ねぎぼうの神社めぐり

全国の神社をめぐり、御朱印と御朱印帳を収集しております。
私なりの感想を勝手に述べております。

五箇山と白川郷の合掌造り集落へ 神社ひと休み

2011-10-02 12:59:52 | 旅行

富山、石川両県の一の宮巡りを終え、岐阜県に向かう。
東海北陸自動車道を南下。
五箇山ICで下り、五箇山合掌集落を訪れる。
国の重要文化財・いわゆる「岩瀬家」という岩瀬さん宅を見学。
集落というよりは、ほとんど一軒家に近い。



拝観料を払い座敷へ。
囲炉裏端にご主人が座っておられ、お茶を淹れていただいて、こちらの歴史などを聞かせていただいた。

建物時代は江戸時代中期ごろの建築で約300年くらいらしい。
当時、お上つまり江戸徳川幕府に収める煙硝を南接する飛騨の白川郷が担っていたことから、
加賀前田藩の役人藤井長右エ門が加賀藩の威光を見せつけるために建造されたものらしい。

そんなわけで、五箇山の集落で作られた火薬は、当時の加賀前田藩に納めていた。

燻しの臭いが鼻をつく。
煙硝という言葉が耳に入ってきた。
この地方の合掌造りと聞くと、すぐに養蚕というイメージが浮かぶが、
実はほとんどの財源が煙硝(パンフレットには塩硝とある)、つまり火薬作りにまつわるものだった。


しかし上階に上がると、そこはまさしく養蚕業の名残だらけ。

煙を上階に回すために、床はすのこ状態。
一応の進路のためにむしろが敷かれているが、歩くと軋み、ちょっと怖い。

岩瀬さん宅の玄関には、ちょっとした土産物売店が設えてあって、
そこで感じのよいお姉さんから五箇山和紙で作られた、
富山県民謡「こきりこ節」の人形を購入した。

 

五箇山の岩瀬さん宅は、いまではほとんど集落と呼ぶには寂しい一軒家に近い立地であるが、
その五箇山から国道でもほんの数十分という世界文化遺産白川郷は、
まったく観光地化されている、とても賑やかでいろんな意味で熱いところだ。
集落の真ん中に直線の道路が走り、そのところどころに空きスペースを利用した駐車場らしきものが点在する。

統一料金で500円ほど。
大型駐車場が平日の昼間にも関わらず満車で、どうにか停められないかと集落の奥へパッソを進める。
1台分の駐車スペースがあり、おじさんが500円を受け取り、「荻町合掌造り集落」という、
紙は薄いが本格的な案内図を渡してくれた。駐車現在地を丸で印もつけてくれる。
その絵図を見ると、北からやってきたことになるから、南北に奥行きを見せる集落の鳥瞰図を、
北を下にして見ることになる。
それにしても谷あいのミニ盆地的な場所で、かんかん照りの今日という日はかなり暑い。
高い木立の群生もほとんどなければ、日影が出来るほどの高層建築もないから、
照りっ放しの状態で歩くのもしんどくなってくる。
パッソを停めた場所から、さほど離れていないところに、本当を言うと適当に進んだ結果だが、
いわゆる「神田家」という神田さん宅にお邪魔する。


神田家正面
白川郷は全体として観光地である。
見学できる家々は、もうさながら博物館。家の人だか、雇われている人だかは定かでないが、
説明役が点在し、簡単な質問にもよどみなく快く答えてくれる。
集落の合掌の家々は、すべて南北にその短いほうの辺を向け、窓が開けらている。
これは風を入れるためだという。そして、その建て位置は決して一直線上に重なっていない。
他の家のことを慮っての知恵だそうだ。

現在、養蚕の名残は実質上ほとんどない。なにしろ桑の木すらないのだから。
莫大な資産という言葉を聞く。
その出所はやはり煙硝、つまり火薬の製造だ。
この白川郷は徳川幕府に納めていたようだ。
農耕具などが展示されている。

上に行くほど狭くなる。

三角形屋根の頂点。

釘は使われていない。
ちなみに、神田家は国の重要文化財にしてされている和田家の分家さんだそうで、
当時、本家より大きなものは建てられなかったという話を聞いた。
江戸後期の建築である。

駐車した場所の近くの土産物店で購入した合掌造りのミニチュア。