YEAR3210

風に転がる迷走日記

長靴を履いたタコ

2012-10-06 15:30:41 | 青函連絡船 きりたんぽ鍋
記憶の中で長靴を履いていたのは小学校の頃までで中学以降、履いた記憶はない。小学生の頃は好んで雨の日に履いた訳ではなく雨の日は強制的に履かされていた。中学生になり履かなくなった
理由はただひとつ、格好悪いから、誰も履かないただそれだけのことだった。それでも小学生の頃、まだ未舗装の道が多く水溜まりにズブズブ入っていくのは楽しかった。18才で東京に出たが長靴などは一億万年彼方のモノになり全く無縁のモノと化した。二十歳前のあんちゃんが山手線に長靴を履いて乗り込んできたら他の乗客はややヒルむ。長靴を履いてセリカリフトバックを運転したらクラッチ操作が上手く出来ない。検問で足元を懐中電灯で照らされ問い詰められる。雨の日、デートでイノカシラ公園に長靴を履いて行くわけにはいかない。そんなこんなで長靴とは永きに渡り疎遠になった。
人は歳を重ねると変わるもので最近は長靴が愛おしくて仕方ない。長靴にも種類がいろいろあるが釣りに使うかっこいいやつには興味はなく心が引かれるのはやはり黒い長靴だ。黒い長靴を探し回るとそれでもピンきりで微妙に黒の違いがあり値段もさまざまである。長靴は少しくすんだ黒がいい。ピカピカに光っている黒はいかにもナイロン的で安っぽい。台風のさなか東京へ買い物に行ったが迷うことなく長靴を履いていった。ズボンのスソを長靴の外に出すとその長靴は立派な革靴にしか見えない。大発見だ。オレは革靴のフリをした長靴でバスに乗り込んだ。こうなると残りの人生、革靴が無くともカンコウソウサイ、全て長靴で済まされると気付いた。ただひとつモンダイは結婚式の二次会がそこいらの居酒屋の座敷、小上がりだった場合である。
長靴は家の中の備品としての地位は一挙に昇格した。人生地道に腐らず奢らず頑張ってみるものである。かくして清掃用具部門で長靴さんは平社員から一挙に係長クラスまで成り上がった。ここで思うのは、バケツはなぜいつもバカにされるのだろうと言う激しい疑念である。風の強い日に庭先で転げ回っていても殆ど気にならないし、割れてしまったら捨てることをなんら躊躇わない。
どこかに出かける時にバケツをカバン代わりにするバカはまずいない。バケツをぶら下げて家から出たら近所からはあの人は川に水を汲みに行くのだな、と思われるくらいだ。バケツを持って電車に乗ったら掃除のオジサン、または最悪、テロリスト関係の人とみなされただちに鉄警隊が来るだろう。しかしココロの中のもう一人の自分がバケツの中に携帯、老眼鏡、歯ブラシを入れて温泉旅行に行けと囁くものだから気持ちが揺れる。バケツは健気にも体の色は常に水色で爽やかさをウリにしている。しかしどうあがいてもそこまでだ。それ以上の地位向上は望めない。地位向上を目指すには発展途上国に転勤するしかない。水が貴重で大事にする地域に行ったらかなりその地位は向上するだろう。2011.3.11以降、50日間も断水していた時のように。

