どうやらオレは温泉好きらしい。なにをいまさらと言うやつもいる。
温泉に入ったら少なくとも一時間は出ない。一緒に温泉に行く同行人などが
体をさっさと洗ってさっさと出て行くやつを見るとアワレに思う。
せっかくの露天風呂なのに入らない。バカめと思う。なぜ風呂にゆっくり入らないのか
というとそれらほとんどの同行人は「あっついべよ、われ」という。
ありのままにこう書くと方言というのはある意味愚かで悲しい。
骨まであったまるとビールが骨の髄液まで伝わるからである。
その昔、歌謡曲で
「ホネまで愛して」という歌があった。このタイトルは深い。いや、深さを超えて
異常を感じる。ホネまで愛してとはどういうことなのか、鎖骨も愛するわけだし
肩甲骨も愛さなくてはならない。あばら骨なんか一本ずつ愛さなくてはならないのか。
小骨の多いイワシなんかは大変なことになる。
「私はあなたの第293あばらが特に好き」などと会話しなくてはならない。
人間だったら私はあなたのくるぶしが好きなの、などと言わなければならない。
「夜明けの停車場」という曲もあったな。だいたい停車場ってなんだよって話になる。
停車場はタクシー乗り場ではなくこの曲の場合、回送電車の止まっているような場所に
思える。極めつけは死んだ「ちゃん」(標準語:父親)がこよなく愛してレコードで
がんがん聞いていた曲で「土方一番ご意見無用」という曲だった。オレが幼稚園の頃、
家の巨大ステレオから放たれていた近所迷惑な曲だ。その巨大ステレオは、親戚のオーディオ
マニアのおじさんからもらったものらしいが、その当時、そのプレーヤーには
連続LP再生装置が組み込まれていた。上に何枚かのLPを重ねておくと演奏が終わるたびに
その重ねたLPがパタンと落っこちてきて連続して聞けることだった。そのステレオは
オレが中学生になるぐらいまであったが、自分で激しく不服に感じたのは数枚のLPが
連続して聞けるのだが、全部A面だけ連続して聞かなくてはならないことだった。
ビートルズやローリングストーンズに目覚めLPを買った。その当時LPは作り手側の意図として
A面1曲目からB面最後の曲までが起承転結としてコンサートのプログラムのようになって
いたのでそれは今にして思えばいかにも日本的合理的めんどくさがり的まやかし装置だったのだな。
その小細工が日本の優秀な電化製品や車にいかされていったのだな。
で、温泉であるが朝飯に小鯵の干物に遭遇する確率が30%ほどある。小鯵の干物の身はその見てくれより
果てしなく少なく箸で4回ぐらいはがすとすぐになくなる。だからどうしたこのやろうと
全日本温泉の朝飯をこよなく愛する会の幹部などにクレームをつけられそうな気もするが
東日本弱者魚保護協会のオレとしてはもう少し泳がせておいて育て刺身で食ったほうが
1億倍いいと思えるのだが。つまり、乱獲はよくないということです。
この季節、新聞の全面広告をにぎわすのはカニの通販である。ズワイガニ、そのほかの盛り合わせで
なんと7600円、などと広告で歌っている。カニをそんなに売りまくらないでほしいと思う。
カニは高級食材であるし毎日食べるのもそれはそれで問題があるだろうから少しくらい高くてもいいのではないかと思う。
要はどこに線を引き利益が出るかだろうが、そんなことよりもそのようにたたき売りされると
日本沿岸のカニが絶滅してしまうという個人的ハラハラ心配があるからだ。カニみそは
うまい。気絶、悶絶、号泣するぐらいのうまさだ。しかしカニみそはカニの脳みそではない。
内臓の一部と推定するが、いつもカニを食べるとき解体してカニの内部の構造を探求しつつ食べるのだが
どこに内臓があってどこに胃袋があってどこに横隔膜があって、それは全く分からない。ただ
はっきりしているのは少し飛び出たメカニック的な目とはさみ、そのはさみをコントロールする
腱があるということだけだ。カニにも皮膚炎はあるのだろうか。いや、カニの中には骨は見当たらないから
殻がホネなのだろうか。どっちにしても熱湯風呂で茹で上げられた湯上りのカニ
湯上りの人間には泣けるほど う ま い。
芦原温泉で食べる越前ガニは死ぬほどうまい。で、タイトルの瀬見温泉とどーゆー関係があるのかと
