世態迷想・・抽斗の書き溜め

虫メガネのようであり、潜望鏡のようでも・・解も掴めず、整わず、抜け道も見つからず

抗えぬ潮流

2022-01-18 | 世間にはいつも毒が・・

 

📌

雑駁に言って、

人々の思考や行動は、受信型にんげん、発信型にんげんに分けられるように思う。

社会の奈辺にあっても、ひとの動きはそう見える。

それが一方に偏りすぎると個人にも集団にも軋轢になる。

 

社会にもカビが生え残る

社会によってそれぞれ違うカビがある。

ペニシリンのように、カビを活かす道もある。

 

社会組織の多くに共通してあるのは、変化を厭う年齢層によるカビである。

政治家に黒カビが残ると、事は厄介である。

率先すベき者たちが、先見できず、中和も叶わずに足踏みしている。

世界の抗えぬ潮流に、かれらは時代錯誤の言動しか表出できない。

 

社会システムに浸透するデジタル化は、否応なしである。

強烈なウイルスによるパンデミック以上である。

旧態の手続きはことごとく解体し、全てが小さなチップに吸い込まれている。

人によるその操作は、見た目にとても簡単かつ瞬時である。

流れは決まっている。

旧態に埋もれた頑固者たちはいまオロオロするしかない。

 

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発言の機会

2021-11-21 | 世間にはいつも毒が・・

 

📌

公に向けて発言の機会を得ている人が、

時として、浅い見識丸出しで傲慢と饒舌を展開する。

稚拙な物議をかもす、ただの言いっ放しも発言の自由の内なのか。

別には得たりとばかりに、喝と宣う人物もいる。

古びた政治家や往年の業界人がカビの生えた見解を得々と発する、

ハズれている。斜め読みとも見えず、時代への嫉妬かとさえ思う。

遭遇している困難はどれも一様じゃない。偏に断じてしまっている。

だが、メディアは、とかく目立ちたがりをむしろ飯の種にする。

今や、マスメディアが確かな情報や世相の実態を覗かせてくれると

信じている人がどれだけいるだろうか。

社会の病因は、マスコミの事象への挑戦度合にその兆候を計ることができる。

ドローンがこれまでの視認に活路を開いたように、

ウェブ通信の伝播力がマスコミを凌駕しかけている。

清濁、軽薄を混在させてその伝播力が凄まじい。

 

 

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彼が吐露した言葉

2021-05-13 | 世間にはいつも毒が・・

 

📌

ずいぶん昔のことだが、業績ある高名な学者の話を伺った際に、

彼が吐露した言葉を時々思い起こす。

「日本には優れた研究者がたくさんいる。それは事実だ。

我が国の問題は、それを誰が評価しているかということだ・・、

成果や論文の発表が国内でなかなか評価されず、

外国の科学誌や学者が取り上げると、それを追認する形でようやく国内で認知される・・

研究者の世界も縦割りなんだ・・」というような内容だった。

それから40年ほど経っているけど、

果たして、今もその硬直な流れは変わっていないのだろうか。

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与する前に

2019-08-06 | 世間にはいつも毒が・・

📌

二者択一には、強い毒が潜在している。

思考停止を促し、複層する課題を強制的に単純化してしまう。

その場限りの果実を得るには効果がある。

人々は案外明快な選択と信じてしまう。

私は与しない。

 

📌

政治家が出来ないことを、美味しそうに語る。

それこそボピュリズムの催淫剤である。

 

📌

社会には、変化を好まない人、消極的な人がいる。

その大半は組織の幹部たちである。

課題は、すべからく応用問題として知恵をしぼること。

 

筋の通った反骨なら、応援したい。

現状の大勢に安易に同調することは、思考停止することと同じだから。

 

平凡の強みは、穏やかで無個性に安住できる優しさである。

 

やはり、何事にも合理的な根拠を求めた方いい。

そうでないと、盲信やねつ造で真相が忘れ去られてしまう。

 

