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北朝鮮を見ても,中国を見ても,
社会主義的体制は、その前提として一括統制、排除、専横で成立つ政治だよ。
仮に国民は不満でも,窮屈でも黙ってしまうからね。それが狙いさ。
支配者が社会をマウントするために、強烈な統制が威力ある武器なのさ。
内を向かっても,外に向かっても排他一本でゴリ押しする官僚構造なんだよ。
見方を変えれば、統制を強めることでやっと社会を動かしてるだけよ。
強固であればあるほど、一般庶民は発想も行動も箱詰めにされる。
民主社会も弱点が多いが言論や行動の規制が、強権社会よりはるかに
少ないだけでも得点だよ。
世界の実状は、しかし強権政治の国が数多くある。
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久々に共産党の委員長が交代した。
知るかぎり、日本の共産党はこの70年ほどずっと投票率は7%前後のようだ。
70年も国民に余りアピールできていない証左であろう。
7%分の投票は実際の政治場面で影響力を持てない死票同然とも言える。
この党はこの80年の間委員長が3人しか変わっていない。
今度でやっと4人目だよ。
優秀なスタッフが党内にたくさんいると思われるのに。
実状はカリスマを温存して,いかにも纏まった組織を演出しいる。
内部批判があれば,すぐに駆除されていると思わざるを得ない。
それだけ見れば、非常に閉鎖的、排他的な団体なのかな。
そんな政党が政治の主役になったら、一般市民はとても息苦しくなるさ。
だから庶民の味方を装って,
今のまま外野席からヤジる一面的な教室政党でいいんじゃないの。
習わなかったかな、政治は詰まるところ、最大多数の最大幸福なんだよ。
その道筋がどうあるかが政治であって、現実をひとつひとつ改善していくことさ。政党も政治も企業もどんな組織も、小数の幹部が権勢を駆使する。
しかもその奥には、密かな独善的な権勢欲が潜在しているものだ。
組織内の特有の価値が正義になる。権勢はそのエンジンになる。
組織内で発動される正義は,一般人の常識とはかけ離れたものになりやすい。
なんであれ,政党は明確な基軸と方策の提案力が生命である。
対立する勢力への批判は,政治活動のほんの一部に過ぎない。
批判を常道とするだけでは,国民大多数への説得力を持たない。
自らの提案の基軸と具体策に説得力が無ければ,批判が生きてこない。
仮に政権を取っても,社会の実態はなかなか改善しないものだ。
現実の社会は根深い矛盾だらけで、一政体の政治家の意気込みだけで溶けるようなものではない。
社会に潜む生活感や価値観には根強い歴史の積み重ねがあるので、
その現実は複層していて利害も矛盾だらけである。
もともと、イデオロギーで社会の運営が出来ると思うのが、大間違い。
何主義であれ、強権か、より民主的運営かのどちらかしかないのである。
しかも、民主主義はいわば歴史上の新参者である。
長い間,強権こそ世界史の主役であった。
思うに、素晴らしい政体というものはないと思う。
比較として、許容できるか否かである。
社会の各層が成熟していると、強権には敏感に反応する。
逆に,情報に疎い国民を誘導するのは楽なのである。
情報を独占し、オープンな情報流通をさせない戦略が手っ取り早いのだ。
強権は、統制力で望む結果を早く上げたい。
民主的な運営は、意見の調整が命なのでその妥協点を得るまでに時間がかかる。
後進的な政体は、社会の構築を急ぐあまりに、極端な統制力を発揮したがる。
統制と人の自由が摩擦を生み、あらかたは暴力が主役となっている。