待つ人タツタアゲの落とし穴

2012-09-22 20:37:54 | グルメ
歯医者に行ったら予約の時間から20分待たされた。その後、床屋に行ったら30分待たされた。その後、スタンドに行きあまりに汚い車を洗ってもらった。待つこと20分。その後ラーメン屋に行き出てくるまで12分待つ。その夜、居酒屋に行き友達が来るのを待つこと30分。結局その日は合計112分、待つことに費やしたことになる。無駄な時間を過ごしたことになる。時給800円だとすると1600円分になる計算だ。
だが待たなければならない。待たなければハナシが進まない。いい女を待つ時は状況にもよるが2時間ぐらいは待てる。よくない人を待つ時は14分が限度だ。電車に乗る。これは到着駅に着くまで待つ時間が生まれる。在来線のその待つ時間は苦痛だが新幹線の長距離移動は走る自活的居酒屋、変動式生景色付きで目的が遊びであればその待つ時間は極楽である。
最近、なるべく関わりたくないものに渋滞という拷問的なものがある。渋滞は苦痛以外何者でもない。数年前の夏、中央道のパーキングから本線に出るまで2時間かかったことがあった。昔、ゴールデンウイークに銚子から鴨川まで7時間かかったこともあった。だから年末年始、ゴールデンウイーク、お盆などはなるべく主要ルートでの遠出はしないことにして久しい。
最近の旅は電車が殆どになっている。若い頃とは全く逆の思想になった。自由気まま、音楽、荷物のことを考えたら絶対的に車がいい。車を躊躇するのは渋滞と旅途中、酒が飲めないところにある。渋滞とは車間距離が微妙にあくことを緊張感とともに何百回も待つことの繰り返しである。絶望的な渋滞はもうこりごりだ。パソコンの砂時計も無性に腹立たしいものだ。最近はそれでも早くなったが一昔前、砂時計で2時間待つなんてこともあった。パソコンはデジタルのカタマリのはずなのに何故に超アナログのデジタルのフリをした砂時計なのだろうか。とりあえずビール、2、3本じゃなくてキッパリ2本、カラアゲ175グラム、熱燗を58℃で179ミリリットル、そんなデジタル的居酒屋があったら絶対行かない。でもあったら面白いから行くのだろうな。。イクラのショーユ漬け、245ツブ、厚揚げを72℃で120グラムなどといわなければならないが。そう考えるとやはり適当、おおざっぱがいい。幸か不幸か周りにいる遊び仲間は
ほとんどテキトウ、おおざっぱ人間が多い。それがいい。遊び仲間以外で腹立たしいのは几帳面さを自分のウリにする輩。
世間には几帳面イコールしっかりしてキチンとした人、という構図がある。それは正しいが、それに乗じて見せかけの正義を振りかざす人間がいつも腹立たしいのでありますね。
細かい待つ時間ももどかしい。ヤカンが沸騰するまで待つ時間、洗濯機の終了まであと2分の時間、電子レンジのあと35秒、シャワーが水からお湯になる数秒の時間、これらがもどかしい。トオモロコシを茹でている時間、その待つ時間は苦痛にならない。焚き火で焼き芋を焼いている時間、スパゲティを茹でている時間などもあまり苦痛にならない。建設的な作業だからなんでしょうかね。
野球好きの親類の爺さんはファールのことをハールと言う。フォアボールはホアボール、打つをブヅと言う。デッドボールをゼットボールと言う。走るをカゲルと言う。ヘルメットをテヅボーシと言う。ネクストバッターボックスと言えない、若しくは知らない。スパイクの紐をシボと言う。アンダーシャツをジバンと言う。バッティングはバッテング、広島はシロシマと言う。ついでに茹でたまごをウデたまごと言う。
半沢先生なんかは倒れるをシックルゲールと言う。
イガイノバブッターガラハグカーゲダッケチッチャケーアナコバフンチッテシックルゲーチッテアシバクジーシッテイデーコドヨ、こうなるとほとんど暗号またはよその国の言語だが日々、このような会話を日常的に話している。
そんなことを思いながらカセットテープを巻き戻しいる。巻き戻るのを待っている。ヒュルヒュルひたすら待っている。
人は生まれた瞬間から死ぬのを待つ。死ぬまでの
猶予期間は無駄にしたくないが毎日毎日タコだウルメイワシだビールだなんだかんだとと騒いで無駄にしている。

