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不平不満の現し方、恥の感じ方、惻隠の情、
それらは、社会が違えばその基準が異なっている。
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社会の変容が怖い。
不寛容や偏見や差別がじわりじわりと人々の心に根付いてしまう。
社会はアジテーションに弱い。
デモ隊が足並みを揃えるために、
最前列に長い横竿を渡して行進する光景があった。
竿の片方の端にいる者が足の運びを加減すれば、
何千人のデモ隊であっても、その長い隊列が大きく蛇行し始める。
扇動は容易いのだろう、きっとコレと同じに違いない。
アジテーターが衆目を集めるなら、
その社会は迷路の入り口に立っている。
社会は扇動に弱い。現状打破に幻の出口を指し示すからだ。
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人間社会の動機は、ただただ、他者との比較で成り立っている。
比較は世界の動機を触発する。
世界は、概ね、少数の愉快と大多数の不愉快で成り立っている。
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契約は、性悪説に立つべし。
当事者間の契約事項遂行に異変が起きた場合の対処法を具体的、
細目にわたって記したものにすべきである。
「問題発生時に双方誠意を持って協議する・・」などと
省略してはいけない。
誠意の質量はどちらにも計れない。
契約とは信頼の仮面であるから、
契約の本質は利の共有を確認するだけでなく、
悪意の発生を予測し防御する事にある。
ここでは徹底して性悪説を前提にするべきである。
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人生の終末を実感し始めている年老いた人々の寂しさと怖れに、
追い打ちをかけるような社会であってはならない。
そんな傲慢な社会の運営をしてはならない。
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人は、論理的なことと感情的なことの間で、
いつも揺れ動き、曖昧になる。
曖昧は解決につながらないが、人の逃げ場になる。
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気候風土、敷衍して社会的風土
地球上で人は同じ営みをしているように見えるが、違いも大きい。
地理や気候の違いが、
人々にそれぞれ特有の生活の仕方を身につけさせる。
そこで何世代も連綿と共同社会が続けられる。
特有の慣習や伝統、信仰、道徳基準などに揉まれ揉まれて人が
育っていく。
その社会風土が民族の特有の価値観を産んで、しかも頑迷である。
互いの社会的風土の微妙な違いは、他の民族や国との間で
不理解を生む。
違う風土の社会とその人間を排除しようとする。
それは自衛策であって、その社会の正義になる。
地球の隅々まで苦もなく往来ができて、
自由な通信が世界中を駆け巡っても、
異文化の柔軟な受け入れや理解は容易なことではない。
世界は画一的にならない方が良い。
だが、異文化の相互理解が届かず不寛容なら、
その必然として紛争の芽が育つ。
積極的な融合は一進一退である。
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衣服を脱いでしまえば、人の姿はわかりやすい。
世界の姿も同じだ、その全像は言葉やモノで巧みに飾られ、
私たちはその幻想に酔いしれる。
だが、修飾を1枚ずつ剥ぐ毎に、社会の動機が見えてくる。
欲望と手法が汗をかいて熱演しているはずだ。
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人間の思考は、すべてに超越して、動機に由来している。
何事も”比べる”ことによって、価値を見いだしその方向に進む。
それ以外の法則は、発生しようがない。
引力が宇宙の法則なら、
人間の思考に存在するのは、”比べる”という引力である。
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世界の平和・・という言葉を使うのはやめた方が良い。
いわば信仰であって、現実と幻想の間をさまよう無力を想起させる。
人類の歴史を覗けば、それがむしろ無定見な妄想であることが理解できるはずだ。
美しく聞こえる枕言葉としても、愚かな使い方だ。
世界の絶え間ない努力は、紛争や殺戮を減らしたいという現実に直面して、
わずかな成果を上げることが出来るだけだ。
これは失望ではなく、絶え間ない方策の積み重ねで漸く小さな平穏に近づける。
世界の現実である。
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人々は、凌いで凌いで生き抜いてきた。濁流も清流もない。混沌の流れを藻掻いて、
我欲と渇望と正義の混濁を飲んで毎日を過ごしている。
政治が為す事柄の半分は、問題解消の正解とは言えないだろう。
そうした政治的な進行が繰り返し繰り返し行われて、世界史は組み上がってきている。
多勢に乗っかる軽薄な野次馬が多すぎる。
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今の世で、天皇家はなぜにこうも敬われるのか、改めて問われることはすくない。
天皇は語らないが、政治家や識者があれこれ宣う。
天皇家は国家の人形かと思わされる。
なぜ女性の天皇を認めたくないのか。
なぜ男性が相応しいと思うのか。
錯誤の論調を知って驚いてしまう。偏狭でしかも頑迷だ。
平成天皇が自らの退位を望まれた際も、
憲法を楯にとって、象徴の役割を終身に閉じ込めたかったのか。
彼らは天皇個人ではなく、天皇制を敬っているだけなのだろう。