時間

いろんな時間です。仕事の時間。休みの時間。散歩の時間。今は定年退職しています。
気ままな時間。良い出会いができる時間。

2月8日(日)のつぶやき

2015-02-09 02:21:51 | Weblog

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今日のコラム

2015-02-08 07:46:00 | Weblog

☆2月8日は 〒(郵便)マークの日

 1887年(明治20年)に逓信省(郵政省の前身)のマークが逓信の「テイ」に合わせて甲乙丙丁の「丁(てい)」に決定したが、万国共通の郵便料金不足の記号「T」と紛らわしいことがわかり、6日後の14日に「テイシンショウ」の「テ」を図案化した「〒」印に変更した。☆


☆ お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


2月8日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

魂を加えた価格

価格というものは、サービスとか配達とかいろいろな便宜だとか、そういうものを総合した価値判断によって決めるべきで、単によそがいくらだからウチはいくらにするというようなことでは、ほんとうの商売はできないと思います。

たとえば、よそで一万円のものを、場合によっては一万五百円で売ります。するとお客さんが「なぜよそより高いのか」と聞かれます。そのときに「同じ製品ですが、私の方はお添えものがあるのです」「何を添えてくれるのか」「私どもの魂を添えるのです」と申し上げることができるかどうか。そのように、お店の魂をプラスして価格を決定することが、お互いの商売には必要だと思うのです。



【コラム】筆洗

2015年2月7日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼谷川俊太郎さんに、「そのあと」という詩がある

▼<そのあとがある/大切なひとを失ったあと/もうあとはないと思ったあと/すべてが終わったと知ったあとにも/終わらないそのあとがある…>

▼八十三歳の谷川さんは、逝ってしまった人々に多くの言葉を捧(ささ)げてきた。そういう詩を集めた『悼む詩』(東洋出版)の編者・正津勉(べん)さんは、この詩人が死者を偲(しの)び悼むありようには、「ごくごくふつうに生き残った者の当たり前の務めであるかの、しぜんさ」があると評している

▼東京などで上映中の映画『おみおくりの作法』の主人公は、まさに「当たり前の務め」として死者を悼む人である。英国の役所に勤める彼の仕事は、孤独死した人々を弔うことだ。遺品を手掛かりに身寄りを捜し、その人にふさわしい葬礼の曲を選び、弔辞を書く。たとえ参列者が彼一人であっても…

▼だが彼の自然な誠実さが、合理化を進める上司に「非効率的」と切り捨てられることになって、物語は転調する。「死者をどう扱うか、それは私たちの社会が生者をどう扱うかの鏡」。ウベルト・パゾリーニ監督は、そんな思いでこの映画をつくったそうだ

▼谷川さんの「そのあと」は、こう続く。<…そのあとは一筋に/霧の中へ消えている/そのあとは限りなく/青くひろがっている/そのあとがある/世界に そして/ひとりひとりの心に>



☆ 今朝は曇り空です。予報は雨です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆


2月7日(土)のつぶやき

2015-02-08 02:20:46 | Weblog

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今日のコラム

2015-02-07 07:43:32 | Weblog

☆2月7日は北方領土の日
日本政府が1981(昭和56)年に制定。

1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められた。
日本政府は、北方領土返還運動を一層推進するために、1981(昭和56)年にこの日を制定しました。☆


☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


2月7日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

平穏無事な日の体験

体験というものは、失敗なり成功なり何か事があったときだけに得られる、というものでしょうか。決してそうではないと思います。平穏無事の一日が終わったとき、自分がきょう一日やったことは、果たして成功だったか失敗だったかを心して考えてみると、あれはちょっと失敗だったな、もっといい方法があったのではないか、というようなことが必ずあると思います。それについて思いをめぐらせば、これはもう立派な体験と言えるのではないでしょうか。
形の上での体験だけでなく、日々お互いがくりかえしている目に見えないささいなことも、みずからの体験として刻々に積み重ねていく姿勢が大切だと思うのです。



【コラム】筆洗

2015年2月6日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼「偽善者になりなさい」。そう説いたのは、東京大学でフランス文学を講じ、門下から大江健三郎さんら逸材を輩出した渡辺一夫さんだ

▼「偽善の勧め」という刺激的な題の文で渡辺さんは、善人でも、根はいいのに悪ぶる偽悪者でもなく、偽善者つまり<うわべをいかにも善人らしく見せかける人>になりなさいと説く(松田哲夫編『悪のしくみ』)

▼ただし、ただの偽善者ではいけない。条件があるという。誰にもあたりのよい「八方美人」程度では、偽善者としては「下の下」。千人万人を生涯だまし通すような偽善者になるべしと言うのだ