弱肉強食と共生は対極にあるが、共振関係にある。

その緊張で世界が成立している。

 

”沈黙は同意なのです”、よく耳にする言葉である。

 

 

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性悪説

2018-03-17 | 世間にはいつも毒が・・

 

 📌

世界に絶える事なく続出している悲惨な状況を見ていくと、

荀子の性悪説には、

人間社会の必然を示す科学性があるように思えてしまう。

俗説ではなく、人間や組織や社会の帰結を裏付ける明察ではないのか。

性善説は幻想に近い願望であって、

性悪説こそ現実、人間の本態であることを歴史は述べていないだろうか。

いわば心理の生態系は、

常に”利己アメーバ”の増殖に脅かされる条件下にある。

”性悪科学”への防御を構築する熱意が失われると、

人間社会は性悪工程に切り替えられる。

 

 

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饒舌なせりふ

2017-11-20 | 世間にはいつも毒が・・

 

 📌

優れた推理ドラマこそ、脚本や演出の真骨頂であると思うが、

日本のTV各局の推理ドラマは、不愉快なほど饒舌な物が多い。

仕組まれた伏線やヒントの欠片や表情から読み取らせるなど、

視聴者の推理を誘う要素がとても少ない。

それをやらずに、出演者に多くの要素を喋らせてしまう。

推理の楽しみ台無し、もってのほかだ。

簡単な組み立てしか出来ない機械で加工された廉価製品並みの演出である。

 

役者も台詞さえ言えば演者として成立してしまっている。

パターン化した表情以外の演技が出てこない。

そのマンネリだからこそ売れているのだろうか?

陳腐な中身が見え見えの昔の見世物小屋の演し物みたいで、毎度がっかりである。

脚本家は台詞で物語を進行するより、もっとプロットやト書きを重視すべきだ。

まさか視聴者を、推理を楽しめないアホと思ってるのだろうか。

 

📌

ドラマの中の”いい刑事”が、

まるで人生の先輩面した説教をする場面も多い。

これも陳腐だ。

TVドラマの脚本が進化しない原因のひとつだ。

警察官に誰も説教をする役割を求めらていないはずだ。

刑事力の濃淡を楽しむドラマのはずだ。

しかも歯の浮くような現実離れした説教である。

出演者の演技もまるで芋版である。

 

警察官の実像だと錯覚せしめる悪い表現である。

心情的な味付けを、多弁が台無しにしている。

視聴者は行間を楽しめない。

台詞は短い方が、繊細さや鋭さがにじみ出る。

 

捜査官は違法な行為を明確に指摘し、摘発する事に終始するのが職務だ。

現実の警察官が職務を錯覚して、

ドラマ並みに道学者風な説教し始めたら世の中おかしくなってしまう。

 
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社会の動機

2017-07-13 | 世間にはいつも毒が・・

📌

不平不満の現し方、恥の感じ方、惻隠の情、

それらは、社会が違えばその基準が異なっている。

 

📌

社会の変容が怖い。

不寛容や偏見や差別がじわりじわりと人々の心に根付いてしまう。

 

社会はアジテーションに弱い。

デモ隊が足並みを揃えるために、

最前列に長い横竿を渡して行進する光景があった。

竿の片方の端にいる者が足の運びを加減すれば、

何千人のデモ隊であっても、その長い隊列が大きく蛇行し始める。

扇動は容易いのだろう、きっとコレと同じに違いない。

 

アジテーターが衆目を集めるなら、

その社会は迷路の入り口に立っている。

社会は扇動に弱い。現状打破に幻の出口を指し示すからだ。

 

📌

人間社会の動機は、ただただ、他者との比較で成り立っている。

比較は世界の動機を触発する。

 

世界は、概ね、少数の愉快と大多数の不愉快で成り立っている。

 

