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195余の国々
どこを向いても、いびつな国、狡猾な国、独善的な国、野心的な国々に見える。
向こうから見てもそう見えるのだろう。
遠い未開時代も部族間争いは絶えなかっただろう。諍いの原理はそれと同じだ。
だが、彼らは適合する分限を知っていて、一定の治まりがあったと思う。
それが時代を経て、国家それぞれが文明力を武器に出来る分、ずっとずっと質が悪くなった。
どの国家も、自分は質が悪いと思わないから、なおさらである。
色んな正義が転がっていて、敵対する相手への大義となっている。
国々の混沌と諍いは、球体のなかの永久運動のようである。
どの国の為政も、公正や正義が偏在している。
社会の因習や政治の制度とその手法は、その社会の文明の水準そのものである。
社会の最も大きな力学は経済であり、社会の動機そのものである。
様々な脚色がなされても、世界史の根底はことごとく経済的利得である。
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移民、難民の流入を人道的に受け入れる国がある。
だが時間とともに差別的な社会要因として噴出し、社会運営を難しくしていく。
社会が何か異変を感じると、市民に過剰な反応が起きやすい。
合理的判断より自衛的な感情が真っ先に刺激されるからだ。
興奮が冷めると、状況を観察し始める。
事実確認と事態の予測に移る、感情から合理的判断への移行である。
だが、立場によって合理的な判断の基準は違うから、葛藤が始まる。
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世間も世界もどんどん忘れていく。
30年も経つと、それはなかったごとくである。
人のそれも社会のそれも。
忘れないと、明日を生きられないと言うのだろう。