エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

1985(昭和60)年式アルファロメオアルファスッド1.5tiクアドリフォリオヴェルデ(5MT) S62.10〜63.4

2022-05-12 18:05:00 | 日記
ゴルフに乗り換えた翌年、ウチの父は転勤となり、国鉄のローカル線が廃止された田舎へ単身赴任していました。
母は父の転勤先と自宅との間を月に二度ほど行ったり来たり。仕事が休めるときは私が片道200キロを送っていきましたが、ゴルフディーゼルの燃費と走りには毎度、感心させられたものです。

峠の上りでも2速3速を上手く繋ぎ、トルクバンドから外さないように走らせると、前車に遅れを取るようなことはほとんどありません。
下りならば、まさに水を得た魚でした。

エアコンがなくたって、開閉可能な三角窓が威力を発揮。北海道の過疎地は渋滞がないので平気です。

気に入って乗ってはいても、また違うクルマにも乗ってやりたい。
私が次に狙ったのは、イタリアの老舗アルファロメオのアルファスッドでした。
このブログを最初からお読みいただくと、高校時代の記述が少ないのですが、実は『クルマの師』との出会いがありました。
その頃、私は公害対策で走らなくなったクルマよりも、オーディオや楽器に凝っていたのです。

ビートルズやロックバンドのコピーに明け暮れ、通っていた楽器店の社長が大のクルマ好きで、お互いにクルマ談義が楽しくてたまらない。
社長はカーグラフィックを購読、小林彰太郎編集長の信奉者でした。
ブラウンメタリックのレオーネハードトップに乗りながら、小林編集長が長期テストで乗っていた「アルファスッドかアルフェッタが欲しい」が口癖でね。

1,200ccでデビューしたアルファスッドは、後にスポーティーバージョンのtiやクーペのスプリントを追加して、排気量も1,300、1,500と成長を遂げ、ほぼ完成形となっていました。

無理な条件を書き並べて最終型のスッドtiに的を絞り、いくつかの雑誌に『買いたし』と投稿してみたら、譲っても良いという人から連絡があったのです。しかも、こちらの希望条件どおりで。

これは、何としても手に入れたい。ゴルフと交換して追金する形で良いというし、何かとうるさい父は単身赴任中。願ってもないチャンスです!
ああだこうだと悩まず、すぐに金融機関でローンを組んでしまいました。

輸入車の楽しさを教えてくれたゴルフディーゼルとの別れは、正直つらかったけれど、独身のうちに『左ハンドル』には乗っておきたかったこともあり、即断即決とはまさにこのこと。

初めての左ハンドルと言っても、学生時代にはバイト先の社長のフィアットX1/9、BMW320、323iといった左のマニュアル車を随分運転させてもらったので、全く違和感なく馴染むことができました。

フルネームが長いから単にスッドと呼びますが、スッドに乗ってまず驚いたのは音。吸気はウェーバーのダウンドラフトが水平対向の各バンク?に1基ずつ付いていて、たくましい吸気音を醸し出し、排気は細いパイプがお尻から2本曲がって出ている姿にふさわしく、私にとっては音楽を奏でてくれました。
振動が少なく、高回転でも音量は控えめながら雑音のない、澄んだ音色なのです。上の方で、ビーンという共鳴音がハモるともう最高!
それほど速くはないけれど、不満のない加速をしてくれるし、何よりキャブ車独特のレスポンスに頬が緩んでしまいます。

走りの方も、減りは早いが滅多なことでは鳴かないミシュランTRXのおかげでミズスマシみたいにタイトコーナーを回れます。
とにかく、適度な手応えはあるけど軽い操舵力で回頭性は抜群。10年後に乗ることになるシビック初代タイプRまでの間、あれほど優れたハンドリングのFF車には乗ったことがありません。

