エンスーMの「クルマとともに」

私が愛したクルマたちのことを忘れないために…

1987(昭和62)年式メルセデスベンツ190D2.0(4MT) H3.8〜4.10

2022-09-29 17:40:00 | 日記
これも写真がなくて、左ハンドルであることを除くと、色もホイールキャップも同じなので借りました。

さて、ゴルフのシンクロ、女房がとても気に入って乗っていましたが、お世話になっていたヤナセのすぐ近くで若葉マークの学生に追突されたことは書きました。
追突した某ホンダ車は廃車になるほどの壊れ方で、ウチのゴルフは相手方の過失100%での保険修理となり、その間は代車として真っ新なレンタカーのコロナにひと月近く乗ることになりました。
1600cc、4WD、マニュアルミッションでスペック上は1800のゴルフを凌駕する数値なのに、大いなる脱力感に満ち満ちたクルマで、ブン回しても盛り上がらないハイメカツインカム、高いギアでスロットルを開けた時の頼りない反応、柔らかい足回り。
クルマの味付けの問題なのか、当時の私には受け入れ難いものばかり。

直ってきたゴルフは、新品となったリヤライトの一部に電球が入っておらず、私が気付くまでストップランプが点灯していなかったという信じられないミスがあり、追及したところ、下請けに丸投げの修理だったと判明。
とてもイヤな気分でいたところ、中古車展示場に格安のクルマを発見、それは自動車学校で高速教習の専用車として使われていたベンツ190のマニュアル車だったのです。
正規輸入車としてヤナセの黄色いステッカーが貼られていたものの、ディーラーのカタログに載っていない2000の4気筒ディーゼルを4速マニュアルミッションと組み合わせた珍しい仕様。
外装は傷や凹みが一切なく、内装もヘタリは感じられず、クリーニングだけでバリッとなりそう。高速道路ばかり10万キロ走っているエンジンは絶好調で、駆動系と足回りの消耗部品は全て交換済み。
快適装備と呼べるものはマニュアルエアコンとパワーステアリング、セントラルロッキングくらいで、廉価版の190Eアンファングに準じているらしく、前後とも窓の開閉はクランクをクルクル回します。

住宅地とは言えない田舎に住み、除雪に不安がある中、FRのクルマはちょっと危ないかとも考えましたが、修復歴のあるゴルフシンクロを高値で下取る話になり、格安でベンツに乗れるチャンスだとまたもや後先考えずに購入を決めました。

非力な最下位グレードでもリヤのヘッドレストや救急キット、トランクリッド裏の非常停止表示板は標準装備。強固なボディー、マルチリンクのリヤサスや4輪ディスクのブレーキも上級グレードと変わりありません。まさにベンツの良心の塊みたいなクルマでした。

72馬力のディーゼルは確かに非力だけど、始動直後以外では黒煙も吹かず、エンジンルームがカプセル構造となっているおかげで騒音が閉じ込められて静か。
各ギアでのリミットは下から40、80、120km/hとガソリン車とほぼ同じなのはゴルフⅠのディーゼルと一緒でしたが、騒音や振動のレベルは比較になりません。
レブリミットぎりぎりまで使い切れるため、シフトフィールの良くない4速ミッションを駆使すると、峠の登りでもそれほどパワー不足を感じませんでした。
ベンツの特徴である大径のステアリングホイールは、6Jのホイールに組まれたコンチネンタルの185/65R15という細いタイヤを介してドライバーの意思を忠実に路面へと伝え、きれいなラインでコーナリングを楽しめます。
ただ、雪や凍結路にはめっぽう弱く、デフが敏感なのかスパイクタイヤでもすぐに片側の後輪が空転して、坂を登れないのです。
わが家のもう1台がジープで本当に良かったです。そうでないと、出産の時にどうなっていたことか…

気になる燃費は通勤でリッター14キロ、フラットアウトに近い高速で16キロ、一般路の長距離ドライブでの最高は23キロ。軽油が安かったので行動範囲が広がり、お腹の大きくなった女房と泊まりがけで温泉巡りを楽しみました。