モッカ

2012-09-10 20:25:05 | 日記
千葉県銚子市の南端にある犬岩はアメリカ、ハワイの領土であるとアメリカ側が通達してきてから政府の動向が慌ただしい。
日本国家としては四方から領土問題で攻められ今度はアメリカだから悩ましい限りである。既にアメリカ側は実効支配を行っておりアメリカ海軍が僅かな平地にテントを張り統治本部を作り小さな入江にゴムボートの係留場を作り、領海国境をパトロールしている。
我が国としては由々しきモンダイであるが地元の反応は意外にも反対よりもむしろ歓迎の様相を呈している。特に戦争を知らない世代は呼べば声が届くところに外国が出来たのだから嬉しくてしょうがないらしい。戦争を知っている世代は進駐軍が来たとホフクゼンシンでのたる。モッカのところ、国境沿いにいざこざはなく平和が保たれているが、突如ここで遥か昔、中日にモッカという選手がいたことを思いだした。アルトマンという選手、バッキー、ロという選手もいた。マーティン、ロジャー、ブーマ、スコットなんてのもいた。昔、各球団には必ず一人、二人(今もそうだけど)のアメリカの選手がいて、皆、大活躍していた記憶があるがなんとなく活躍させてあげていたフシがあると思えなくもない。各球団に配備されていたアメリカ人選手は日本の情報をホワイトハウスに伝える役目の人、つまりスパイだった。
千葉県銚子市の東海岸の沖合に富士山のような三角の岩があるが、その岩をチリが我が国の岩であると言い出しているそうだ。
偏西風に乗って西からイワシ雲が流れてくる。その雲は我が国の雲だかんな、と中国が言い出しそうな気配がある。中国は将来的に未曽有の水飢饉になるらしい。日本もそうなるという。もしかしたら近い将来、水を求めた戦争、水戦争が起きるかも知れない。領土がどーのこーのと言ってられないのだ。映画、ケビンコスナー主役のウォーターワールドをまた見たくなった。でもウォーターワールドは面白くない映画だ。原作、発想に対して映像化が負けている。その類のSFとして特撮しすぎている。もっと精神的な部分をえぐり出した方が面白い。これこそ原作を活字で読む方が絶対的に面白い。活字のショーである。親戚が旅行に行くと言うので室内犬を預かっているがこの犬はモッカのところ人間のカカトを噛むことを最大の楽しみにしていて痛くてしょうがない。預かっている間、スリッパーと名付けた。いつになったらベッドで薄手の毛布を深々と被りウィスキーをチビチビやりながら宝物である裸電球式読書灯のもと活字の世界にもぐり込める正しい秋がくるのだろうか。

生病

2012-09-08 23:39:18 | 旅行
生病にかかって長い。性病ではない。勘違いしないで下さい。生病とはなんでもかんでも生で喰いたくなる個人的病気のことです。ワニ、ヘビ、タツノオトシゴ、ゾーリムシ、ホッキョクグマ、ステラノザウルス、ジョウモンスギ、サンゴ、ナンデモカンデモわさび醤油で生ビールとともにナマで喰いたい。一種のヤマイでありましょうか。今夜のメニューは海蛇の薄作りとカブトガニ、デザートはホトトギスの足などであれば満足である。まともなところで最近では山形県遊佐で食べた取れたての生鮭、富山で食べたシロエビ、静岡で食べたトロロ、そのあたりの味を体が覚えていて思い出すと悶えてしまう。寝ているアナコンダの下にダイナマイトを仕掛けて爆発させ飛んできた肉の破片をきれいにカットして食べたい。精神的にモンダイがあると言われても仕方がない。
対して余程のことがない限り食べたくないのはコンビニ系のレンジでチンする油系のケミカル食品だ。レンジで暖めると、怪しいアブラが滲み出ている。朝昼晩、三日間それを食べ続けたらかなり深刻な事態になることは間違いない。それらのラベルを虫眼鏡で読んでみると素人には全くわからない物質の名前が書いてある。特によくわからないのは発色剤、pH調整材など。見た目や保存性を上げるため国の定めた規制値の範囲内での添加であろうがアレルギー的個人差の観点では人によりあまり体にはよくないと思えてならない。
だからなおさら食文化の安全性として好みの問題もあろうが毒さえ持たなければ自然の生が安全と考えるのだが、放射能の問題でそれも揺らいでしまっている。江戸時代の食文化についての本を読んでいるが滅法面白い。米と味噌、塩、野菜が中心で地域で魚、たまごである。よく考えるとそれは現在の温泉宿の朝飯なのであった。殿様が諍いに勝利した打ち上げでお城の最上階で酒宴をする。日本酒を飲みながら焼き魚、野菜の煮物、場合によって刺身、汁的なもの、米から作った団子的なもの。自生するイチジク。これまたよく考えると現代の安い温泉宿の夕食とあまり相違がない。国々の食文化は基本的には永遠なのでしょうかね。
ビールを発明した人、醤油を作った人、豆腐というものを初めて作った人、みんな偉い。タコを生で食ってしまおうと初めて考えた人を尊敬しなくてはならない。食文化の中で重要なのは発酵である。発酵技術の歴史、経緯はインターネットで調べられば概ねのことはわかる。しかしそれは平べったい奥行きのない知識だけを得ることでつまらないと思う。所謂、知識人だ。昔、とある音楽アルバム、つまりLPの中に知識というあまり有り得ないタイトルの唄があった。
♪理屈ばかりぶら下げてクビが飛んでも血も出まい、などと知識人に対して痛快に吠えている唄だった。
知識とは体験的に得るのが一番真実味があるし説得力がある。本能的部分もある。暫く家に子猫が居候していたのだが、その猫を本棚の下から三段目に置くといとも簡単に床に飛び降りる。四段目に置くと暫く下を眺めて飛び降りる。五段目に置くと少し下を見ただけで飛び降りる気配は無く「わたしゃここでいっしょうすごすんだけんね」という涼しい顔をしてそこで寝てしまう。これは知識と言うより本能的な部分だが海や川で簡単に溺れてしまう都会育ちの子供より自己判断レベルは上なのだな。ここは波も少ないし、遠浅の海だから流されても大丈夫、という知識が、大人が吹き込んだ知識が悲劇を生んでしまうこともある。
添加物の中にアミノ酸等、と書いてある。その等が怪しいが量として基準値の範囲内であれば等という表記で良いとの保健所的心が読み取れる。保健所ではなく厚生省ですね。
なんだかんだ知識は大事で知らないより知ってたほいがいい。体験的に無理な部分は活字で擬似体験することがいい。だから明日は神田まで発酵文化についての本を探しに行かなくてはならない。

