エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

昭和55(1980)年式いすゞ117クーペXE(5MT) S59.7〜61.3

2022-04-16 20:55:00 | 日記
納車3か月待ちで購入した86レビン、それなのにサンルーフからの雨漏りという難治性の病を抱えた個体に巡り合ってしまいました。

チューンドカリーナに乗っていた頃、中古車店にいた友人とのクルマ談義の中で一度は乗りたいクルマの話になり、私がその中の一台として挙げたのが117クーペ、それも最終型⭐︎⭐︎シリーズの最上級グレードXE。
そもそも所得水準が低い北海道で高価なパーソナルカーなど多く売れるはずもなく、ツインカムでフル装備のXEは見たことすらありませんでした。
その友人から117が入ったから見に来いと電話があり、どうせXCだろ、見るだけタダだと仕事帰りに見に行ったところ、何となんとグレードがXEだったのです。

確かに新車価格はレビンの倍というクルマ。しかし、4年落ちで走行3万キロの割にはババリアグリーンメタリックの外装はヤレた感じだし、トランクやリヤピラーのモールの接合部にはサビもありました。
おまけにサスペンションは当時流行ったH150に交換され、ダンパーはKONIが入っている。ヘッドライトはマーシャルの角型4灯だけど、なぜかロービームが片方だけスタンレー。低い車高でマフラーを擦り、穴が空いていました。
要は『荒れ物』に近い代物だった訳ですがノーマル部品は全て揃っているし、これを逃したら多分もう乗れないなぁと考えて、半年しか乗ってない雨漏りレビンと等価交換してもらうことに。

外装は、外せる物は全て外して元色で全塗装。内装だけはキレイだったのでそのままに、ステアリングだけはお決まりのナルディのウッドに替えました。
後日、この117の来歴を聞きましたが、農家の息子さんがあと継ぎになることを決めたお祝いに親御さんが買ってあげた物だったそうです。

結局、ひと月以上の手間暇かけた全塗装の代金だけを別途支払う感じで、117がやって来ました。
あとはクロモドラのAタイプ6J-14に185/65-14のピレリP8、ボッシュのホーンと手を入れていきました。

おっと、大切なことを忘れてた。不粋なフェンダーのリモコンミラーは全塗装の際に取り外して穴埋めし、BMW2002の純正に似たドイツ製のドアミラー(フレーゼというメーカー)を付けました。残念ながらメッキの在庫がなくてブラックでしたがね。
全塗装してすぐのボディーに、工場長が「この辺で良いかい?」と(北海道弁で)確認しながらドリルで穴を開けるシーンは、私がこの世からさよならするまできっと忘れないことでしょうな。見やすい位置だとどうしても三角窓と干渉してしまうけど、三角窓を全開にすることはまずないので妥協しました。
あと、XC-Jのウレタン製マッドガードの一部をボディー色に合わせて塗り、リヤだけに付けました。一体感があって素敵だったな。

私の年式の117クーペは純正のショックアブソーバがガス封入式でした。そのガス圧で車高が保たれていたのか知りませんが、KONIのダンパー(油圧式)を入れるとフロントの車高が下がるんです。
それがまた、カッコ良いのさ!(北海道弁)
でも、重量配分的には最悪で、アタマには重たいツインカムエンジンがありリヤは路面追従性の良くないリーフリジッドだから、冬には必ず前後とも純正に交換してました。そうでもしなくちゃ全然坂を上ってくれないんです。
まぁ、フロントがダブルウィッシュボーン、リヤはリジッドリーフ。ダンパーの交換は自分でいとも簡単にできちゃうんです、懐かしいなぁ。

心臓部=G200Wエンジン。
ツインカムとは言え、高回転が得手じゃなくて、かと言ってトルク重視のタイプでもない。
燃費もイマイチ。一度だけ最高の条件下でリッター13.5キロというのがリミット
だけど、車内ではうるさいだけのエンジン音を車外で聴くと、それは妙なる調べで…これぞツインカムサウンドなんだ❗️と思いました‼️
音量は控えめ。でも音質には胸をときめかすものがあったんですよ。
今まで50台以上乗ってきた身として、上(6,500rpm以上)まで引っ張った時の、あの音が忘れられません。

