エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

平成11(1999)年式 ホンダシビックタイプR(5MT) H11.3〜12.6

2023-05-25 08:24:00 | 日記
投稿をだいぶサボってしまいました。
さて、上の子の小学校入学を境に、911SCとフェスティバミニワゴンの2台体制から1台にしようとの結論に達したわが家。
下の子がまだ3歳だから2ドアでも良いだろうってことでクルマ選びの選択肢が広かったのと、女房がマニュアル車好きだったことは幸いでした。

実は、当時気になっていたクルマはインテグラタイプRの4ドア。しかし、私の住むマチにベルノ店はなく、ホンダと言えば例の友人(ビートとシビックSiの記事参照)のプリモ店を無視できない。
そんな訳でちょうど前年にマイナーチェンジしたシビックに白羽の矢が立ちました。
これならば2ドアでもリヤシートがそこそこ広く、子どもが勝手にドアを開けて飛び出すこともないだろうし、リヤワイパーが付かないことが不満な程度で他は大衆車シビックと同じ。
ただし、快適装備が揃ったパッケージオプションを選び、オートエアコンとカーナビ、オーディオ、スタッドレスタイヤ&ホイールと積み上がった見積りはまさかの270万超え。
タイプRはそうそう商談があるものではなかったらしく、お店のスタッフも驚いていました。
結局、冬用のホイールを純正装着のチャンピオンシップホワイトのものではなく、ディーラーオプションのモデューロへ格下げし、妥協することで契約。
成約前、ショールームにタイプRが飾られたため、自分の他にも買う人いるんだなぁと思って聞いてみたら、実は見込み発注されていたという笑い話もありました。
条件的には、フォードフェスティバミニワゴンの下取りで頑張ってもらえたので大満足でした。

さて、試乗もせずに購入というのは、私の場合それほど珍しくないのですが、このクルマに関して言えばかなり後悔しましたね。
まずはボディーからの騒音。軽量化のためアンダーコートが省かれたボディーはタイヤが跳ね上げる砂粒が当たるとパチパチ、小砂利ならばカチカチと音を立て、とてもうるさい。特に北海道の春は、冬期間に撒かれた滑り止めの砂がたくさん路上に残っていて、それはそれはにぎやかな車内でした。
次はボディーサイズの割に小回りが効かないこと。駐車場などで切り返しが必要な場面が多く、運転が下手になった気分がしました。
あとはリヤワイパーがなく不便だったことや、強大なグリップと引き換えに異常なほど摩耗が早い標準装着タイヤ、冬は外さないとラッセル車になってしまうフロントスポイラーなど、どれもこれも潔く走りに振った結果だとわかっていても、足がわりに乗るにはキツイ感じがしました。

ちょうどその頃、人生で最も仕事が濃密だった時期でもあり、たまの休みには峠に走りに行くよりもゆっくり体を休めつつ家族サービスに精を出す感じだったので、タイプRの長所を生かすことができなかったと言うべきでしょうね。

タイヤの空気圧がメーカー指定のフロント2.4キロ、リヤ2.3キロでは跳ね気味なので、スポーツ走行する訳じゃなし、0.2キロ落として乗るのが常でした。

ところがある時、このブログに何度か登場している『弟子』が遊びに来たので、せっかくだからタコメーターの右半分を思う存分使ってもらおうと、私も残業三昧で疲れた身体を赤いバケットシートに委ね、早朝の峠へ向かったのです。

ああ、何と表現したら良いのでしょう!空気圧は落としたままだから無理な走りはできないまでも、コーナーではノーズがスッとインを向き、タイヤも鳴かず安定したコーナリングが可能で、思わず目からウロコが落ちる思いがしました。
コーナーからの脱出ではヘリカルLSDの効果もあってか積極的にスロットルを全開にでき、VTECが切り替わると痛快なサウンドを奏でながら9,000回転近くまで回ります。
そうだ、こうやって走らせてこそタイプRなんだ!と感動した私でしたが、このクルマ1台だけの体制になったことに加え、とにかく過労気味の毎日で気力が湧かず、自ら走りに行くことはなかったです。

という訳で、惜しいかなせっかくの名車も宝の持ち腐れとなり、もっぱら女房の買い物の足として動く程度となってしまいました。

燃費はあまり覚えていません。一度だけ家族で長距離ドライブに出かけた際にリッター15キロまで伸びず意外でしたが、市街地で10を切ることはなかったと思います。
そして、やはり高回転型エンジンのためか、軽い上り坂では5速2,000回転でもノッキング気味だったことが印象に残っています。

今、思い返してみると、普通は気力も体力も充実しているであろう30代の最後に買ったタイプR、その実力を引き出すことなく過ごしてしまい実に惜しいことをしました。でも、人って疲れが溜まっているとやる気が起きず、そんな時はきっと何をやってもダメだったんだろうなぁ。