旨し馬刺

2012-08-29 19:58:04 | 旅行
長嶋茂雄は引退した翌年に亡くなっている。国は国民的英雄を失わせてはならないと考え、全ての関係者と共にその事実を隠した。国は長嶋茂雄と体格、顔立ちの似ている人間を探し出し80億円の巨資を投じて整形、教育を施し長嶋茂雄を作り上げた。ジャイアンツの監督として復帰した時は作られた長嶋茂雄だったのだ。と、言うのは空想ですがそれを基に国を上げての一大プロジェクト、背後に蠢く怪しい政治家を交えた人間模様。そんなシリアスなドラマ原稿を描き始めた。
いつまでもビールだ、カニだ、ウニだ、ホヤだ、マーティンだ、西穂高だ、金時山だなどと言ってられないのである。
今年ほどプロ野球が面白くない年はない。阪神にその原因のひとつはあろうが気が付けはやはりダントツでジャイアンツが首位にいて原監督の笑顔がむしろいやらしくさえ感じてしまう。もっとゲーム差が少なく拮抗していれば晩酌の友として面白いんだけど。手段を選ばずいい選手ばかり集めてなにがあろうと優勝、そのやり方は好きになれない。
この夏休み、日帰りで茨城県の北部の城里という小さな街に行った。なぜ城里町なのか、特に理由はない。街を流れる那珂川でビールを飲んでヒルネをしたかったのである。
日本の夏の気配充分な景色の中、やや傾いた食堂を発見、迷わず入り野菜炒め、ラーメン、ビールを飲む。大衆食堂の野菜炒めはなぜ旨いのだべか。思うに、油まみれの厨房や使い込んでまず洗うことのない鉄製のフライパンなどから長年蓄積されたダシが出ているのだなと思う。
河原に寝転んで読む本を二冊、家から持ち出した。一冊は自分の書斎から新書版の人はなぜパチンコをするのか、というパチンコをする人の心理を巧みに解析した本。もう一冊は息子の部屋の本棚にあった志賀直哉の本。志賀直哉の本が漫画本に混じってあること自体、有り得ないが、学校からのメーレーで読まざるを得なくなりとりあえず買った、若しくはブンガク的な彼女ができた時に備え誰が好き?と問われた時に志賀直哉と答えるために買った、そのどちらかであることは間違いない確信がもてた。
帯のついたままの開いた形跡のない志賀直哉の作品を河原の木陰で読む。数十年ぶりに読む作品だがそのみずみずしい感性に心が揺れる。やはり天才なんだな。河原で拾ったベニヤ板の上でヒルネ。気分よし。帰り道、大洗で生たこを買う。一刻も早く家にたどり着きタコサシでビールを飲まなければならない。夕方の名残がある頃に到着するため飛ばす。朝早くから動き出すと1日がかなり濃密に使える。
1日に2度酔える。若い頃、休みの日の目覚めは午後だった。今ではそうしたくても絶対に無理。そんな体になった。昼過ぎになっても目覚めなかったら永遠に目覚めることはない気がする。二十代の頃、十代の頃もっとたくさんの旅をすればよかったと激しく後悔、金も知識も知恵もなかったけど。30代の頃、20代にもっと旅をすればよかったと激しく後悔。相当出掛けたがいささか行く場所、目的を誤っていた。
翌日は朝早く起きてコンビニでワンカップを一本買う。早朝にワンカップ一本だけ買うとコンビニ店員がややヒルムのがわかる。
フクロはいらないと断る。アル中ではなくそれを持って友達の墓参り。しばし一緒に飲む。その足で高速バスに乗り東京へ。どうしても欲しいマーティンのギターを買うため東京駅からお茶の水まて歩いて行く。午前中の繁華街の裏通りは夜の喧騒の名残がまだ残り薄汚い。行ったことないけどどことなくニューヨーク的だ。はっきり違うことは巨大な黒人に見つめられていないこと。とりあえず命を狙われていないことだ。まだ日本は平和だ。お茶の水の楽器店を数件回る。6月に来たとき、この次に来たら買おうと誓ったマーティンのバックパッカーというギターがどこにも売ってない。不思議に思い店員に聞いてみるとシーズンだからと答えた。楽器にも季節物がある。ひと味変わった人間は野山にギターを持っていくのですね。悩んでいても仕方ないので神田の居酒屋的な店に入りすかさずビールとアジの刺身。東京はこんなことが昼から普通にできる。時計をみると正午前だった。ふらついた足で八重洲ブックセンターへ。
ミステリーとSFと植物図鑑を買う。
植物は自力で移動出来ないから植物性ホルモンを持っていて花を咲かせたり葉っぱを落としたり鳥や虫に手伝ってもらい子孫を残す。ある意味、意識だ。そんなことが書かれている面白い本だ。
帰りのバスに乗る前の少しの時間、ニュートーキョーで本をナナメ読みしながら生ビール。旨いが高い。高いが旨い。
さすがトーキョー。バスに乗り地元に帰り友達の居酒屋に立ち寄ってイワシの刺身とビール。トーキョーでそんなことしたら大変なことになる。外はまだ明るい。タクシーで自宅に。翌日、朝から家の草取り、水撒き、ペンキ塗り、ラジカセにはジョンデンバー。ノーテンキなカントリーは更に暑さを増大させるが突如、麦藁帽子が欲しくなりホームセンターに行くが買ったのはナガグツ。
夏が過ぎて行く。早く秋になればいい。三陸でウニだアワビだ、ホヤだ。

