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ある年の1月2日にフランクフルトから成田への便で、
座席に3組しか乗客がいなくて、
全座席を独占したような気分を味わったことがある。
CA諸氏もリラックスしてた。
このフライトは航空会社にとって大赤字だ。
ある時の成田行きの機内でまもなく日本というとき、
賑やかなイタリア人の団体20人の誰かが歌い始め、
ついで陽気な合唱になった。うるさいことに変わりがないが、
こちらも気分が良くなっていた。
あの明るさは許せる。
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ニュージーランドのウエリントン空港、
国内移動の便で事前に購入した航空券予約の搭乗日が、
もう過ぎていることを係員に指摘された。
一ヶ月前に購入したオークランド営業所の入力ミスである。
気がつかなかった。こちらのミスではないことをもろもろ訴えると、
係りの女性は了解してくれ、処理にしばらく時間がいると言われた。
2時間ぐらい余裕をとっていたので、
30分ぐらい空港散策をして件の女性スタッフを訪ねたら、
未だだと言う。
様子を見てみると、分厚いマニュアル本と格闘中なのである。
どうやら、彼女が扱う初めてのケースらしい。
さもあろうと思い、お茶でも飲むことにした。
さらに30分ぐらい、まだ奮闘中であった。
こちらもさすがに焦ったが、このスタッフに悪い印象は起きなかった。
さらに30分後、ようやく航空券は有効になった。
やれやれである。
件のスタッフはマニュアルと一人で闘って達成感があるのか、
どこかしら誇らしげにみえた。
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ちょっと古い話・・
ナイジェリアのラゴスで、
トラべラーズ・チェック5万円相当のドルを現地通貨に換金しようとして、
英国系の銀行に朝から出かけた。
銀行員の前で署名を済ませ待つことにした。
広くないロビーに座れる椅子はない。
銀行員がTCの処理をしているのが見える。
だが、待っても待っても呼び出しがかからない。
アピールしたら、
英国人のスタッフが出てきて、現地スタッフにアドバイスし始めた。
その英国人は私に申し分けなさそうに、
TCの扱いを教育しながら作業をさせていることを説明した。
結局、午前中は待つことでつぶれた。
これもラゴスでの話、外国人が多く宿泊するホテルに1週間居た。
ある日ホテルのマネージャーから会いたいと言われ、
別の客室に誘い入れられた。
何事かと思ったら、
我々クルーが相当ドルを持っていると踏んだらしく、
上限を問わずドルを買いたいと言う。
彼が示したレートはとても良かったけど、この国の外に出ればほとんど価値がない。
必要もなかったので丁寧に断った。
彼はとても残念そうで、このことは内密にしてくれと言った。
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ナイジェリアのオニチャが主な滞在地で、2週間ほどいた。
かつて、ビアフラ戦争で極度の飢餓と虐殺に襲われた一帯である。
このオニチャから首都のアブジャまで500㎞弱を車で移動したときのこと。
オニチャでずっと付き合ってくれたイボ族君の運転である。
彼はがっしりした体躯で表情にも迫力がある。
運転はそこのけそこのけで結構荒いが、
僕らに対してのフットワークは悪くない。
ただしお腹が減るとコロッと機嫌が悪くなるので、
対策としていつもバナナやパンを用意していた。
その強気な運転の彼が、
アブジャ行きでまるで別人のように丁寧な運転手に変身した。
不思議に思って彼に訊ねたら、
移動しているこのあたりの人たちとは種族が違うから、
本気で怖いのだと言う。ずっと神妙な顔をしている。
つまり行きたくない土地なのである。
確かに、
車窓から見える人々の風貌はなるほどイボ族と違っている。
この一帯で自動車事故でも起こせば、
間違いなくその場で半殺しに遭うというのだ。
万が一事故を起こしたらと問うと、
もう必死になってイボ族の警官を探すと言った。
探せなかったらアウトだと大真面目で怖がっていた。
アフリカの人々の種族間の警戒心、嫌悪感は根深い。
