『Cool Velvet』Stan Getz。
ここ最近買ったレコードで最もハマって、現在ヘビロテ中。特にA面3曲目の「Early Autumn」は美し過ぎて、もう一度…と繰り返し聴いてしまう。ラッセル・ガルシアのアレンジも秀逸で、カウンター・ラインはまさしく僕の好み。裏ジャケの英語の解説には、超要約すると、ジャズとクラシックのオーケストラの共演というのは上手く行かない事が多いけど、ゲッツだけは別…と書いてあるが、その通りで、彼の美しいサウンドが凄くマッチした素晴らしいマリアージュだと思う。
スタン・ゲッツが如何に天才かというのはWikipediaの解説を読めばよく分かる。結構な長文で簡易の伝記みたいになってて、読み応えもあるので是非読んで頂きたい。「写真的記憶力でメロディを覚える」とかはチャーリー・パーカー的だと思うし、「ラジオで聴いたものをすぐ様楽器で演奏出来る」とかはクイーンのフレディ・マーキュリーを想起させるし、天才には幾つかの共通点が有り、それによって早熟なのは明白だ。
話は変わるが、毎朝、こうしてレコードを聴き、雑用を済ませた後、散歩するのが日課となっている。近所の広大な公園を歩くのだが、必ず鳩が集まって餌を求めて土を突っついている。その後、スーパーに立ち寄り買い物をするのだけど、鳩を見た直後に商品を物色している人達を見ると鳩に見えてしまう。まぁ、自分もそのうちの一人には違いないのだが。
これが毎日続くと、段々鳩が人間に見えてくる。餌をついばみながらも、雄が雌を追っかけたり、それが元で争いになったり。雌を追っかける雄鳥は猫撫で声で近づき、ちょっと身体を膨らませ虚勢を張る。鳩は決して見た目も鳴き声も美しい鳥ではないけど、鳥は多くが雄の方が見た目や鳴き声が美しい。雄の孔雀が雌の前であの美しい羽を広げる様に。それらは全て「繁殖」と密接な繋がりが有る。
人間界では、昔からファッションでは女性の方が着飾る習慣が有り、そこは鳥とは違うのだけど、遡れば猿からの進化の過程で、そうなったのはいつからで何がキッカケだったのだろう。音楽にしても元々は、雄鳥が美しい鳴き声で雌を誘惑するのと同じ原理だったに違いない。それが宗教や文化発展に利用される事によってその役割を大きく変えて来たに過ぎない。
クラシック界ではかなり昔から女性の進出は盛んだったけど、現在のジャズ界もすっかり女性の進出は当然の事となっている。今やどの業界でも、「女性がどうの…」という話になればジェンダーレスの観点で問題になるけど、僕は元々女性ミュージシャンを、ボーカリストも含め特別視する事は全く無く、音楽家としてフラットに見て来たので、自分のバンドにも演奏が気に入れば起用して来た。聴く側としても女性ミュージシャンで好きな人は沢山居るし。その才能を性別で制限される事が無くなったのはとても喜ばしい事だと思う。
ただ、僕の場合、ゲッツのこのレコードの演奏を聴くと「あぁ、もし自分が女だったら、抱かれたい!って思うんだろうなぁ…」っていう想像が付随するのだが、素晴らしい女性ミュージシャンを聴いても、結局は全く同じ目線で聴いてしまうから、たまにパラドクスが生じてしまう時が有る。「あ、そうか!この人、女性だった!」みたいな(笑)。多分、自分の聴く態勢が古臭いのだと思う。
時代は移り変わり、音楽がどんどん「繁殖」とは無縁のモノとなりつつある様な気がするが、僕はそれはそれでつまらないと思ってしまう。リスナーとして、音楽にはやっぱり「色気」というものを求めてしまう。男女格差は決して有ってはならないと思うが、あまりにもジェンダーレスが過ぎて、女性が本来待つ魅力が完全に失われてしまうのは残念至極だ。でないと将来的に、元々ジェンダーなんて眼中に無いAIが作る音楽に負けてしまうだろう。
僕が本当に大好きな女性ミュージシャンは、何処かに女性らしい優しさや愛らしさ、母の様な包容力が備わってる気がする。「男勝り」という言葉は売り言葉では便利かも知れないけど、それを履き違えてヒステリックな演奏をされるとゲンナリする。ま、それは男女差なく元々僕の好みの音楽ではないけど。
一緒に活動している若手女性ミュージシャンと話すと、そのファンの多くは僕と同世代のオジサン達で、やはり音楽以上に愛らしいルックスが御目当ての人が多く、中にはセクハラまがいの行為に及ぶ人も居ると言う。そうなっちゃうと、音楽愛好の精神からは逸脱してるわけで、「なら、そういうのが目的の店に行けや。」と言いたくなる。でも、酷い事例は別にして、それを軽くいなす能力もミュージシャンにはお仕事としては必要不可欠で、おモテになる男性ミュージシャンも、ストーキングなどのトラブルをくぐり抜けて来られた方も多い。ま、男の場合は自業自得のケースが殆どの様な気もするけど(笑)
音楽に色気を求めるとすれば、そういうトラブルは評価の一つとも考え得る。しかしながら、ミュージシャン側の立場からすると、オッサン客の多くが音楽から醸し出される色気に無関心で、「若い女性」「可愛い」というキーワードにしか興味が無いと分かると、ご本人はもとより、周りの男性ミュージシャンも不愉快にはなる。特にカメラ小僧的なオッサンね。
スタン・ゲッツ、この録音当時若干33歳。既に全てを知り尽くして色気全開。丁度、この年齢の頃、僕は何かの記事で「色気が無い。修行僧みたいだ。」と書かれた事がある。これが天才と凡才の大きな違いである。そう、自分にとって現世は修行の場であり、評価もそんなもんだと思う。でも、キャリアを重ねる中で、人生経験や知識を積み重ね、この歳になって漸く人々が音楽に求める色気というものが理解出来て来た気がする。
いくら、完全無欠の上手い演奏を聴かされても、やはり最後には色気が無いと全く魅力を感じない。音楽って結局はそういうプリミティブなもんだと僕は思う。
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