世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

選良という言葉があるのは、間違いだ。

2023-12-22 | 政治家を選良と思うのはやめよう

📌

政治集団の不誠実。

彼らをそれを流儀としているのだろうか。

彼らは法を作るけれども、彼ら自身は遵法精神が乏しい。

常に法の抜け道を歩こうとする。

裏金とかキックバックとか、策謀丸出しである。

今回が特異なことでもない。それが国民を苛立たせる。

集団も構成員も、選良とは程遠い。

ただただ狡猾な手法に頭を捻り、平然と組織内正義としている。

暴力団もどきの結束で、それを実現させている。

政治家は、やはりどこかが信用できない。容易く変質してしまう。

露見すると、政治の信頼回復を政治家側が盛んに発信する。

国民には、それが力弱く虚しく響くばかりだ。

これまでも政治家の数々の不正、不祥事を知っているからである。

不審な金の動きのみならず、優越的な越権行為とか、選挙のためなら反社会勢力をも

与するなど、選良の欠片もない。ずるさ丸出しである。

 

 

 

 

 

 

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“質問しないで“

2023-03-21 | 政治家を選良と思うのはやめよう

📌

もしかして、今年の流行語大賞候補になるか?

 

質問しないでと 国会で口走った高市氏は自らの弁舌能力の限界を、

思わず露呈することになってしまった。

 

政治家は、言葉に信頼性があってこそ価値がある。

それを投げ捨てるようではもはや議会メンバーではなく、

単に、月並みな反発しか出来ない一個人の不貞腐れである。

本人は強気の返答を披瀝した思いのようだから、なお質が悪い。

 

嫌な或いは嫌味な質問に巧みに返答してこそ、政治家の自己演出力である。

下手な芸人がツッコミに上手く切り返せずに、素の自分を剥き出しにしてしまい、

観客を白けさせるのと同じで,不快である。

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形だけの・・

2022-01-10 | 政治家を選良と思うのはやめよう

📌
形だけの民主主義は、愚民政治を産むだけ。

討論、ディベイト・・、論戦の中でメリット、デメリットが明確になったことがない。

議論と手続きと選択が民主主義の武器であるなら、その過程に時間がかかる。

為政者にはその時間が苦々しい。先を急ぎたい。

 

議論を早く収拾せんがために、強引に多数決が活用しようとする。

常套手段である。

1票でも少なければ、異論は採決の場で終わった議論として、

見事に遠ざけられてしまう。

恩恵も不利も孕んだ決定が、現実のものさし、法として活用される。

必然として、その法は必ずしも平等ではなく、軽視される層が産まれてしまう。

四方に満点の政策は、論理上ありえない。

だが近似値に近づけようとすることはできる。

だが、愚民政治はメリットだけを膨らまし、デメリットに布を被せ、滔々と宣伝する。

大方の国民は、社会的な催眠状態に陥る。

 

📌

愚民政治に陥る大きな要素に、選挙システムが有る。

議員一人一人について国民の審査が、形ばかりの選挙で終わってしまう。

一回試験に通れば、どんな質量の活動をしているのか、4年間問われない。

選出された議員は、所属した政党に従順である。

それ以外の主張に見向きもしなくなる。党内の価値から、外に出なくなる。

 

どんな政治理念であれ、社会運営の一方策である。

市民の何をもって幸福とするのか、

その体制を別のそれと比較して、

どれだけ市民の幸福と安全保障に妥当性を持ってるかが命題となる。

 

📌

社会運営の渦中にある全ての市民は、

蟻のように多様なフェロモンで行動してわけではない。

施行されている法の枠内、あるいは倫理のなかで各々の社会を生きている。

組織や管理された社会で、活力が生み出されたり、救済をうけたり、

強い縛りを受けたり、誘導されたりと、生活の一つ一つが枠の中にある。

すべからく個人はそれに呼応するすることが求められる。

 