ホヤメダル

2012-08-16 17:52:01 | 旅行
オリンピックの喧騒ばまだ終わらない。もう飽きた。メダリストはテレビに引っ張りだこで忙しい。

バレーボール
得点ごとにみんなで輪になって相談。あれだけでスタミナを消耗してしまうのではないだろうか。途中、タイムアウトでコートサイドに集まる。この時、テレビは音声を拾っているが監督の言葉を聞くとほぼ頑張れとしか言っていない。核心は言いにくいのか。手にしているパソコンはいつ、どうやって使うのだろう。

卓球
中国だけが異常に強すぎる。巧みな小手先。国民性にあっているのだろうか。
新たな若手を受け入れない様相もありますね。


やり投げ
スポーツには趣味になるものとならないものがある。
やり投げはその趣味にならないものの代表格のひとつ。明日の日曜日、河川敷のグランドで草サッカー、終わったら鷺ノ宮食堂で打ち上げだかんな、などとあり得るが、明日、やり投げ、百回投げっこしたら打ち上げだかんな、などとあまり聞かない。
この際、フィールドにぞうとかサイとかライオンとかはなしておいてライオン命中、金メダル、トラ、銀メダル、ナマケモノは銅メダルなどとしたらどうだろう。村上、投げた、これはいい、残念、ライオンのかかと、金メダルに届かず。なんてことになると別の問題が発生してやたらとアフリカ勢が強くなってしまうのだろう。

フェンシング
よくわからない。日本に競技人口はどれぐらいいるのだろう。
近所のスポーツ富田にフェンシングのケンは陳列或いは在庫はされていないことは確かなこと
よくわからないし興味がわかない。
道具は通販生活で買えるのだろうか。今なら面に虫除けジェルついてます。またはアマゾンでなら買えます、て、ことはブラジルまで行かないと買えないってことか。

