平和主日

8月第1日曜日は、日本基督教団の戦争責任を告白し、平和を祈る日です。

東梅田教会、小豆真人牧師の「国家間の平和だけでなく、心の平和、身近な平和」のお言葉は、「諸派」の限界を喝破するお言葉として受け止めました。私の心の中では、過激派と穏健派が党派闘争をしています。

以下、週報からの抜粋です。

「平和主日を迎えて」

平和の主である神、私たちの心を私たちの歴史へと正しく向けさせてください。

なぜなら、過去に目を閉ざす者は将来にも目を閉ざしてしまうことを、私たちは知っているからです。

主よ、あなたが[打ち砕かれ悔いる心を侮らない]方であることこそが、あなたと隣人の前で告白する私たちの支えです。

今夏、大阪教区常置委員会から[戦後70年の平和メッセージ][戦争法案廃案のために祈りましょう]が出されました。

これらの歴史の流れを踏まえ、先人たちから継承された告白を唱和いたします。

[第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白](別紙)

主よ、私たちを導き平和の実現のためあなたの戒めを守る者とさせてください。

あなたのしもべとして[平和の祈り:フランチェスコの祈り]を祈ります。

主よ、わたしを平和の道具にしてください

憎しみのあるところに愛を

争いのあるところに和解を

分裂には一致を 疑いには信仰を

誤りには真理を 絶望には希望を

悲しみには喜びを 闇には光をもたらす事ができますように

主よ、私たちがあれこれ求めることをやめ

かえって

慰められることより慰めることを

理解されようとするより理解することを

愛されようとするより愛することを望ませてください

恵みのうちに恵みをうけ

ゆるしのうちにゆるされ

死のうちに永遠に生きるのだから

アーメン

 

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