だが様々な運営に気づかぬままに姿を現し始めるのが、少数者たちの支配である。

どんな組織にも、いつの間にか専制的な運営が根付いたりする。

それらの多くは、市民の関心が薄いなかで、政権が堕落するか、恣意的に暴走する。

懐疑的な視点を怠らず、現実の政治を見続けなければならない。

市民にとって最も危険なことは、独裁政治である。

法と倫理が独善的に変異してしまう。恐怖と暗示で人々を思考停止にしてしまう。

極めて少数の人間が、圧倒的大多数の市民を思うままに操作する。

 

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カビ

2021-11-19 | 政治家を選良と思うのはやめよう

 

📌

社会にもカビが生え残る

社会によってそれぞれ違うカビがある。

ペニシリンのように、カビを活かす道もある。

 

社会組織の多くに共通してあるのは、変化を厭う年齢層によるカビである。

政治家に黒カビが残ると、事は厄介である。

率先すベき者たちが、先見できず、中和も叶わずに足踏みしている。

世界の抗えぬ潮流に、かれらは時代錯誤の言動しか表出できない。

 

社会システムに浸透するデジタル化は、否応なしである。

強烈なウイルスによるパンデミック以上である。

旧態の手続きはことごとく解体し、全てが小さなチップに吸い込まれている。

人によるその操作は、見た目にとても簡単かつ瞬時である。

流れは決まっている。旧態に埋もれた頑固者たちはいまオロオロするしかない。

 

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言葉が足りない

2021-04-30 | 政治家を選良と思うのはやめよう

📌

政治家の言葉に大いなる不満

彼らは自分の言葉を喋らない。

守るべき理念が希薄だから。

哲学を持たないからだ。

だから、ひとつひとつに逡巡する。

あげく、他者の調整に乗っかる。

 

官僚は政治家の風圧を受ける。

忖度に走る人が出やすい。

では、政治家は誰の圧力を受けるのか。

反対党に弱点を突かれまい、言い抜けようとするばかりだ。

国民に向かって言葉を発する事をすっぽり怠っている。

もっと自分の言葉で喋れるはずだ

 

📌

政治は、社会の古黴を取り除く行いである。

多くの恩恵を得ている者たちが、変革によるカビ取りを嫌う。

政治家が世界のキーワードを軽視しては、失敗する。

 

規則というものは、とかく悪用、転用される。むしろ必然か。

ひとまとめにして管理や支配に閉じ込めてしまったりする。

規則外の着想に一瞥もくれない。

 

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案の定、暴走している

2020-05-11 | 政治家を選良と思うのはやめよう

📌

ざっと括れば、

この60余年間を、主に自民党が政権を担ってきた。

その間、私は概ね野党サイドに投票してきた。

理念や政策をにらんでというより、

与党政権の暴走があってはならないという思いだけである。

であるから、与党に拮抗する野党勢力の伸長を期待し、

試行錯誤を繰り返す野党の結集にやきもきしてきた。

つまるところ、私は野党勢力には深く失望している。

特にあの政権交代を高らかに叫んで与党になった民主党の結末については、

いわば社会への裏切りと思っている。

政策やその成果以前に、党内の主導権争いをさらけ出して自壊し、

あっという間に分裂、雲散霧消したのである。

こんな低劣な社会的裏切りがあろうか。

野党勢力の内実が弱点だらけで、

結集力の脆さを国民に見事に露呈してしまった。

 

人気絶頂のボクサーが、大口を叩いて沸かせ、

あっという間にノックアウトされたみっともなさである。

しかも、彼らはその自壊の総括もせず、また小さな山を幾つも作っている。

そして、我らこそ社会の信認を得られると思っているに違いない。

無党派層に語りかけて、説得力があるのだろうか。

七転び八起きは結構だけど、同じ過ちを繰り返さい保証はない。

政党には表にも裏にも結集力が必須であることを彼らは学んだのだろうか。

 

非常にまずい・・、与党政権が暴走してるじゃないか。

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やっぱり、too little too late

2020-04-28 | 政治家を選良と思うのはやめよう

📌

新型コロナ禍の猛威に世界は対処できなかった。

事態を正視せずに、軽く受け止めたがる人々の判断の癖が、

世界に共通してあることが見て取れる。

 