走りの能力は86レビンの何割しかないけれど、丁寧に仕上げられた内装、特にリヤシートとヘッドレストの造作を見ると、クルマは走りの能力だけじゃないんだということを、117クーペは私に教えてくれたんだと思います。

フェンダーミラーのない流麗な117クーペの写真、皆さんに見てもらいたくて探しましたが、一番良いショットは失われていました。
残念です。

この117はエンジンのオイルポンプが壊れ、その修理の際、クラッチをジェミニZZ-R限定車の強化タイプに交換し、デフを標準の3.909からディーゼル用の3.727に変更、そしてXGに標準だったリミテッドスリップデフを組み込みました。
走りに振ったクルマじゃないのに、いやはや、我ながらよくやったもんですなぁ…

この117クーペで北海道一円を走り回りました。トランクに鎮座しているスペアタイヤを下ろしてパンク修理剤と寝袋を積み、夜はリヤシートをトランクスルーにして車中泊。
段差を解消してやると、けっこう快適でしたよ。忘れられない思い出です。

2年間、楽しい思い出をたくさん作った117。その頃、ちょっと欲しかったのは、鉄仮面のRSターボでした。

昭和59(1984)年式トヨタカローラレビン2ドア1600GT(5MT) S59.2〜6

2022-04-08 08:23:00 | 日記
残念ながら、良い写真がなかったです。これは学生時代にバイトしていた行きつけのスタンドでの1枚。

昭和58年、ようやく日本でもドアミラーが解禁になり、その直後にデビューしたのがFFとなったカローラ/スプリンターでした。CMソングは郷ひろみだったかな?

でも、私が目をつけたのはFFじゃなくて、FRのままのFMCとなったレビン/トレノ。
カリーナで存分に楽しんだ2T-Gではなく、新しい4A-Gがどんなエンジンなのかが楽しみでした。メーカーオプションは電動サンルーフとリミテッドスリップデフ。外装色は初期にだけ存在した鼠色っぽいグレー。
しかし、このサンルーフのおかげで納車が遅れに遅れているうちに何とグレーが製廃となり、他の色を選んでくれと言われたのです。
グレーにシルバーのピンストライプを入れて憧れのアルピナっぽく仕立てて乗ってやろうと思っていた私はガッカリ。でも、数万円高かったツートンでも差額不要との申出に頷いてしまいました。

友人たちからは、どうせ買うならGT APEXにしたら良かったのにと言われました。でも、フロントグリルにシビエのオスカーを埋め込むにはAPEXの可動式グリルが邪魔だったし、リヤのディスクブレーキは早期ロックしやすいからラリー車のベースはGTなのだ、というもっともらしい噂が流れていたのでGTにしました。あと、記憶が正しければ2ドアのAPEXだけがパワーステアリング標準だったかな?3ドアにしか設定のないGTVは足が硬く、ステアリングもクイックなレシオでした。

3か月も待たされ、納車は2月の下旬でした。ブリヂストンから発売前の新型スパイクタイヤをモニターする条件で格安提供してもらい、乗ってビックリしたのは、前後バランスの良さとボディーのしっかり感。
圧雪路ならば、しっかりした手ごたえのあるステアリングで曲がるきっかけさえ作ってやれば、あとはアクセルワークで自由自在でしたね。
ラリーに参戦していた知人から、4A-Gはならし運転せずに暖気してから回し気味に走れ、2,000キロ位までは極力エンジンブレーキを使うな、と言われてやってみたら振動が少なく上まできっちりと回るエンジンに仕上がりました。

前車カリーナほどの速さはなかったものの、シティターボⅠとならほぼ横並びの加速でしたし、リッター10を切ることのない低燃費もありがたかったです。長距離だと15から16キロでした。

ただ、私は4.3のデフを選んだので、高速や長距離ではエンジン回転が常に高くて気疲れしました。4.111も無償で選択できたので、そっちにすりゃ良かったと思ったものでした。

