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形だけの民主主義は、愚民政治を産むだけ。
討論、ディベイト・・、論戦の中でメリット、デメリットが明確になったことがない。
議論と手続きと選択が民主主義の武器であるなら、その過程に時間がかかる。
為政者にはその時間が苦々しい。先を急ぎたい。
議論を早く収拾せんがために、強引に多数決が活用しようとする。
常套手段である。
1票でも少なければ、異論は採決の場で終わった議論として、
見事に遠ざけられてしまう。
恩恵も不利も孕んだ決定が、現実のものさし、法として活用される。
必然として、その法は必ずしも平等ではなく、軽視される層が産まれてしまう。
四方に満点の政策は、論理上ありえない。
だが近似値に近づけようとすることはできる。
だが、愚民政治はメリットだけを膨らまし、デメリットに布を被せ、滔々と宣伝する。
大方の国民は、社会的な催眠状態に陥る。
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愚民政治に陥る大きな要素に、選挙システムが有る。
議員一人一人について国民の審査が、形ばかりの選挙で終わってしまう。
一回試験に通れば、どんな質量の活動をしているのか、4年間問われない。
選出された議員は、所属した政党に従順である。
それ以外の主張に見向きもしなくなる。党内の価値から、外に出なくなる。
どんな政治理念であれ、社会運営の一方策である。
市民の何をもって幸福とするのか、
その体制を別のそれと比較して、
どれだけ市民の幸福と安全保障に妥当性を持ってるかが命題となる。
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社会運営の渦中にある全ての市民は、
蟻のように多様なフェロモンで行動してわけではない。
施行されている法の枠内、あるいは倫理のなかで各々の社会を生きている。
組織や管理された社会で、活力が生み出されたり、救済をうけたり、
強い縛りを受けたり、誘導されたりと、生活の一つ一つが枠の中にある。
すべからく個人はそれに呼応するすることが求められる。
だが様々な運営に気づかぬままに姿を現し始めるのが、少数者たちの支配である。
どんな組織にも、いつの間にか専制的な運営が根付いたりする。
それらの多くは、市民の関心が薄いなかで、政権が堕落するか、恣意的に暴走する。
懐疑的な視点を怠らず、現実の政治を見続けなければならない。
市民にとって最も危険なことは、独裁政治である。
法と倫理が独善的に変異してしまう。恐怖と暗示で人々を思考停止にしてしまう。
極めて少数の人間が、圧倒的大多数の市民を思うままに操作する。