感染症の不気味さを世界が忘れた頃に、それはやってきた。

来る日も来る日も、世界中のウイルス感染拡散をニュースが伝える。

分からないことだらけのウイルスから、どう守れば・・、

世界をなで斬りにして、未知のウイルスが襲いかかっている。

どの国にとっても、医療崩壊や社会基盤が壊れてしまう脅威である。

グローバリズムを可とする世界の裏には、

悪いことをも比例して拡散してしまう道理が控えている。

で、安全も発展も駆逐されつつある。

これから先の世界でも、きっとそんな同じ脅威がやってくるだろう。

 

未知の脅威にこそ、国のリーダーの資質がもろに問われる。

安倍首相にその資質が見えるか。

非常時であっても、その手法はステレオタイプだ。

”too little to late”で、彼は非常事態を決然と指揮できる器ではない。

国会内だけで生きているから、国民に話しかけない。

野党の攻撃を躱すことが、政治家の必要にして充分の能力と心得ているようだ。

感染の不安や社会活動が止まらんばかりの、

こういう時こそ、国の代表として国民に演説をすべきなのだ。

どういうプランで、何を優先するのか、何が不足なのか。

安倍一強などとされているが、調整ばかりに腐心しているのではないのか。

他国のやり方と比べて、優れたところがない。

手際が悪く、悪手ばかり打っている。どうも納得できない。

事柄の優先順位がわかってるとは思えない。

ことほど左様に、

彼が標榜する改憲ですら真正面から進めず、姑息な付け足し修正で済まそうといている。

決然たる使命感を感じさせてくれない。だから説得力がない首相である。

 

📌

安倍内閣は、平然と迷走する。

夫人で迷走・・

新型コロナ迎撃で迷走・・

検事総長人事で迷走・・

改憲で迷走・・

首相の器にふさわしい迷走か・・

要は、彼に骨格がない。国民が一番望む明快さがない。

 

 

 

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政治家は暴れる

2018-10-05 | 政治家を選良と思うのはやめよう

📌

歴史が長くてもその結実が蔑ろにされるなら、文明の進化はない。

政治の制度とその手法は、文明そのものであり、寧ろ核心である。

10億人を超える国の政治を、

いかなる中央政権であっても統治できない。

地勢も因習も宗教も言葉さえ多様なのに、

中央の一存で画一化できると信じることが、

野心的な政治家の愚かなところである。

自治要素を勘案した緩やか統治なら可能かもしれない。

だが政治はいつもセッカチだから、

それができるかどうか非常に疑わしい。

彼らは強権しか方法を知らないのだから。

独裁や強権には、独善という卑しさが潜んでいる。

 

📌

政治家を選良と呼ぶのはやめたい。

理念と決意を全うする政治家は非常に少ない。

政治そのものが、おおかた不条理な強権か妥協の産物である。

 

まず政治家は一般の生活からすぐ離れてしまう、

彼らは政治家同士の軋轢でしか生きていない。

社会を長く見続けるに従って、

政治家個人の選良としての資質に失望する。

ただただ計算高いか、

傲慢さが増大している人物にしか見えなくなってくる。

 

📌

政治家の見識の有り様がさっぱり読めない。

政治家個人の卓説が伝わってくる議員はそんなに多くない。

どの議員も党の主張に準じるであろうことは分かる。

そう、党に服する言動を取るということしか分からない。

選良として当選した翌日から、すっかり党の従僕なんだろう。

仮に、彼が党にとっての員数合わせ議員であろうとも、

本人は社会にリスペクトされるべきと思っている。

 

📌

自分が投票した議員はどんな意見と行動で討議に参加したのか、

立案の際してどんな姿勢を貫いたのか、

その断片すら知る事が少ない。

政党の武器である党議拘束は、

員数議員にとって絶好の口実にも逃げ道にもなる。

異論があっても100%賛成でも議員の声は一様だ。

党議に従うの一点で済む。

 

📌

重要な役職を経ていない議員も、派閥推薦や当選回数を背景に、

その実力が不明でも内閣の一員になる機会が訪れたりする。

スタンドプレーの絶好の機会だが、不見識も露呈してしまう。

官僚の文案を棒読みで済ませたり、軽率な或いは無礼な失言を重ねて、

審議を中断させてしまうお粗末な議員が出てくる。

そのたびに国民は、議員の見識のなさに失望させられている。

個々の議員の政治意識の高さを信じたいのが、どうもそうはいかない。

 