あまり上等とは言えないボディーや内装の仕上げ、塗装の質も、走りという美点の前では何もかも許せるほどでした。

さて、車粉による公害が社会問題化し、スタッドレスタイヤを初体験したのも、このアルファスッドでした。
ブリヂストンから発売されたばかりのラリー用を購入し、行政のモニター募集に手を挙げて補助金2万円をゲット。
恐る恐る走り始めたものの、凍結路以外では何ら不安を感じることなく、むしろスパイクタイヤよりも効いたのにはビックリしました。
周囲の人がマカロニとかダブルフランジとかフルピンとか騒いでいた時に、静かで快適な冬道走行を実践でき、鼻が高かったものです。

さて、ウェーバーキャブを2基備えたスッドのエンジン、燃費はどうだったか。
当時は街中と遠出半々くらいの比率だったと思いますが、リッター10キロを切ることはなかったです。最高は函館往復時の16キロ。
走りと経済性を見事に両立していたのが、このクルマのすごいところだと思います。

スッドの弱点は何か。強いて挙げるとしたら、電気系の古くさい設計と信頼性に欠ける純正部品でしょうか。
ハッチバック車では、リヤウインドウの熱線の電源は車体とリヤゲートとを繋ぐ電線で供給されるのが普通ですが、スッドは開口部のボディー側に端子(電極)があり、ゲート側のバネで伸縮する爪がそれに接触して電気が流れる仕組みです。
その金属部分が酸化し抵抗が大きくなると熱をもち、端子のプラスチック部分が溶けてしまいます。
リヤデフォッガー使用中に焦げるような変なニオイがしたら、ここを疑うとまず間違いなし。
エンジンルーム内の部品も熱に弱く、ラジエーターのリザーブタンクは劣化してヒビが入りやすいし、キャップも弱くて、私はBMWのものを流用していました。

ですが、スッドの音と走りの魅力はそんな弱点を補って余りあるもので、私としては長く付き合うつもりでした。当時、アルファロメオは正規輸入されておらず、出張で上京する際に国分寺までパーツを買いに行ったことが懐かしく思い出されます。
交換する消耗部品を持ち込む形で、車検はファミリアアンフィニを買ったディーラーが引き受けてくれました。

ある日突然、そんなスッドとの別れがやってくるだなんて、考えてもいませんでした。

1979(昭和54)年式フォルクスワーゲンゴルフD5ドア(4MT) S62.6〜9

2022-05-09 08:30:00 | 日記
(写真は色違いでネットからの借り物です。悪しからず)
ファミリアの下取り査定でマツダ地獄の厳しさを実感した私は、何とかしてその地獄から這い上がろうとします。
何てったって、査定額が残債の半分にも満たないので焦りました。

ちょうどその頃、丸目のKP61スターレットに乗る後輩から次のクルマ選びについて相談があり、ファミリアを引き継いでもらえないかとお願いしたのです。
幸いなことに気に入ってもらい、お互いに歩み寄り、未練なく譲渡。
私には高い勉強になりましたが、後輩はそのファミリアを大いに気に入ってくれ、10年も可愛がってくれました。

さて、ようやくマツダ地獄から脱出したものの、残債をリセットしたらお金がない。
そんな時、持つべきものは友ですね。学生時代にクルマ雑誌のバイトで知り合った友人が保険代理店を開業し、挨拶に来たのです。
金はないけど余り走っていないクルマに乗りたいと相談したら、彼のコレクションの中に安く譲れる一台があるとのこと。
それが、私にとって初の『外車』となるフォルクスワーゲンゴルフDの5ドアでした。

鮮やかなイエローのボディーカラーに黒の樹脂バンパー。ベーシックグレードだから余計なモール類が付いておらず、好感が持てました。
 4速マニュアルミッション、エアコンなし、パワステもパワーウィンドウもリヤワイパーもなし。

ただ、足回りはKONIのダンパーに交換され、インチアップしたホイールはマナレイの左右対称のタービンタイプでタイヤは回転方向が指定された185/60-14のスポーツタイヤ。確かダンロップでした。
純正のドアミラーがショボく劣化していたので、ビタローニの角型に交換。
ステアリングは定番だけどナルディの360ミリ径のが付いていました。