この86レビン、同じ86の3ドアトレノほどではないにせよ、大人気なんですね。自分の能力の範囲内で手足のように操れるところが魅力なのでしょう。よく分かります。

とても不思議だったのは、内装色でした。
何とも言えない茶色とベージュのツートン。私のは納車遅れのため偶然にごく小さな変更後のものが来て、シートの質感が改善されていました。
ただ、全く若々しさのないオジンくさい内装でしたね。タコメーターが8,000までしかないのも不満でした。だって、7,500は楽に回るんですから。

カーオーディオはカリーナ時代から選んでいたアルパインで最新の1DINサイズのものを自分で取り付け、スピーカーはパイオニアを純正位置にトレードイン。ステアリングは定番だけどナルディ。当時、北海道では珍しかった電動サンルーフ、大喜びでいつも開けて走り回っていました。
アルミはアルメックスの3ピースメッシュで、事故った友人から無事な3本をもらい、1本だけ買ったという代物。

ところがこのレビン、助手席の天井から雨漏りするんですよ。何度か直してもらってもね。

結局、クルマ自体に不満はなくても雨漏りに悩まされていたところ、友人のいた中古車店に昔から憧れていたクルマが入庫したから見に来いと連絡が。

それは、117クーペでした。

昭和58(1983)年式スズキマイティボーイ(4MT) S58.10〜12

2022-04-02 12:20:00 | 日記
やはり年度末はバタバタしますね。仕事が忙しいと、やっぱり書き込みのモチベーションが上がりません。

「スズキのマー坊と呼んでくれ」
というキャッチコピーだったと思いますが、それよりも、
♩金はないけどマイティボーイ♫
というCMソングが記憶に残っています。

写真は借り物ですが、これは上級グレードですね。サイドプロテクションモールが付いて、リヤにはクーペっぽく見えるモノが付いているから。
私のは、正真正銘45万円バージョンで色は豆腐のような白でした。
ディーラーオプションの太いストライプ、リヤのデッキ(荷台)には白レザーのトノカバー、タイヤは標準のバイアスからラジアルに、ホイールはアドバンの10インチアルミ…等々、満艦飾にしても売れ残っていたディーラーの試乗車。
ドアミラー認可直前のフェンダーミラーでしたが、これはドアミラーのパーツだけもらって自分で穴開けして取り付けることに。

とにかく通勤にだけ使えりゃ良いと深く考えずに購入したら、すごく暗い丸目のヘッドライトは丸型2灯用ではなく、ハロゲンに交換不能でガッカリ。これはリレーキットと同時点灯ユニットの取付で多少マシになりましたが。
お店にあったフロンテ(アルトの乗用型)と乗り比べると、基本は同じはずのフロンテのエンジンが全然滑らかな上に静かだし、パワーも違う。
何ともだまされた気分になり、それでもレギュラーでリッター20キロも走ってくれるから仕方なく乗っていました。

ところが、大きな水たまりの通過後に赤信号でブレーキを踏んでも全く止まらない!たまたま前や左右にクルマがいなかったから事故にはならず、信号無視しただけで捕まりもしませんでしたが、初めて乗った(前輪が)ドラムブレーキのクルマに肝を冷やしました。
教習所で、洗車や水たまり通過後はブレーキを乾かすように教えられたことを思い出しましたが、今でもそのように教えているのでしょうか。

このマー坊はバイト先の社長からもらった12インチのハヤシストリートに、日産マーチを買った友人からもらった純正タイヤ(145SR12)を組んで履かせたり、ステレオをDIYで付けたり、ステアリングはMOMOと、結局いじりながら3か月ほど乗りました。

小さな荷台には灯油のポリタンクが5個積めて、意外に便利。でも、そうすると前輪荷重が抜けてしまい、冬の急坂は登れません。そこをどうやって切り抜けたかと言うと、バックで登ったんです。懐かしい。

そんな中、翌春からの転職先が決まり、クルマを1台にしようと86のレビンかトレノに狙いを定めました。
カリーナは友人に譲って、マー坊は出身ディーラーへ戻ることになり、何となくソアラっぽいイメージのあったレビンの2ドアを買うことにしたのです。当時、3ドアの方はリトラクタブルライトのトレノがセリカXXの廉価版という感じでした。