📌

政治家が得意とするワザ

自制の欠如

自省の薄さ

時世の読み違い

 

 

 

 

 
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騒々しい

2017-11-18 | 政治家を選良と思うのはやめよう

 

📌

世の関心の渦中に手を突っ込むことで、シタリとどや顔の人がいる。

公に発言する機会を得ている人が、酔ったように目立つ言葉を発する。

これからあれへと刺激的に手を突っ込んで、どこかで破綻している。

いったい何を言いたいんだ。もっと分かりやすく。

 

政局いじり、話題いじりで論評好みの人物になり果てていないか。

果たして、世に何を知らせんとしているのか。

社会全般に訴求する論理性が見えない。

詰まるところ、社会の裾野を動かしてるのは彼らではない。

 

📌

一人立場の強い人間がいると、

周りの取り巻きがフニャフニャ、ホにゃホにゃになってしまう。

調子に乗って追随するもの、せいぜいうっすらとした抵抗を示す程度だ。

そんな現象を社会の至る所でみかける。

 

それが政治家であれ企業家であれ著名人であっても、彼らを仰ぎ見てはいけない。

彼らは、自分には自動的に敬意が払われるものと思ってるかも知れない。

人々は忘れがちだが、その経歴と人格または品性は、別物と警戒していた方が良い。

職業人としてだけでなく人として、節度や自制心があるのか、目線はどこにあるのか、

状況が変わると図らずとも、彼らの本態が見えてくるものだ。

選ばれた人であっても、心の半分は俗物性タップリとみていた方がいい。

 

📌

市民に説得力のある話が出来る政治家がとても少ない。

ひとたび選良として職責を得るや、まもなく立場を背に軽薄かつ恣意的な

言動をする政治家が頻発している。

その姿勢を問われると、私人としての言動だと愚かなことを言い張る。

政治家は、動くだけで公人としての影響を持つ。

多数を得た選挙民に委ねられている責任が重いからだ。

私人としての行動枠は厳格でなければならないのは、イロハである。

劣化した政治家たちは、発言の撤回や粗末な弁明を恥とも思っていないようだ。

その人格や政治家として資質がすぐに露見していく。

だから人々は、議員を見て優れた人たちと恐れ入ったりしてはいけない。

 

📌

選挙民がどこまで真摯に候補者を選択し、その活動に関心を払っているかは

もっと疑問である。多くの投票者は、選挙公報か選挙期間中の演説以外で彼らを

知る機会がない。名前の連呼に終始する候補者の多い選挙戦で何を知ることが

出来るだろう。

支持政党が明らかな投票者であれば、党派を選択しているのだから、なおさら

当該候補者の政治活動を個別に採点しないのではないか。

さらに、今時の選挙は、無党派層の投票動向がほぼ大勢を決めていく。

だが、候補者に最も遠い存在の無党派層には、その時点で多少とも共感出来る

党派を手がかりとして選択するしかやりようがない。

詰まるところ、候補者の資質優先で投票される要素は希薄なのである。

 

📌

政治家が他の市民より優れているということは全く無い。

だが政治家はそう思っていない。

市民も政治家であるというだけで仰ぎ見る人がいる。

そうした浅見が政治家の活動を歪めていく。

どんな実績を披露されても、人格を保証するものではない。

そうした目線を持っていないと、行政は汚濁していく。

 

📌

自民党には妄動、妄言の軽薄議員が多いが、

党を潰そうという人はいない。

ところが野党には、

加えて党を潰そうという人がいるから不思議だ。

 

 

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多数決の姿

2017-07-13 | 政治家を選良と思うのはやめよう

📌

多数の決が唯一の民主的な政治手法と信じられ、

経世の根拠になっている。

だが全員の幸福は目指せない。少数は常に軽視される。

民主制度は単なる手続きである。

異論は多数を得て正論に変わる。正論は少数の時、異論になる。

 