レスリング
よくわからない。わかるのはジャーマンスープレックスやヨンノジガタメはやってはならないってことだな。

サッカー
オリンピックや親善試合が続いているが、監督の戦術もさることながら要は選手のやる気ってところでしょう。

ビール
金メダル

ホヤメダル

2012-08-11 10:44:38 | 旅行





この夏、今のところ頑張っているのでホヤメダルが授与された。捌いている時、その磯の香りで半ば意識喪失。旨すぎて何も語れない。

学びの窓

2012-07-05 16:05:15 | 旅行
とある国家資格を得るために国家試験を受けた。3日間缶詰め状態の講義のあと一週間後に試験だった。合格率は二割にも満たない難関。毎日、ビールさえ飲まず勉強をしなければならなかったが、到底無理な話。そこで2日間かけて特殊な勉強方をあみ出した。勉強方についてのウイスキーを飲みながらの勉強。

法令だの法規だの暗記しなければならない。新たに開発した勉強方法は、算数の応用、酒混じり編。
専門用語を使用しても話がつまらなくなるので分かり易く書くと、

青森=X/青森
X=2青森 となる。
栃木県×(山沿い+観光)=足利/Y
Y=渡良瀬川となる。

ビールφ×カツオ=X/A
φ=感動
従って定数Xは時間軸になり
A=ユアガリの法則が導かれる。
ユアガリの法則の公式は、

44℃/200L×t(時間)であるから因数のカツオの乗数はショーガとおのずと算出される。

そんな勉強法でなんとかなりそうな気配がある。

特別寄稿

2012-06-22 11:13:43 | 旅行
我が社の社員で一番の働き者は肝臓君だ。肝臓君は何の文句も言わず黙々と労働に努めている。指示してある作業は外部侵入毒物ならびにアルコールの分解作業。寡黙に働いている。几帳面を代表する社員は心臓君。これまで無遅刻、無欠勤である。
どこでなにをしているのかよくわからないのは膵臓君と脾臓さん。存在感を消している。サラリーマンの
鏡だ。食後の休憩時間に一人黙々と働かなければならないのは内臓を統括する胃袋係長。仕事量に無駄があるが仕方がない。好不調の波が激しいのは仕方ない。
夜勤があまりないのは眼球君。時折、日中さぼる傾向にあり時として会社の信頼を損なうこともある。足部指課の小指課員はかつてから不要論もあるがなんとなく必要なのだろう。産業廃棄物取締員の括約筋と肛門さんは業務を確実にこなしているが時として大腸部長の不手際により非常体制に陥ることもあるから大変だ。重労働担当の足部はえらい。時として過酷な労働を強いられる。筋肉課や関節課との連携が大変だ。関節課員は時々、精神部の誤った判断による過剰なプリン体の供給から運転を停止せざるを得ない場合がある。
それら全ての責任は統括事務所本部、脳みそ事務局にある。我が社の脳みそ事務局はなぜか刺身とビールばかり購入手配する。これでは我が社の発展はもうないだろう。精神部には本流派閥と反主流派がいるが時として反主流派は右手事業所に良くないインサイダー取引を囁くことがある。抑制するのは脳みそ事務局に設置されている人格倫理委員会である。カッパライやサツジンは今のところここで抑制されている。歯員は年とともに仲間が少しずつ退職していく。新たにやってくるのは歯遣社員だ。視覚部は設備劣化が進みガラスレンズの導入を決断した。味覚事務局は独裁的でウニ、アワビ、ホヤ、タコ、イカ、カニ、エビ、ウマなどばかり購入手配をかける。脳みそ事務局も暗黙に承認してしまうのだ。
かくして我が社はいづれ倒産に向かうのだ。経営方針を見直す時期が来た。

畑放棄

2012-06-17 16:51:06 | 日記




久々に庭の畑に行った。
玄関から歩いて19歩、6秒の距離である。忙しくて行く暇がなかった。
訪ねてみたら大変なことになっている。
最初に植えた時の苗の高さは10センチ足らず。わずか一か月、目をそむけていたら
トマトの苗は1メートル50センチにもなりトーガラシは50センチを超え、夏前だというのに
早くもトーガラシがなれ始めている。
老いらくの恋農場は「野菜の森」になってしまった。もうめんどくさい。こうなったら
なるがままにするしかない。
秋にトーガラシを乾燥させて小分けして行商に出るのだ。しかし、
その前に来週あたりやってくる台風4号が気にかかる。全滅の予感がする。
なれたてのトウガラシ、今夜焼いてくっちまおう。
初物です。