印象に残っているのは、ワイパーの複雑な動きがスムーズでモーター音もわずかしか聞こえないこと。これには私も言われて初めて気が付きましたが、ベテラン整備士によると、そこが本物の高級車のポイントのひとつだそうです。

ちなみに、同年式の190では、ディーゼルは5気筒2500ccで左ハンドル、ATの設定のみだったので、同じ仕様の190には一度しか出会ったことがありません。
そして、その一度しか出会わなかった190を置いているお店から、次のクルマを買うことになるのでした。

まさに、一期一会とはこのことでしょうか。

昭和58(1983)年式三菱ジープJ37(4CMT) H3.6〜5.3

2022-09-22 08:24:00 | 日記
今まで書いてきたクルマ、見出しの車名にはほとんどミッションの種類を記していません。それはグレードとミッションの組合せが決まっていて、他の選択肢がなかったためです。
Cという字はコラムのC。J37にはフロアシフトのBタイプもありましたからね。

ランチアデルタに乗っていた頃、クルマ雑誌数社からライターを頼まれていて、その一つが当時、人気上昇中だったクロカン4WD専門誌。函館の近くにある駒ヶ岳で行われる四駆同好会のキャンプへ2泊3日の同行取材を依頼されたのです。

参加車両のほとんどは三菱ジープで、あらゆる型式が集まり、まるでカタログを見ているかのようでした。
私に助手席を提供してくれた方のジープは、当時最新だったJ53。パジェロとは異なるディーゼルターボエンジンを積んだ一台でしたが、ボトムエンドのトルクがJ54に比べるとどうもイマイチとかで、5合目、6合目と上へ登るほどに苦労されていました。

その車列の中で最も私の興味を引いたのが、ステーション(デリバリ)ワゴンのJ3#系。
クラシカルなボディーに一応の居住性を備え、長いホイールベースさえ考慮すれば、信じられないようなガレ場も走破してしまう…どうせならコラムシフトにベンチシートが良いなぁ…ワイパーは3連に限るなぁ…1ナンバーは痛いけど、どうせなら最強のガソリンで…となると狙うはJ37。

ジムニーに乗りながら探してみても、パジェロがデビューした影響なのかJ3#系は3連ワイパーになってからのタマ数が極端に少なく、見つかっても業務用に酷使された過走行車かディーゼルのJ36ばかり。

ところが、中古車情報誌にJ37の最終年式で走行3万キロ台、ルーフキャリアとリヤラダー付き、VWゴルフのモナコブルーに塗られた個体を見つけました。

これはもういくしかない!そう決意して交渉したところ、四駆専門誌のライターとしての名刺が功を奏したのか最高の条件で購入することができることに。

ジムニーは例の中古車屋さんで委託販売をお願いしたところすぐに買い手がつき、J37と十分な維持費が私のところにやって来ました。

かつて電力会社の公用車だったらしく前の塗色はオレンジ色で、その上からパー吹きの全塗装が施されていたので見てくれはよろしくなかったけれど、整備状態はバッチリ。
赤の内装にも破れなどなく、フロントガラス越しに見える小さな3連ワイパーのブレードが可愛らしいかったです。

ジムニーの倍の車重を4倍の排気量で動かすのですが、乗ってすぐに感じたことはジムニーの完成度の高さ。
ジープは基本設計が大戦中というだけあって、ステアリングの重さをはじめ各部の取り回しのクセはまさに男のクルマ。小回りが効かないこともつらかった。女房はただの一度もハンドルを握ることはなかったです。

もちろん飛ばすためのクルマではなかったので、一般道ではダラッとした座り方でコラムシフトを操作し、2600ccの底力に頼り切ったズボラ運転を決め込んでいました。

当時はトヨタのハイラックスサーフや日産テラノ、パジェロのディーゼルが大流行していた中、パワフルなガソリンのジープに乗る優越感を味わい、いざ踏み込むと意外なほどの加速を相手に見せつける楽しみもありましたね。