📌

選挙の際、候補者の見識や良識が審査されることがない。

選挙制度の最もアホなところだ。

投票者の選択眼もユルいので、3バン(地盤・看板・鞄)があれば、

ほぼ選ばれていく。

投票者のレベルでしか政治家は生まれない。

言論が第一義にならず、連呼して多数票を得ればすべて良しである。

選ばれた理由を審査されることも決してない。

他方では、一票の格差さえも長年放置されている。

この民主主義には厳格さがない。国会の怠慢は度を超している。

なぜなら、そうやって選ばれた人たちが集まっているからだ。

 

📌

多数を取った決はそれ以上の審査を受けないから、

決はすなわち社会の正義となる。

烏合の衆の一時的な熱狂でさえ、正義だ。

多数を集めても、具体的な運営者(内閣)はわずかの者たちである。

大きな社会であっても、一握りの人たちの権限で動かされる。

強引な運営、性急な結論、誤った管理の横行も発生する。

民主主義が、教科書どおりには進まない。

やはり利害の偏在を黙認する方便なのだろうか。

そこには、

グルになって利害を共有する事業、政治、官僚、情報がある。

であるなら、社会の命題は、

矛盾を現わす多くの場面で点検を怠らないことである。

 

📌

清新で強い政府が起ち上がっても、

例外なく、惰性と腐敗の常在菌を自らに宿していて、

それは時間とともに培養される。

 

📌

政治家の本分は何かと、教科書のようなことを問うても、むなしく思う事が多い。

国会論議とは、今や単なる言い逃れの場に過ぎないのか。

議席数にかかわらず、政権側に言論を持って信念を述べようという勇気がない。

宿題を忘れた生徒が、ズルいいいわけしているような光景ばかりだ。

憲法論議にしても、正面から入っていかない。隙間や裏口ばかり探している。

加えて、失言や釈明や撤回の横行は、選良たちの不誠実と劣化ばかりが目立つ。

 

📌

与野党の論議の貧困さに、私は寒気を覚える。一党独善の社会さえ誘発しかねない。

批判を封じる政権がのうのうと出現すれば、露骨な排他主義が正義を得てしまう。

政権側が傲慢に立法を策しても、ほとんどブレーキをかけることが出来ていない。

与党は、踊りやすい独善癖の首長を登場させ、崇めるようにその政権に加勢する。

野党勢力の貧困さが、裏を返せば政治の現状の立役者となっている。

 

📌

政治勢力をみて、どうしても野党の有り様を非難したくなる。

野党の責任とは何か、孤塁を守ることか。

それは政治を動かす力になっているのか。

彼らは、政党の作り方の勉強会ばかりに時間を費やしている。

与党に野合だと揶揄されて、その通りに野合に終わってしまう政治的劣等勢力である。

野党の価値と活動に期待して投じられた票は、長年にわたって死票同様になっている。

与党を性悪者へ促してしまうのは、野党の責任だと思う。

奇跡的に、政権奪取を国民から与えられたと思ったら、党内覇権争いで自壊してしまった。

それはとても後味の悪い幻想だった。その総括さえ国民に届いていない。

 

📌

ジャーナリズムの原則と義務は何だろう。

社会がいよいよ複層していくほどに、そのことが気になってしまう。

複層、拡散していく社会は、原則や信義を見えなくしいる。

 

伝播力の強いメディアやそのスタッフの報道の基軸と意思は何なんだろう。

ニュースの信頼性、独立性は保たれているのか。

自己批判力はあるのか。

いまや、多様なITメディアを介して氾濫する無原則な発言との違いは何だ。

 

社会の道筋と経営を、政治の舞台だけに演じさせないのがジャーナリズムの役割である。

政治家ではない側のそれが自由と義務である。

まず、憲法に関する姿勢を明示すべきである。

現社会の運営はそこに発しているからだ。

報道者の識見が、読者の指針になるのかどうか社会に問うべきである。

 

メディアは、論説を果敢に展開すべしである。

それを公開することがそれぞれのメディアの立ち位置であろう。

複数のメディアが現実を目前にして、それぞれの信念と方法を論じることが、

総体としてのジャーナリズムのバランスではないかと思う。

神のような不偏などあるわけなく、それは読者を混迷に導く幻想である。

 
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