*お久しぶりです。もう5月。日本ではゴールデンウィークですね。こちらイギリスでも何週間も雨が降り続き、自転車で通勤しているとびしょぬれになって、なんだかそれだけで一仕事したような感じで余力もなくお便りもできずにいました。
わたしの家の庭では、白い花の桜によく似た木やとても背が高い(ポプラのよう)ピンクの八重桜があって、それを眺めたり、椿の花を剪定を兼ねて切ってはテーブルに飾ったりしていました。
引っ越してきてからコンポストを積み上げてきて一年半、やっとできた自家製腐葉土を、固い粘土質の地面にまいて花を植える準備をしているところ。ガーデニングは気長に気長に。
第110話 「坂村真民 筆の詩 墨の花」-タンポポ魂
イギリスでは4月は、エイプリルシャワーといい、雨がよく降るのですが、3回も虹をみることができました。自転車通勤のいつもの道や、ランチタイムのピクニックで何箇所も定点観察している場所や、木や植物があるのですが、春は、ほんとにあっと驚くばかりの変化で、どんどん新しい芽が出て、まさしく、いのちの「復活」です。
お休みの今日、わたしにしてはめずらしく、早朝に自然に目が覚めたので、窓を開けて鳥たちのさえずりを聞きながら朝日がのぼるのを眺め、未明に起床し夜明けとともに地球に祈りを捧げる日々をすごしていた詩人、坂村真民(さかむらしんみん)さんのことをおもっていました。ああ、真民さんはこんなすがすがしい体験を毎日していたのだなあ、それが詩を書く力の源泉だったのだなあ、と。
サンマーク出版で編集者をしている友人から届けられた詩墨集「筆の詩 墨の花」は、わたしにとって日本の精神性が突然舞い戻ってきたかのような体験でした。もう5年も訪れていない日本…。大震災のあった日本。原発事故のあった日本。
坂村真民(さかむらしんみん)さんの「気」が筆の勢いや、リズムが感じられる詩墨集との出会いに感動して、書いたものが下記の文です。
「筆の詩 墨の花」がイースターサンデーの前日に届いた。流していたFMラジオをとめて、ゆっくりとパッケージを開く。イギリスにもう15年暮らすわたしには、日本語の新しい本を手にする機会は年に一、二度あるかないかくらい、ひとりごとも英語になってしまっているこの頃である。
What a beautiful book! と思わず言葉がこぼれる。美しい和紙の扉を指でなでて味わい、ページを一枚一枚めくっていく。
「念ずれば花ひらく」- 坂村真民(さかむらしんみん)さんの野太い墨の文字が眼に入ってくる。以前あいだみつをさんのまるっこい、ちょっとユーモアのある字が好きで日めくりを飾っていたわたしは、こんな書もあるんだと、目を見張った。
タンポポ魂
踏みにじられても
食いちぎられても
死にもしない
枯れもしない
その根強さ
そしてつねに
太陽に向かって咲く
その明るさ
わたしはそれを
わたしの魂とする
坂村真民さんは高校教師を勤めながら自分の詩誌を無償で毎月人々に配布していたという。貧しい人々、虐げられた人々、苦しんでいる人々を、詩を通して励まし続けてきたそうだ。
まっすぐに物事を見つめるまなざし、修行をしている僧のような、自分への厳しさ。
自然、私自身の生き様を振り返らせるような、迫力のある詩が次々と現われてくる。
ニューロリハビリテーションの病院でアートセラピストとして脳障害を負った患者さんと向き合う日々は、美しいもの、おかしいことや、喜びや、新しいものに触れ、笑顔をひきだし、なんとか希望を語り生きて行こうと患者さんに働きかけていく毎日だ。
患者さんたちのおかれている状態は過酷だ。話すことも、体を動かすことも、つばを飲むことも出来ずに、魂が、動かない体の中に閉じ込められている。彼らを毎日見つめながら、こらえてきているものが、解き放たれる。
わたしは、仕事を続けるためにも、自分の感情にふたをしているときもある。坂村真民さんの言葉と書はすーっと胸にしみこみ、閉じられていたふたが外れ、涙が流れ出してとまらない。
患者さん一人ひとりの人生に向き合っていると、事故や発病の前の人生もすでに困難だった人たちが多いのに驚くのだが、人生は 誰にとっても、困難なものなのかもしれないな、と思う。
もっと真剣に生きよう。もっと丁寧に生きられる。そんな言葉がわたしのうちから湧いてきた。イースターはやっぱりトランスフォーメーションが起こる、不思議な季節だ。
(間美栄子 2012年 5月1日 http://blog.goo.ne.jp/nefnefnef)
坂村真民 「筆の詩 墨の花」詳しくはこちらをどうぞ
http://www.sunmark.co.jp/local-cgi/hpage/search1_isbn.cgi?isbn_cd=ISBN978-4-7631-3206-2
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