ロシア日記

~ペルミより愛を込めて~
日本語教師と雪のダローガと足跡

~サンクトペテルブルグ~
雪の上の足跡

イギリス産インドカレー

2014年01月01日 | 日記
 夜は、インドカレーのお店へ行きました。
その前にConvent Gardenへ行ったのですが、さすがにヨーロッパのお正月ということでお店は全部閉まり、町は綺麗な電飾で彩られているだけでした。ここは昼間は大道芸人などで賑わい、お洒落なお店もたくさん集まっているのですが、キラキラ光る冬の光に照らされた街を歩きながら、ヨハンのお兄さんはお父さんが決めた韓国の天然美人と結婚し、そのお嫁さんは義理のお父さんに向かって「結婚する時に家を買ってくれるって言ったのにいつ買ってくれるんですか」と堂々と口走るという話を聞き、噂では聞いていたけれども実際やっぱり韓国の文化はいろいろとたいへんだし、結婚するのはとっても大変だと思いました。義理の娘は本当の娘のようになるらしいのです。いつまでのお客様扱いの日本の文化とも違い、だからこそうまくいけばとても幸せなのですが、金銭面で揉めると悲惨らしいのです。私も一度韓国人の女の子が10人ぐらい集まった韓国料理の会に行ったことがあるのですが、若い韓国の女の子たちは、非常にパワフルで、言いたいことはズバズバ言い、気さくで楽しい分、まるでオバタリアンみたいでした。あのパワーには圧倒されました。同じアジアでも日本人の気質とはまったく違います。今でも楽しいカルチャーショックとして強く印象に残っています。

 インドカレーといえば、日本にいたときに会ったマシューというイギリス人のことを思い出します。ある日、彼が料理を作るといって張り切って買っていた食材がインドカレー用です。「イギリスではインドカレーやさんがとても美味しい」とも言っていたので、そのときに、イギリスは食文化が本当にないんだな、と思ったのを覚えています。

 それもあって一度イギリスでインドカレーを食べてみたいという気持ちも微かにあり、ヨハンとインド料理がずらーっと並ぶ一角にやってきました。1月1日は誰も来ないとみえ、どのお店も空いています。必至で呼び込もうとする客引きにも何にも呼び止められたのでアジアの香りを思い出しました。これもロシアでは起ころうはずもない活気あるものの嬉しかったことの一つです。
 インドカレーの味は美味しかったけど、普通でした。


新年

2014年01月01日 | 日記
 明けました新年、今日も一日ヨハンが付き合ってくれるということで、ちょっと遅めに待ち合わせした私たちはかの有名なウェストミニスター寺院へ行きました。ウィリアム王子とケイト妃が結婚式を行ったところで興味があったのですが、入場料が22ポンド(3000円)ということで目が真ん丸になりました。ロンドンの物価は高い。そして都会で暮らすということは、お金が必要だと改めて実感しました。20代の女の子のお給料がだいたい20万ちょっと。これでこの物価の高いロンドンで暮らすということですから、いくら素敵な店や物がたくさんあっても気安くは費やせません。ある程度のお金を持って暮らさないと都会生活は謳歌できないと改めて思いました。
 
 これだけの入場料を取るのでオーディオは無料ということで、手渡してくれた黒の祭服を着た若い男の子に「日本語」と告げると、「日本のトイレはすごいよね。全部オートマなんだもん」と話しかけてきました。こんな厳かな雰囲気の寺院の中でトイレの話をするので可笑しかったです。
 
 初めは入場料の高さに躊躇したウェストミニスター寺院でしたが、やはりそこは歴史と伝統の詰まった宝庫、イギリスの歴史を彩る要人達が葬られていて歴史をちゃんと勉強しようと思いました。文学好きの私にとって一番楽しかったのは、卒論で書いたジェーン・オースティンやカンタベリー物語のチョーサーやキプリング、詩人テニスン、俳優オーレンス・オリヴィエが祭られているのを見れたことです。何でも知っているヨハンもこちらの文化のことは詳しくなかったみたいで、それぞれの作家の寿命にばかり着目していました。『ジェーン・エア』の著者、長女のシャーロッテ・ブロンテ、『嵐が丘』の次女、エミリーブロンテ、『ワイルドフェル屋敷の人々』の三女アン・ブロンテ姉妹はそれぞれ、38歳、30歳、29歳という若さで亡くなっています。ヨハン曰く、これは血だそうです。その証拠にヨハンの家族はみなが90歳以上生きる長寿の家族らしいです。