幸いにも燃費は通勤時でリッター9キロでジムニーとほぼ同じ。点火時期を早めてハイオクを使うと、走りと燃費が改善されたのをはっきり覚えています。

J3#系は垂直近くに切り立った窓とルーフの雨樋のおかげで、雪が窓にほとんど付きません。吹雪の中、窓にへばり付いた氷や雪をガリガリと書き落とす必要がないんです。
エンジンを掛けてハンドスロットルを引き、回転を上げてちょっとだけ暖気させ、エンジンフード上の雪を払うだけですぐに走り出すことができます。
雪道でトランスファーを4Hに入れると、グッとステアリングの手応えが確かになり、直結四駆の強みでタイヤはロックしにくくなります。

上の娘が生まれる日、夜中の大雪で除雪が間に合わず膝下まで雪が積もった未明の国道。陣痛に呻る女房を乗せて産科まで運んだことを、私は一生忘れないでしょう。
オレンジ色のナトリウム灯に照らされた4車線の広い道、他のクルマは全くいません。雪煙をもうもうと舞い上げて突っ走り、無事病院に到着したのでした。
今でも大雪になると、女房は「あの時はジープで良かった」と懐かしく思い出しているようです。

1ナンバーで1年車検、高速代も割高というJ37でしたが、オフロードを含めて十分に活躍し、2年ほど乗りました。
また、手放す際にはジープのリセールバリューの高さにもビックリしたものでした。

平成2(1990)年式スズキジムニーバンHC(5MT) H2.5〜3.5

2022-09-09 08:32:00 | 日記
借り物の写真はチャコールグレーメタリックといういわゆるガンメタですが、私のはスペリアホワイト。

サバンナGTに大量のパーツを添え、遠隔地に住む次のオーナーへ託すに当たっては、名義変更を確実に履行してもらう必要があったため、117クーペでお世話になった中古車屋さんの力を借りることになりました。

当時、クルマ三昧の生活を送りつつも何とか所帯を構えた私。車庫付きの一軒家を探してようやく見つけたのは、通勤通学時間帯でもバスが1時間に2本程度というど田舎でした。
買い物しようにも近くにお店はなく一家に2台のクルマは必須…しかし、27トレノを足代わりに使うのはどうにも忍びなく、ゴルフシンクロは女房のお気に入りになっているし、こりゃ中古車でも買うしかないかとあきらめかけた時、そいつを見つけたのです。

平成2年の秋のこと。
できたばかりの小さな中古車屋の店頭に飾られていたのは、排気量が550ccから660ccへと拡大されたばかりのジムニーバンHC、それも登録済み未使用車。ちなみにその頃、軽のジムニーは40ナンバーの軽商用車のみのラインナップでした。
さっそく117の中古車屋さん経由で問い合わせてもらったら、買えない額ではない。一度は乗ってみたいと考えていたこともあり、購入に踏み切りました。

すぐに必要となる冬タイヤも、純正ホイール付きの新品同様のスパイクタイヤが格安で手に入り、まさにラッキー。
オーディオは、セリカGT-TSから外してあった不動の1DINオーディオを家電店経由で安く修理、スピーカーはアルファスッドにトレードインしていたものを自作のバッフル板に取り付けて使用。裏にはきちんと吸音材も詰め込みました。
これが望外の素晴らしい音質で、仰天したのが忘れられません。
ステアリングはスズキ純正オプションのMOMOを奢りました。確かφ380ミリだったはず。ホントは純正のボスだけ欲しかったんだけどバラ売りしてくれなかったのでね。

そんな感じでうまく仕上がり、田舎からの通勤に大活躍のジムニー。660ccターボエンジンは力不足を感じさせることもなく、リッター当たり10キロを切るという軽らしからぬ燃費の他に大きな不満はなし。
ハンドリングを云々するタイプのクルマではないけれど、一般路を普通のペースで走る限りではコーナリングで不安を覚えることはありません。
一方、横風には弱く、特に冬の高速道路では横から吹かれると1車線分は平気で流されてしまいます。これは怖かったですね。