日本人の想像をはるかに超える。
教育水準や宗教以前に、同族意識や親戚意識が強烈だから
、国内政治の権力争いが激しい。
異なる種族からみれば明らかな汚職でも、
同種族にすれば恩恵なのである。
種族が混在する国の紛争は、
この先も尽きることがないように僕は思う。
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ザンビアのルサカからロンドンへの移動予定を早めようとしたときのこと。
所持していたのはザンビア航空のロンドン行き航空券だったが、
都合のいい便がなかったので英国航空を使うことにした。
エンドースメント可能の券なので、ザンビア航空の窓口に行った。
だが窓口ではこの手続きをかなり渋られた。
窓口女性は不機嫌なうえ粘り強かった。
今日はなんと不幸な仕事日なんだと言わんばかりだ。
裏書きを歓迎する航空会社があるとは思わないが、
客を逃がすなと上司からきつく釘を刺されている様子が窺えた。
ちょっと気の毒にも思ったがこちらも翻意する気はなかった。
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ドイツに2ヶ月ほど滞在し、20都市ぐらい回った。
最初の宿泊先ボンだけ2泊分の予約があったが、
他はほとんど駅の案内所でホテルを探した。
飛行機での移動は2回だけで、好んで鉄道で移動した。
駅の時刻表とにらめっこして、ゲーム感覚で該当する列車を割り出すのが痛快だった。
切符もその都度窓口で求めた。
言葉が通じないときはメモを示して、窓口を回った。
シーズンを外れてなかったが、ほぼ予算通りのホテルがとれた。
一流ホテルは前述のボンのホテルだけである。
宿泊した宿はどこも清潔で不快な思いをしたことがない。
ある大きいホテルで、
枕元にありがとうメモをつけてチップを置いてもそのまま残してあった。
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ルーマニア、ブカレストである日、
どこでもイイから汽車に乗ろうと思いついて、まるで情報をもたないまま、
普通列車で100キロぐらい離れた駅を目指し、日帰り往復した。
列車は古いコンパートメントで座席は木製、
そこに明らかにロマと思われる母娘が乗ってきた。
好奇心がつのり僕はその幼い子をあやし、色鉛筆や飴を差し出した、
母は素っ気なく、素早くそれを受け取った。
しばらくして幼い子が座席でオシッコをしてしまった。
母は慌てる様子も見せず、一言も発せず、
たっぷりと長い自分のスカートでオシッコを拭った。
終始、何事もなかったように無表情であった。
その振る舞いにちょっとびっくりした。
まもなく検札が来た、その母が車掌になにか懇願している。
切符をなくしたと言ってるようだったが、結局追い出された。
車掌が僕に向かって何か言った。彼らはいつもこうなんだ、嘘ばっかりだ、
というような意味だと僕は理解したのだった。
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東欧のある国で、空路の搭乗券の変更が必要になり、
営業時間ギリギリの旅行代理店に飛び込んだ。
だが、窓口の女性は僕の下手な英語では、問いの細目を理解できないようだった。
どうも埒があかない。すると女性はドイツ語を話せるかと聞いてきた。
僕が首を横に振ると、フランス語は?スペイン語は?と言う。
日本語は?と言ってくれれば良かったんだが・・、
僕を見てどれもダメなようだと悟った彼女は、
しょうがないと言わんばかりに肩を大きくすくめた。
彼女は所持するチケットの航空会社のオフィスに行け、
この時間でも空港のオフィスならOKだと、教えてくれた。
結局その通りにして事なきを得た。
僕は変更に手間を食った事より、
代理店の彼女が数カ国語を理解できるのだということを知って、ずっと驚いていた。
ああ、やっぱりヨーロッパなんだなあ‥と妙に感心した。
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ケニア モンバサの海沿いのリゾート風ホテルに2週間滞在した。
退去するとき、顔見知りになっていた陽気なボーイ君に、
そこそこ新しい長袖シャツをあげることにした。