▼そう説く前提には、人間の根っこをじっと見つめる目がある。だれしも自分の底をのぞけば、そこには悪人が住みついている。悪人が暴れ出ないようにするには、せいぜい「善人らしく」ふるまい続けようとするしかないではないか、と

▼政府は、小中学校の道徳を「議論重視の教科」にする考えだという。「偽善の勧め」など道徳の議論にうってつけの題材だと思うが、政府の案には懸念もある。「教科」にすれば先生が評価することになるのだが、「人間とはどういう存在か、どう生きていけばいいのか」を問う行為に、果たして成績評価はふさわしいのか

▼悪い成績では困ると、先生におもねる。そんな「八方美人的偽善者」を育てる道徳教育になっては、元も子もなかろう。



☆ 今朝は晴れています。寒い朝です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆



2月6日(金)のつぶやき

2015-02-07 02:24:05 | Weblog

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今日のコラム

2015-02-06 06:54:37 | Weblog

☆2月6日は海苔の日

全国海苔貝類漁業協同組合連合会が1966(昭和41)年に制定し、翌年から実施。

702(大宝元)年1月1日(新暦2月6日)に大宝律令が施行され、その中で海苔が産地諸国の物産の一つとして年貢に指定された。

また、この頃に海苔の生産の最盛期を迎えることから、2月6日を記念日とした。☆


☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆


2月6日 松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

正しい国家意識を

昨今の国際情勢は、一方で“世界は一つ”と言いつつも、その一方で各国が過度の国家意識に立ち、自国の利害を優先してしまうため、対立や紛争が一向に絶えない。
それでは日本はどうかというと、反対に国家意識がきわめて薄いため、かえって問題が起こっているようである。

個人でも正しい自己意識、人生観を生み出し、自主性を持って生きていってこそ、そこにはじめて他の人びとに対しても、おごらず、へつらわず、仲よくつき合っていけるわけである。国でも同じである。国民が正しい国家意識を持ち、他の国ぐにと交流していくことが大切であろう。“過ぎたる”もいけないが、“及ばざる”もいけない。



【コラム】筆洗

2015年2月5日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼人間はここまで残酷になれるのか。生きた人間に火を放つ。過激派組織「イスラム国」を名乗る集団がヨルダン人飛行士を殺害したとする酷(むご)い映像を公開した

▼湯川さん、後藤さん、カサスベ中尉。事実ならば言葉もない。テロリストは結局、最初から人質の解放に応じるつもりはなかったか。脅迫し、世界を翻弄(ほんろう)した揚げ句の残虐映像。テロリストの黒い企みは曲がった力の誇示であり、「恐怖」で世界の注目を集めることにほかならない

▼人間はこれほどまでに残酷になれるのか。書き出しの問いに答えを試みる。残酷になれるのである。歴史上の戦争、闘争を持ち出すまでもなく、人間は悪魔に変わる「種」を隠し持っている。心のどこかに

▼<他人にテロを加える者は、常に戦(おのの)く>。古代ローマの箴言(しんげん)を借りる。人の隠れた残虐性を表出させる触媒は臆病さや憎悪の感情である。人の命を顧みることのできぬ臆病さに支配された人は容赦のない残虐の牙を剥(む)く

▼テロリストがどっぷり漬かった臆病、憎悪という同じその沼に決して足を踏み入れてはならない。沼に落下しないための綱は、他人の「命」の重さを想像することしかあるまい。生易しいことではないが、その綱を手放してはならない

▼邪悪さを意味する英語は「EVIL」。邪悪さに憑(つ)かれたときは逆から読むべきである。「LIVE」。誰の命も奪ってはならぬ。


☆今朝は晴れています。寒いです。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆



2月5日(木)のつぶやき

2015-02-06 02:26:16 | Weblog

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今日のコラム

2015-02-05 07:42:13 | Weblog

☆2月5日は笑顔の日(ニ(2)コ(5)ニコ)の語呂合せ。

笑顔は人を魅力的に見せる表情ですが、実は見た目だけでなく、内面にも良い効果をもたらします。笑顔になることで脳が刺激され、免疫力を高めるホルモンが分泌されるほか、笑うことで自律神経が整えられるとも言われています。つまり、笑顔でいることが多い人は、心も体も健康的になりやすいのです☆


☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆



2月5日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

喜ばれる仕事

仕事というものは、人びとに喜びを与え、世の向上、発展を約束するものだと考えれば、勇気凜々として進めることができると思います。

たとえば、麻雀の道具をつくっている会社の人が、麻雀をするのはよくないことだと思っていたら、その会社の経営はうまくいかないでしょう。昼のあいだ一生懸命働いている人にとって、晩にする一時間の麻雀は気分転換になり、喜びになるだろう、その喜びのためにわれわれは麻雀の道具をつくって売っているのだと思ってこそ、堂々とその仕事をやっていけるわけです。

