骨格も内臓も 灰色なる老いを知りてか 歩み合わせよ
混み合った 医院の椅子の 素っ気なさ
混み合いで むしろ和らぐ 受診待ち
高齢と 呼ばれて久し また師走
誰もいぬ 病院廊下 我ひとり
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あの時、遺体の額に手を当てその冷たさに、母の生命の果てたことを実感した。
衰弱した病床の父との最後の目の会話も焼き付いている。
言いようのない寂しさと静かさを覚えた。
あれから40年は過ぎてしまった。
その私が80余歳となっている。
生命の限りを思う日々である。
そうではあるけど、親への想いに過ぎ去った時間は邪魔をしない。
写真と共に様々な親の顔、祖母の顔がすぐそこに浮かぶ。
疾うに存在しないのに情が重なって重なって過ぎっていく。
情感とは不思議なものである。
そして、また年が暮れる師走が来てしまった。
僕もいずれ、娘や孫にそういう想いを誘うのだろうと思う。
僕はそれを察知もしない、後の者だけに思い出す情感が過ぎる。
それが一番だ。
それで充分だ。
霊があるなんかと祈ったりしないでくれ。