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何かを新しく始めていかないと、
年寄りをやっていられない。
萎みを堪えるにも、下り坂を歩くにも
力は要る。
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岸田内閣が閣議で元首相の国葬を決めた。
全く賢くない方法でである。
憲法に一瞥することもなく、
法から離れた判断を恣意的に決めてしまった。
閣議は、憲法の謳うところを越える機関なのか?
国民から広く共感を得られるだろうと思ったのか、
甚だしい手前勘定である。
党内融和だけの物差しから、
安倍元首相の業績を高みに置く政略としか見えない。
凶弾に倒れたか、病死なのかのことではない。
国葬とは何かということだ。
国民を舐めていないか。国政を浅く考えていないか。
どうやら岸田首相の思考はそれくらい浅薄ということだろう。
岸田首相を値踏みすれば、そんなところか。
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人を見て、どんな人物だろうと推測することは面白くもある。
見かけの表情や発言から、その人の印象をつい直感するものだ。
だが、その直感は偏見に走り易い面がある。
それが同性の場合は、案外に観察を違えていないように思っている。
同性の男たちとは、子供時代から陰に陽にうんざりするほど向き合って来ているし、
対峙して来ている、内なる競いを重ねて来ているので、
自分の中に観察のルールみたいなものが身についている。
ほとんど自分の内側を見るのと、変わりないものだ。
ところが、その対象が異性の場合、そうした経験則に基づくような拠り所がない。
途端に外目の印象に流されてしまいがちだ。
自分の中の異性に対する思い込み、化粧や服装などで、バイアスのかかった観察に
陥ってないか、女性の反応などについて男には概ね不明である。
同性を観察する場合と比して、推測が役に立たないように思う。
自分側にも相手側にも素直に見通せなくしてしまう夾雑物が多い。
であるから、対象が異性の場合、その人物像を自分なりに想定し易い手立てが要る。
つまり、直感的な印象を今一度修正してみる一手が必要だ。
どうやって,その人の表だった印象を修正しているか、自分なりに納得しようとするか、
僕なりの手順がある。
と言っても何のことはない。
当該女性を男の姿に置き換える想像をするだけだ。
コレが僕にとって、人物像の想定への近道である。
まず、女性の外見には、男性に縁のない装飾が姿全体にある。
化けて装ってるので、見誤るのである。
だから始めに、その姿から髪型や化粧を消した像をイメージする・・と,
その女性の顔から、その弟や兄の顔が見えて来る、置き換えてみる。
すると、あゝあういうタイプか・・と、経験則から人物像をずっと推定し易くなる。
何かしらその人の素が見えた気になる。
それが正解ではないにしても、僕なりに納得し易い。
社会の前面にある人も、市井の人も、電車の中で見かけた人も、
僕はたびたび,そうやって異性の人を観ている。