そしてその上に、一人ひとりが喜びを持って仕事を進めていけば、会社は自然に成功するはずだと思います。



【コラム】筆洗

2015年2月4日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼二十世紀初頭の無声映画の時代から犬は俳優として活躍していた。喜劇俳優のチャプリンも相棒役の犬を血眼で探したことがある

▼オーディションをしたが、イメージに合った犬が見つからない。張り紙をスタジオに掲げた。「コメディーセンスに恵まれた犬を探しています」。その後、やっと思い描いた悲しい目をした雑種犬を見つけた。場所はロサンゼルス市の動物収容所だった

▼「収容所」で見つかるのは芝居の才能がある犬ばかりではあるまい。徳島県が県動物愛護管理センターに収容している保護犬を選んで訓練し、災害救助犬に育てるプロジェクトを発表した。全国でも初の試みである

▼嗅覚で土砂や倒壊した建物から人を発見できる救助犬は災害時に、大きな頼りとなる。南海トラフ巨大地震への備えを急ぐ同県だが、現在、わずかに四匹。注目したのは、年間で千三百匹規模で処分されてしまう不運な保護犬たちだった。犬を救い、その犬が人を救う。優しい知恵である

▼幸い、盲導犬と違って、救助犬は犬種をさほど問わないそうだ。「人なつこい犬であれば」(担当者)、訓練次第で救助犬になれる可能性が高い。必要なのは、犬の「やる気」という

▼まずは二匹を選ぶ。育成の成功を祈る。その犬の活躍は米映画「犬の生活」で見られる。収容所から名優犬。保護犬もチャプリンのマット君になれるはずだ。


☆ 今朝は曇り空です。昨夜は満月でしたがすぐに雲の中に隠れてしまいました。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆


2月4日(水)のつぶやき

2015-02-05 02:57:29 | Weblog

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今日のコラム

2015-02-04 06:57:42 | Weblog

☆2月4日は立春
二十四節気の一つで、春のはじめ。

 「今日は立春、暦の上ではもう春です……」と言われても、春は名のみの風の寒さや☆

☆お早うございます。今日もお立ち寄りありがとうございます。☆



2月4日松下幸之助一日一話(松下幸之助.COM)

企業は社会の公器

 一般に、企業の目的は利益の追求にあると言われる。たしかに利益は健全な事業経営を行なう上で欠かすことができない。しかし、それ自体が究極の目的かというと、そうではない。根本はその事業を通じて共同生活の向上をはかることであって、その根本の使命を遂行していく上で利益が大切になってくるのである。

 そういう意味で、事業経営は本質的には私の事ではなく、公事であり、企業は社会の公器なのである。だから、たとえ個人の企業であろうと、私の立場で考えるのでなく、常に共同生活にプラスになるかマイナスになるかという観点からものを考え、判断しなければならないと思うのである。


【コラム】筆洗

2015年2月3日 東京新聞TOKYOWeb
 
▼年末のスーパーでこんな光景を見た。年老いた父親と娘さんが年越しの買い物をしている。娘が久しぶりに帰ってきたのだろう。父親は陽気である

▼娘が提げた買い物かごに父親があれもこれもと商品を投げ込んでいる。娘が笑いながらたしなめる。「そんなに食べられないよ」「いいって」。それだけの場面なのだが、その場にいられて、ちょっと得をした気分になった

▼米NFLのスーパーボウルには三つの楽しみがある。試合。ハーフタイムショー。もう一つは全米中継の合間に流れるCMである。高い視聴率が見込めるので各社が自信のCMを競って投入する。どれも凝っている

▼今年は米マクドナルド社の広告が評判である。レジで客がお金を支払おうとする。店員が「愛で支払えますよ」と教える。怪訝(けげん)な顔の客に店員がこう続ける。「お母さんに電話して、愛してるよって言ってください」

▼「お代は愛で」。別の客には、「家族でハグを」「お子さんのいいところを教えて」と頼んでいる。客の喜び。それを見た店員や他の客の笑顔。愛のある光景は第三者にも価値があるものだ。その光景に飢えている時代でもあろう

▼驚いたことに十四日までの期間中、ランダムに選んだ客に対し、愛による支払いを実際に認めるそうだ。あの父娘も大量のハンバーガーが「買える」だろうが、残念ながら米国限定の計らいである。
 


☆ 今朝も寒い朝です。今日も皆様にとって良い一日で有りますように。☆