なんだ、4速かよ…と初めは嘆いたものの、わずか1,500ccのディーゼルです。常時パワー不足なので、5速なんか必要ありません。平坦な高速道路くらいしか出番はなかったでしょうね。

走行8万キロ台でだいぶガタが出始めた個体でしたが、これが面白かった。
タコメーターがないのを良いことに、ガバナーが効くまで回してシフトアップしていくと、けっこう走ってくれます。
振動や音もアイドリング以外ではさほど気にならず、排気音は上まで回してやるとスポーティーとさえ言えるほど。
高速道路でのフラットアウトも、このクルマで初めて体験させてもらいました。

当時、軽油の値段が70円くらいだったでしょうか。そして、街中でリッター18キロ、長距離ならば23キロという燃費に驚きました。
いつでもどこへでも財布の中身を気にせず出掛けられる、そんな気軽さがうれしかったです。

トルク不足で坂道発進が苦手な一方、固められた足回りとタイヤの効能により、峠の下りでは安定した速さを披露してくれたのが懐かしい思い出です。

何の変哲もない大衆車であっても、輸入車は面白いんだ!ゴルフは私にそう教えてくれました。
こうなったら、独身のうちにまだまだ乗ってやる!そう決心した私は、雑誌の売買欄にとあるクルマを「買いたし」と投稿します。そう簡単には見つからないであろう条件で…

昭和61(1986)年式マツダファミリアアンフィニ∞(5MT) S61.5〜62.5

2022-05-01 15:59:00 | 日記
さて、バッチリと仕上がった117クーペ。本物のXEはほとんど見ることもなく、自己満足して乗ってたところ、いかに2,000のツインカムとは言え、フローリアンと基本設計が同じ古いシャシーでは、そう速くは走れません。

そして、フロントヘビーな上に路面追従性が悪いリヤのリーフリジッド。LSDを組み込んでラリー用もどきのスパイクタイヤを履かせても、雪道に弱いことに変わりはありませんでした。

次のクルマは、できれば四駆、それもクロカンタイプではなく、世界のラリー界を席巻していたアウディクワトロのようにスポーティーなタイプが良いかなと考え始めた頃、私の117クーペをどうしても譲ってほしいという方とお会いしました。

そんな時にデビューしたのが、5代目のファミリア。初めてFFとなった先代の鮮烈なイメージはなく、どちらかと言うと地味なイメージでしたが、念願のツインカムターボ4WDが追加されたのです。
カタログをもらい、当然のごとく最上級グレードのGT-Xに的を絞って交渉したら、どうにも予算不足。でも、GTで妥協したら後悔しそうだし…すると、FFならばレカロのシートが標準装備のグレードがある!

これまで乗ってきたクルマには、どれもお気に入りのパーツを組み込み、ノーマルとの違いを楽しんできましたが、レカロには手が出なかった。いや、高価なため手を出せなかったのです。
ツインカムターボでパワーは十分、4WDでなくともFFならば117より雪道に強いはず。パワーステアリングとパワーウインドウはないけれど仕方がない。
早い話が、レカロの魅力にやられてしまったのでした。

オプションとしてはエアコンを付けただけで、後でまたお好みのパーツを揃えることにしました。色は納車が最も早いと言われた白とガンメタのツートンにしたのですが、4WDのツートンとは異なる塗り分けで、やっぱりツインカムターボ4WDは別格だったのでしょう。

さて、このファミリア、標準では5.5J-14のスチールホイールに185/60-14だったタイヤを流行り出したばかりの50タイヤに替えてやりたくなりました。117の最後に使っていた195/50-15のヨコハマアスペックと初代ソアラの純正アルミホイールではオフセットが合わないので、ボディー色に合わせた白のアルミにしました。お金がなくてファルケンの(笑)。
当時、50タイヤやボディー同色のホイールを履かせている人はほとんどおらず、とても目立ちました。
50タイヤ時代の写真が見つからず、純正の14インチを安物のアルミに組んだもので勘弁してください。