問う人もいるが、まあ、コマかいことはいいではないか。
温泉に入ったら少なくとも一時間は出ない。一緒に温泉に行く同行人などが
体をさっさと洗ってさっさと出て行くやつを見るとアワレに思う。
せっかくの露天風呂なのに入らない。バカめと思う。なぜ風呂にゆっくり入らないのか
というとそれらほとんどの同行人は「あっついべよ、われ」という。
ありのままにこう書くと方言というのはある意味愚かで悲しい。
骨まであったまるとビールが骨の髄液まで伝わるからである。
その昔、歌謡曲で
「ホネまで愛して」という歌があった。このタイトルは深い。いや、深さを超えて
異常を感じる。ホネまで愛してとはどういうことなのか、鎖骨も愛するわけだし
肩甲骨も愛さなくてはならない。あばら骨なんか一本ずつ愛さなくてはならないのか。
小骨の多いイワシなんかは大変なことになる。
「私はあなたの第293あばらが特に好き」などと会話しなくてはならない。
人間だったら私はあなたのくるぶしが好きなの、などと言わなければならない。
「夜明けの停車場」という曲もあったな。だいたい停車場ってなんだよって話になる。
停車場はタクシー乗り場ではなくこの曲の場合、回送電車の止まっているような場所に
思える。極めつけは死んだ「ちゃん」(標準語:父親)がこよなく愛してレコードで
がんがん聞いていた曲で「土方一番ご意見無用」という曲だった。オレが幼稚園の頃、
家の巨大ステレオから放たれていた近所迷惑な曲だ。その巨大ステレオは、親戚のオーディオ
マニアのおじさんからもらったものらしいが、その当時、そのプレーヤーには
連続LP再生装置が組み込まれていた。上に何枚かのLPを重ねておくと演奏が終わるたびに
その重ねたLPがパタンと落っこちてきて連続して聞けることだった。そのステレオは
オレが中学生になるぐらいまであったが、自分で激しく不服に感じたのは数枚のLPが
連続して聞けるのだが、全部A面だけ連続して聞かなくてはならないことだった。
ビートルズやローリングストーンズに目覚めLPを買った。その当時LPは作り手側の意図として
A面1曲目からB面最後の曲までが起承転結としてコンサートのプログラムのようになって
いたのでそれは今にして思えばいかにも日本的合理的めんどくさがり的まやかし装置だったのだな。
その小細工が日本の優秀な電化製品や車にいかされていったのだな。
で、温泉であるが朝飯に小鯵の干物に遭遇する確率が30%ほどある。小鯵の干物の身はその見てくれより
果てしなく少なく箸で4回ぐらいはがすとすぐになくなる。だからどうしたこのやろうと
全日本温泉の朝飯をこよなく愛する会の幹部などにクレームをつけられそうな気もするが
東日本弱者魚保護協会のオレとしてはもう少し泳がせておいて育て刺身で食ったほうが
1億倍いいと思えるのだが。つまり、乱獲はよくないということです。
この季節、新聞の全面広告をにぎわすのはカニの通販である。ズワイガニ、そのほかの盛り合わせで
なんと7600円、などと広告で歌っている。カニをそんなに売りまくらないでほしいと思う。
カニは高級食材であるし毎日食べるのもそれはそれで問題があるだろうから少しくらい高くてもいいのではないかと思う。
要はどこに線を引き利益が出るかだろうが、そんなことよりもそのようにたたき売りされると
日本沿岸のカニが絶滅してしまうという個人的ハラハラ心配があるからだ。カニみそは
うまい。気絶、悶絶、号泣するぐらいのうまさだ。しかしカニみそはカニの脳みそではない。
内臓の一部と推定するが、いつもカニを食べるとき解体してカニの内部の構造を探求しつつ食べるのだが
どこに内臓があってどこに胃袋があってどこに横隔膜があって、それは全く分からない。ただ
はっきりしているのは少し飛び出たメカニック的な目とはさみ、そのはさみをコントロールする
腱があるということだけだ。カニにも皮膚炎はあるのだろうか。いや、カニの中には骨は見当たらないから
殻がホネなのだろうか。どっちにしても熱湯風呂で茹で上げられた湯上りのカニ
湯上りの人間には泣けるほど う ま い。
芦原温泉で食べる越前ガニは死ぬほどうまい。で、タイトルの瀬見温泉とどーゆー関係があるのかと
問う人もいるが、まあ、コマかいことはいいではないか。