノコに心を奪われて、それを理由にカメラを向けてばかりいれば
本質の見えない人たちに囲まれて自己満足の域を出ないダメな自分になるのは目に見えている
人の本質を見ようとするとき、その人自身をよく見ることと同時に
その人を取り囲んでる人との関係性を見るとその人のことがよくわかる。
本当に欲しいモノなんて簡単には手に入らない、情報も、賞賛も。
簡単に差し出してくる人とつながっている人は大概ニセモノを掴まされてるか中身が空っぽかどっちかだ。
カッコイイ服を来て、さもありなんと語気を強めて自信満々にちょっと偉そうにあることないこと言ってみよう
それに目を輝かせた人は、手っ取り早く無知の不安から脱出したいだけの人なので一緒に成長は望めない
中身のない人を見分けるのにたまにやってみるといいと思う
滋味あふれる素材の本質の良さと、
手っ取り早く美味しく感じる合成添加物のうまみを目をつぶって区別するがごとく
写真や人間の本質を見抜けるようになりたい
…たまに、頭が痛くなるようなベロが紫に染まるキャンディーをしゃぶりたくなる
それも人間の本質だから、しゃーないわな(^_^;)。
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