田舎の冬道はまさにジムニーの天下で、除雪が間に合わず積雪が膝上まであっても全然平気。雪の上を滑るように進んでいきます。重量級の四駆だと自重で沈み込むため、こう上手くはいきません。
1メートル近い積雪のある自宅の周囲を、4WDのローレンジを使って一周するという遊びも難なくこなしました。

私に本格四駆のすごさと楽しみを教えてくれたジムニーでしたが、半年ちょっと、5千キロほど走ったところで面白いクルマを見つけてしまい、例の中古車屋さんに相談すると軽のジムニーはすぐにでも売れるだろうとのありがたいアドバイス。
さっそく委託販売をお願いしてしまいました。

昭和53(1978)年式マツダサバンナGT特別仕様車V100(5MT) H1.12〜2.9

2022-09-05 08:29:00 | 日記
これは何とか写真がありました。

ウチのNⅢ360ツーリングが盗まれた頃、気になるクルマが発売されました。サバンナGTです。
もちろん一方的に憧れるだけの対象だったのですが、それがまさか、17年後に自分の所へやって来るなんて…

私がGT-TSとお別れして間もなく、職場の知人がサバンナを廃車するとを聞きました。珍しいV100だし、思い入れがあって手に入れたと聞いていたので、そりゃもったいないよと言ったのですが、現車を見せてもらうと確かにボディーには凹みや傷、腐食があり、前後ともバンパーは歪み、マフラーにも穴。
ただ、奇跡的にフルノーマルの個体だったことが気に入り、譲り受けることに。

ちょうど季節は冬に差し掛かる時だったので、春の車検切れまではそのまま乗り、車検の際に一気に仕上げようと思ったのでした。

乗ってみると、ショックアブソーバーはへたっていてブカブカ、8万キロ余り走ったエンジンはまだ大丈夫そうでしたが、ダッシュボード上面にはヒビが入り、運転席には破れありという状況。

ただ、意外なことにFRの割には雪道に強く、また、信じられないくらい小回りが効く。
静粛な回転と余裕あるパワーの代償として燃費が2桁いかないことを除けば、扱いやすいクルマでしたね。リヤシートは実用になる広さだったし、リヤサイドウィンドウが巻き上げ式だったので、当時のクーペとしては居住性も上々。なお、燃料がレギュラーでOKだったことが多少の救いではありました。

さて、以前ファミリアアンフィニを買ったディーラーからパーツリストを借り、膨大な部品番号を書き写した私。ショックアブソーバーは大好きなKONIを取り寄せ、春の訪れとともにサバンナを車検に持ち込みました。
すると、ディーラーのフロントが驚くほどにパーツが欠品だらけ。特に外装がヤレていたため板金が必要だったのですが、腐食したり錆穴の開いたパーツが全くないのです。弱点だったのでしょうか。

それでも使える限りの新品パーツを使ってメカ部分をきっちり整備してもらい、苦労して探したPCD110のアルミホイールを履かせ、トランク一杯のパーツと一緒に帰って来た時はうれしかったです。
ちなみに、V100のエンブレムは新品が手に入りました(笑)

気になっていたブカブカの足回りはKONIのスペシャルDで適度なしっかり感を取り戻し、ブッシュ類の交換と相まって私にとっては27トレノよりもバランスが良く、乗りやすいクルマになりました。
特にステアリングはトレノよりも格段に軽く、軽量でコンパクトなロータリーエンジンの長所が生かされていたのかと思います。

結局、外装には手を入れられないまま1年ほど乗っていましたが、協力的な工場も見つからず、なかなかレストアを進められないことに業を煮やした私は、それまで買い集めたパーツ類と一緒に次の方へとバトンを繋ぎました。