YEAR3210

風に転がる迷走日記

原発運転大賛成

2012-03-22 20:46:36 | ゲンシリョクハツデン
軽なのにこのサイズなのに室内はこの広さ。
軽なのに史上最高の広さ。室内空間。
驚きのスペース。缶ビールだって500ケース、
一部、まやかしがありますが、軽自動車のうたい文句にこんなのがたくさん並んでる。
限られたサイズの中で必要以上に余計なスペース。宣伝は
3.5㎥の中に4.2㎥のスペースがと言っているようだ。これはどー考えても物理的に
無理でしょう。広ければいいって問題ではない気がする。
軽自動車で広さを求めるのなら普通自動車でいいと思う。
孤独を好む人などにとっては狭さも魅力である。この車体サイズながら室内は
この狭小空間。孤独を好むあなたに最高の居場所を。そんな車があったなら
一部でかなり売れるのではあるまいか。省エネ、エコなどと騒ぐが時代は
何かたのしみを奪い去っている気がしてならない。
昭和52年、僕は埼玉県大宮市に本拠を置く暴走族の会員だった。それはそれは
道交法を遵守するときはする優秀な会員だった。その名を埼玉毘沙門天といった。
土曜日の夜8時に秋ヶ瀬公園に集まる。目指すのは晴海埠頭であった。
数百台のひねくれた車が終結する。それはそれでオレにはお祭りだった。
シャコタンはもちろん、高速ウインカー、ドアミラーは速攻検挙、今にしてみれば
信じられない時代だった。そのメンバーの中で親しくしていたタダシという男は
フェンダーミラーがだめでドアミラーが違法改造でケンキョなら、それならばということで
フェンダーミラーの足の部分を塩ビパイプでドア付近まで伸ばした。
警官とのやり取りでこれはフェンダーミラーだ、いや違う、これはドアミラーになる
といったやり取りがおかしくておかしくてオレは笑い転げていた。タダシは
当時マツダサバンナというロータリー高速車に乗っていた。
その車の燃費は800メートル/リットル。恐るべしでありますね。
たとえば銚子で満タンにする。満タンで佐原まで到達できない。小見川あたりが
限界。オレのセリカ1600GTVは3㌔/リッターだった。
しかし、しかしである。そのころ燃費という言葉は存在しなかった。
存在する言葉はハヤサ、モーテル(死語)のような室内の装飾、マフラーから発する
DOHCのエンジン音、カセットテープのオーディオ、そんなことばかりだった。
昭和50年代。そこには明日があった。若者も、年寄りも、犬もネコも、街も車も
牛乳石鹸も表参道も道玄坂も浅草ほうずき市も首都高も目黒エンペラーも成田の抗争も
錦糸町も全てががまぶしく輝いていた。
その時代を生きたことに感謝すべきだろう。そして今になりふと気が付いてこの国を見れば
すっかり荒んで荒廃している。経済問題、年齢構成比、自然災害の脅威、目をそらせながら
生きている。
確実に悪くなる一方の時代を生きていかねばならないことは決定的となった。
少し前までは20代の頃に戻りたいという気持ちがあった。20代の頃から再びい生きなおすのは
とてつもなくめんどくさい。そう思うようになった。
しかし今は違う。早く60代、定年という仕組みを過ぎ、国から月々、年金という小遣いをもらい生きたいという気持ちが強くなってきた。人間とは年齢とともに考え方は劇的に変化するものである。
それはもしかしたら本能的な死への準備ではなかろうか、そう思うのである。
そう今は思っていても明日になるとまた違うことを思っている。その繰り返しで年を重ねている。
昔、子供の頃、親の実家で飼っていた犬が重度の皮膚病に侵され、余命いくばくもなことが明確になった。当時オレの爺さんにあたる人は、このまま最後は土にかえるのだと言い。船で対岸の茨城県の松林の中にその犬を放しにいった。
あれだけ横たわり苦しんでいたその犬はその時、じっとオレの目を見つめていたのを思い出すのだが、その翌朝、干潮の朝、玄関の前でその犬は静かに笑って人間が起きてくるのを待っていたのだ。
犬は干潮を利用して限られた寿命を使い1㌔を超える海峡を泳いでわたってきたのだった。
その夜、その犬は玄関で堂々と死んだ。
死ぬことは怖くないこと、早くその心境に届きたい。そんな気分である。なんだか文章になっていない様な気がする。ま、いいかな。