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ゼッケン (これは永久欠番となり、二度と使われない私だけの番号です)
・参加賞の手ぬぐい・帽子 など
報告、遅れましたが、
8月30日(土)
“第11回立山登山マラニック”
参加してきました。
結果は、
室堂エイド(60キロ地点)の制限(スタートから9時間)
に間に合わず(9時間30分程かかりました)
その先に進むことが出来ませんでした
……☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆……
8月29日(金)
Y田さんの車に乗せてもらい宿泊先の
“富山地鉄ホテル”へ。
ホテルロビーで受け付け後、
駅前の居酒屋で夕食、
近所のコンビニで朝ご飯のおにぎりなどを購入。
部屋に帰り、シャワーを浴び、
21時半頃ベッドに入る。
0時過ぎに一度目が覚め、その後は、
30分おきぐらいに起きてしまう。
1時50分頃起床。
昨晩買っておいたおにぎりとお茶、バナナなどで朝食。
2時45分頃に部屋を出、
大会のバスでスタート地点の“浜黒崎キャンプ場”へ。
午前4時 「えい、えい、お~~!!」のかけ声でスタート。
トイレで手間取ったため、一番後ろからのスタート。
真っ暗、道が狭い、昨日までの雨で水たまりだらけ、
なかなか前に出られない。
懐中電灯で足下を照らし、
水たまりにはまらないよう注意しながら少しずつペースを上げるよう頑張る。
スタートしてから1時間過ぎた頃からうっすら明るくなり始め、走りやすくなる。
汗はかいているがあまり暑くないので予定より速いペースが維持できている。
19キロ地点の“岩峅・雄山神社エイド”には2時間9分で到着。
ここまでは普通のマラソンのようなコースだったが、
徐々に傾斜がきつくなり、
36キロ地点の“立山駅エイド”までは、
予定よりも10分も遅く、4時間38分もかかってしまった。
これからが本格的登りなのにこれはヤバイ。
“悪城の壁”を右に見ながらキツイ坂道を歩くように走る。
遙か前方に“称名滝”が見えてきた。
この辺りまでは、曇っていたのだが、
42キロ地点の“称名滝レストハウス前エイド”から雨が降り始め、
最大の難所“八郎坂”では本降りになり、
道に水が流れ出し、沢登りのような状態になってしまった。
因みに、
“称名滝レストハウス前エイド”までは、6時間1分、
“八郎坂”を登るのに1時間20分もかかってしまった。
雨が降って身体はびちょびちょ、
寒いは、足は痙るは、
時間がかかりすぎてるは、
撮影どころではありません、ここからは写真無し。
50キロ地点の“弘法エイド”は、8時間3分で通過。
この時点で“室堂エイド”を制限時間内に通過することは不可能と確信する。
しかし、今後のための練習にと、
出来る限りの力を振り絞り、
“室堂エイド”を自力で目指す。
“追分”へ向かう木道はかなり飛ばした。
しかし、舗装道路に出てからは、
寒さのため、体中の震えが止まらなくなり、
身体が思うように動かない。
靴の紐がほどけたのだが、
手がかじかんでなかなか結べない。
いらいらと気ばかりが焦る。
やっとの事で紐が結べて走り出すが、
少し走ると、余計に風をきつく受け寒さが増す。
どうしようもなくなり、
大きな声で歌を歌いながら走り、身体を温めることにした。
いろんなのを歌ったが、
母校“D志社”の応援歌、
「若草萌えて~♪♪」
と
「D志社ヒーローズ♪♪♪♪」
この2曲が一番効いた。
標高2千数百メートルの雨ジャジャ降りの道路で、
薄着してブルブル震え、
大声で歌いながら走ってる“おっさん”
想像してください
迎えてくださるボランティアの皆さんに
「寒い~~!!」と叫びながら、
“室堂エイド”に到着。
出発してから約9時間30分がたっていました。
ここで頂いた、
温か~~い“お粥”
美味しかった~~~!!!
生き返りました
ここで、私の“立山登山マラニック”は終了。
荷物を頂き“雷鳥荘”へ向かいました。
話には聞いてましたが、
この“雷鳥荘”までの道、
疲れた身体には、きつかった
初めて経験した、タイムアウト。
その時は、あまりのしんどさに悔しさはありませんでした。
次の日は晴天。
身体は疲れていますが、
自力で登ってきた標高2500メートル地点を満喫するため、
早起きして“地獄谷巡り”等を楽しみました。
“みくりが池”
“室堂バスターミナル”から富山市を臨む。
“富山湾”が見えます。
(右下の部分、中央左側の二カ所の白い部分は残雪です)
京都に帰ってきたあくる日、
“ウォーキングの部”を完踏されたY田さんから、次の写真が送られてきました。
タイムアウトした私が行くことの出来なかった、
“雄山”の風景です。
生で見たかった
それまで全然感じていなかった悔しさが……
注文しておいた本が、今日、着きました。
これ読んで、8月30日のことを思い出し、
次は完走できるよう、作戦を立てるつもりです