📌 

契約は、性悪説に立つべし。

当事者間の契約事項遂行に異変が起きた場合の対処法を具体的、

細目にわたって記したものにすべきである。

「問題発生時に双方誠意を持って協議する・・」などと

省略してはいけない。

誠意の質量はどちらにも計れない。

契約とは信頼の仮面であるから、

契約の本質は利の共有を確認するだけでなく、

悪意の発生を予測し防御する事にある。

ここでは徹底して性悪説を前提にするべきである。

 

📌

人生の終末を実感し始めている年老いた人々の寂しさと怖れに、

追い打ちをかけるような社会であってはならない。

そんな傲慢な社会の運営をしてはならない。

 

📌

人は、論理的なことと感情的なことの間で、

いつも揺れ動き、曖昧になる。

曖昧は解決につながらないが、人の逃げ場になる。

 

📌

気候風土、敷衍して社会的風土

地球上で人は同じ営みをしているように見えるが、違いも大きい。

地理や気候の違いが、

人々にそれぞれ特有の生活の仕方を身につけさせる。

そこで何世代も連綿と共同社会が続けられる。

特有の慣習や伝統、信仰、道徳基準などに揉まれ揉まれて人が

育っていく。

その社会風土が民族の特有の価値観を産んで、しかも頑迷である。

 

互いの社会的風土の微妙な違いは、他の民族や国との間で

不理解を生む。

違う風土の社会とその人間を排除しようとする。

それは自衛策であって、その社会の正義になる。

地球の隅々まで苦もなく往来ができて、

自由な通信が世界中を駆け巡っても、

異文化の柔軟な受け入れや理解は容易なことではない。

世界は画一的にならない方が良い。

だが、異文化の相互理解が届かず不寛容なら、

その必然として紛争の芽が育つ。

積極的な融合は一進一退である。

 

📌

衣服を脱いでしまえば、人の姿はわかりやすい。

世界の姿も同じだ、その全像は言葉やモノで巧みに飾られ、

私たちはその幻想に酔いしれる。

だが、修飾を1枚ずつ剥ぐ毎に、社会の動機が見えてくる。

欲望と手法が汗をかいて熱演しているはずだ。

 

📌

人間の思考は、すべてに超越して、動機に由来している。

何事も”比べる”ことによって、価値を見いだしその方向に進む。

それ以外の法則は、発生しようがない。

引力が宇宙の法則なら、

人間の思考に存在するのは、”比べる”という引力である。

 

📌

世界の平和・・という言葉を使うのはやめた方が良い。

 いわば信仰であって、現実と幻想の間をさまよう無力を想起させる。

 人類の歴史を覗けば、それがむしろ無定見な妄想であることが理解できるはずだ。

 美しく聞こえる枕言葉としても、愚かな使い方だ。

 世界の絶え間ない努力は、紛争や殺戮を減らしたいという現実に直面して、

 わずかな成果を上げることが出来るだけだ。

 これは失望ではなく、絶え間ない方策の積み重ねで漸く小さな平穏に近づける。

 世界の現実である。

 

📌

 人々は、凌いで凌いで生き抜いてきた。濁流も清流もない。混沌の流れを藻掻いて、

 我欲と渇望と正義の混濁を飲んで毎日を過ごしている。

 政治が為す事柄の半分は、問題解消の正解とは言えないだろう。

 そうした政治的な進行が繰り返し繰り返し行われて、世界史は組み上がってきている。

 多勢に乗っかる軽薄な野次馬が多すぎる。

 

📌

今の世で、天皇家はなぜにこうも敬われるのか、改めて問われることはすくない。

 天皇は語らないが、政治家や識者があれこれ宣う。

 天皇家は国家の人形かと思わされる。

 なぜ女性の天皇を認めたくないのか。

 なぜ男性が相応しいと思うのか。

 錯誤の論調を知って驚いてしまう。偏狭でしかも頑迷だ。

平成天皇が自らの退位を望まれた際も、

 憲法を楯にとって、象徴の役割を終身に閉じ込めたかったのか。

 彼らは天皇個人ではなく、天皇制を敬っているだけなのだろう。

 

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