しかし、このファミリアアンフィニ、パワーステアリングは未装備(MC後はビスカスLSDと共に標準装備)。たった10ミリのタイヤ幅の違いで極重ステとなってしまいました。
おまけにツインカムターボのトルクステアもかなりのもの。峠へ走りに行っても、それほど楽しくなかったです。

丸みを帯びた3ドアハッチバックでリヤの広さは十分。乗り心地は堅かったけれど、実用的なクルマではありました。
当時は105km/h辺りで作動する速度警報装置が装備されていたので、ブザー本体の配線を外したりメーター裏のスイッチを無効にしていました。
このファミリアのスピードメーター裏にはもう一つ小さな接点があり、それはメーターの針が180km/hを超えたところで接触する仕組みでした。
こちらもちょっと傾けて細工しましたが、初期のスピードリミッターはこんなに簡単なものだったのです。
もっとも、その効果を体感する速度域に達したことはありませんでしたがね。

このクルマのエンジンはいわゆる『当たり』だったのか、静かで濃密な回り方をしました。一方、燃費は芳しくなく、街中でリッター8〜9キロ、高速を使わない長距離のドライブでも13キロ程度で、117クーペと大差なかったのにはガッカリでした。

ステアリングはナルディのスポルトという珍しいデザインのものに替え、フロアマットはアコードで使っていたオレンジ/黒チェックのKAROシザルヘンプを流用。FF車に乗る時のために捨てずに取っておいたんです。オーディオはオレンジ色のメーター照明に合わせた1DINタイプにしたことしか覚えておらず、我ながら記憶の衰えに落胆しています。

ところで、アンフィニは専用チューンの足回りが売りだったのですが、何となく重心が高く感じられ、コーナーリングでリヤが持ち上がる感覚の挙動でした。
保舵力も大きくて、翌年のMCでパワーステアリングが標準となったのが羨ましくて仕方なかったです。

秋の雨の夜、走り慣れた峠へ走りに行った私は、工事のため仮設ルートに切り替わっていたのを見逃し、その入り口の急カーブ、おまけに舗装直後で油分が浮いている路面で大きくスピン。クルマは黄と黒の'トラ板'を何枚かなぎ倒して、低い崖っぷちに辛うじて止まりました。
休日だったのでお昼にも走りに行き、その時はいつものルートだったのに、と悔やんでも仕方ありません。
幸い、クルマは左のリヤフェンダー以外は大した損傷もなく、崖っぷちから引き出してもらったら自走が可能でした。

警察によると、ちょうどその日が夜間だけルートが切り替えになるタイミングだったとのこと。照明灯もなかったので、これじゃ確かに危ないねと言われましたが、数日後、現場を通りかかると、大きな看板と照明が設置されていました。

「土建屋からトラ板の請求が来る。高いぞ」とその経験のある走り屋から脅かされ、まだ25歳だった私はビビったものでしたが、保険屋からは現場管理の不備もあるから請求はないだろうと言われ、結果的にそのとおりとなりました。

ファミリアは足回りのアライメントに狂いがなく、車両保険による若干の板金塗装で復活したものの、重たいステアリングとシフトフィールはどうしても好きになれず。
先代はとても軽快なクルマだったのに、二代目のFFファミリアは妙にドイツ車を意識したのか、いつまで経っても堅さが取れない感じでしたね。

冬タイヤには、氷上トライアル用のヨコハマIT-14、165/70-14を行きつけのスタンドで勧められ、マカロニピンを標準の本数だけ打ち込んだものを使いましたが、これが全くダメ。よく考えりゃ、そりゃそうだ。氷上走行に特化したモノが雪上でまともに機能するはずない。常時、スパイクピンの上で爪先立った感じで、不安でした。
「4WDにすれば良かった」冬の間はそればかり考えていたように思います。

そして、姉妹車でデザインが割と好みだったフォードレーザーのツインカムターボ4WDの中古車を偶然見つけ、半分本気で商談してみたら、とんでもない現実を突き付けられたのです。
1年落ちの下取査定が新車価格の3割ちょっと。55万円でした。
これがいわゆる『マツダ地獄』なんだ、と激しく落胆したこと、忘れられません。