YEAR3210

風に転がる迷走日記

ピカソとオリンピック

2013-09-08 20:57:42 | 日記
昭和〇〇年、天才画家ピカソの模写がとてもうまい人がいた。地方に住む自称、画家も
ピカソの模写に一生懸命になり細部まで精密に精密に真似をした。
当時人々はその模写力を絶賛した。
模写のうまいその人は各地で展覧会を開催した。訪れた来訪者はあまりのそっくりさに
感度し、称賛した。
そのうまい人は、色合い、筆さばきすべてをコピーして全く同じ絵を描き続けた。
時間と場所が準備できればすぐに自作のピカソの模写に絵の展覧会である。
行うたびに同じ顔ぶれの客が集まり絶賛した。
それから長い年月が過ぎ時は昭和を終え平成になった。
平成〇〇年、ピカソの模写のうまい人は相変わらず模写に夢中。
唯一の難点は彼はラテン語ができないことだった。
彼はピカソになりきったふりをしながら半分でたらめのラテン語で来客者を振舞った。
半世紀近くたってもその模写名人はむなしさを漂わせながら模写を続けている。
同じように年を取った彼の客もどことなくむなしさを漂わせ、模写に酔ったふりをする。
きっと死ぬまでそれ以上それ以下のことはないのであろう。
その模写名人は半世紀近い時間の中、模写を続ける中、この色を変えてしまおうとか
このラインを変えてしまおうだとか、全く白紙の状態から自分だけにしか描けない世界を
描いてみようと思わなかったのだろうか。オリンピックが開催される首都東京では
最近、コピーバンドという老いも若きも含めたバンドが激減していそうである。みんな自作に目覚めている。
コピーバンドは地方のいわゆる親父バンドの文化に成り下がっていて、つまり
あまりかっこの良いものではなくなってしまったようなのである。
70年代の洋楽の物まねバンド=百姓という構図が浮かび上がってきているそうだ。
どんだけ指が速く動いたからと言って、どんだけレコードと同じ音が出せたからと言って、
もはやかっこいいものでもなんでもなくなってしまった。そこまで時は流れた。
オリンピックが日本で開催されるそうだが賛成意見ばかりが報道されている。
ヤミの部分はさすが日本のメディア、一言も報道しない。
青森、下北半島の泥運びのおばさんはどうとらえているのだろうか、茨城県トーカイ村の
原発関連下請け配管工はどうとらえているのだろうか、新宿区に住む長崎県出身のわけあり大卒
ホームレスはどう考えるのだろうか。
東南海地震の発生は確定であり国の存続を揺るがすほどの大災害が起きることは時間の問題だと
騒いでいながら国が認めていながらオリンピックを招致するというのは大きな矛盾を感じる。
日本の地下は大きな活動期に入ったようでいつ何が起きるかわからない状況にあるそうだ。
数年以内に再び日本国内で巨大地震が起きる可能性は極めて高いと思わざるを得ない。
陸上競技中、竜巻が起こって走り幅跳び34メートルだとか100メート走2.5秒だとか信じられない世界記録が
出そうな気がしなくもない。それらは追い風参考というより、竜巻参考記録になるのだろうか。
2020オリンピック開催と巨大地震、天災との関係が始まった模様だ。