彼は喜んでいたが、僕が確かにプレゼントしたモノだと自筆でメモにしてくれと言う。
問われたとき盗んだモノでないことを証明出来ないと首になるようだ。
一流ホテルの職を失うような疑いを持たれる振る舞いは、絶対避けたいのだ。
この国の就職事情を思えば、上等なホテルのボーイ職はめったなことでは手放せない。
彼の心配は当然だ、よく分かる。
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ロンドンで地下鉄から外へ出る長いエスカレータを降りたとき、
後ろの人に背中に何かついていると言われた。
上着を脱ぐとビスケットをとかしたようなモノだった。
これがよくあるスリの手口かとピンときた、
まさかこの手を食らうとは思っていなかった。
注意してくれたその男がやったに違いないが、証拠がない。
あちらで脱いで拭きとったほうがいいと、優しい声で盛んに勧めてくる。
一応礼を言う振りで相手にしなかった。
それ以上はマズイと思ったか、男は去って行った。
汚れは大したことなかったが、ぼんやりした観光客に見られたことが悔しかった。
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ベルリンで見事にぼったくりバーに沈んだことがある。
あと数日で帰国するというとき、
同僚と二人で少し飲むつもりで夕闇の街をふらついた。
わざとらしい気配もなく、二人連れの若い女性と言葉を交わす機会が出来た。
互いに不十分な英語、女性たちは日本に旅行したことがあるといい、
幾つかの言葉を披露してくれた。
一緒に飲もうということになり手頃なバーに入った。
怪しげな匂いはしない。
賑やかにワインを飲んだ。ダンスなどにも興じ、
1時間以上は経っていただろうか。
いい飲み会だったなと思い会計をしにカウンターに行った。
伝票を見た途端、
僕は同僚に向かって日本語で叫んだ「やられたよ!」
25万円相当の会計である。
当然ながら店に文句を言った。
だが座席の横には証拠だと言わんばかりに、同じ銘柄のワインの空瓶がずらり。
酒に強い同僚がいてもこんなには飲まない。
どう考えてもインチキだ。我々は間抜けだ。
この場面でも女性たちは店とグルだという感じを見せなかった。
大した演技だ。
こうなっては、請求を変えさせることは難しいなと思わされた。
さて、いずれにしても手元にそんな額の持ち合わせはない。
僕が人質になり、付け馬ありで同僚がホテルに現金を取りに行った。
残り数日の滞在なのでドルしかなく、同僚はホテルで換金するしかなかった。
深夜に多めの両替なのでホテルマンは少し訝ったようだが、
同僚は訴えなかった。
付け馬は通報されるのを警戒してホテルマンの死角に立っていたという。
彼が付け馬と帰ってくるまで、どうせボラれたんだからと諦めて、
僕は件の女性たちとダンスしながら待っていたという次第。
ぼったくりの典型的なワナに嵌まったのだ。愚かな完敗、あほ。
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異国語は苦手だな・・
単語は知っていてもなかなかスムーズな言葉にならなかった。
英単語も通じない場合では、なおさら困る。
そのくせ地元の人しかいないような所に僕は行きたがる。
簡単な問いなら、たどたどしく話して相手を混乱させるより、
日本語で躊躇なく発する方がニュアンスが伝わり易いように思っている。
日本でも外国人に母国語で尋ねられると、
分かってやろうという気持ちが強くになるものだ。
モノを買うときはまあ上手くいく。
売る方も買う方も互いの目的は同じだから。
田舎食堂でも「これとこれを下さい・・」と指さしと日本語で充分伝わる。
そういう僕を目撃した日本の学生君に、なるほどと驚かれたことがある。
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アフリカの英語圏の国に行ったとき、
通訳なしで現地の人と1週間同道することになった。
僕だけでなく彼も不安そうだった。
はじめに「僕は英語をうまく使えない、あなたは日本語を知らない。
でも僕たちのコミニュケーションはきっと上手くいく・・」と言ったら
彼の表情が緩んだ。
で結局、この時の仕事は、彼の優秀さに助けられてスムーズに進んだ。