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病気 ケネス・ワプニック  Ph.D.

2025-02-07 11:26:05 | 奇跡講座

病気 ケネス・ワプニック  Ph.D.

Illness
Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=EpFlO7Q3uic

Kenneth: 何か質問はありますか?

質問者: 私は病気の問題を抱えていて、前回ここに来てから、あることに気づきました。私はこのアイデンティティを手放そうとしているんです。イエスに、なぜ私がこの病気を経験しているのかと尋ねたとき、私の中にそう浮かび上がってきたんです。私は子供の頃からずっと抱えてきたこのアイデンティティのしがみつきを手放そうとしていますが、未来がどうなるかを知らないと、手放せないような気がするんです。 どうすればいいのでしょう?

Kenneth: それはある意味、エゴの罠なんです。今朝早くにも言ったように、それは自分自身を失うことだと思わない方がいいんです。プロセスが進むにつれて、パム(Pam)としての自分を失うのではなく、憂鬱、不安、心配、怒りなど、あなたを苦しめるエゴの思考や感情を失うと考える方が、役に立つと思います。

そうすれば、対処はしやすくなるはずです。なぜなら、「怒りを感じない、憂鬱でない、病気でない状態がどんな感じかを知っている」と言えるからです。それが良い感じだと知っているはずです。だから、「もし私がこれらの判断を手放し、これらの不安を手放し、自分が正しいと主張するのを手放し、被害者になりたがるのを手放せば、もっと気分が良くなるだろう」と言えるはずです。

私たちは皆、気分が良くなるのがどんな感じかを知っています。そうすればするほど、気分が良くなる感覚は深まっていき、最終的にはパム(Pam)自身が消えていくでしょう。でも、それはずっと先のことです。それはまるで、ハシゴの一番上です。だから、パニックになる必要はありません。

だから、私が先ほど引用した「自分が不意に引き上げられて、実相の中に投げ込まれるのではないかと恐れることはない。*」という言葉があるのです。そして、イエスは後に、悪夢から目覚めへと直接行くのではなく、その間に、赦しの幸せな夢*というステップがあると言うのです。ですから、あなたは一歩ずつ進むのです。そして、ステップは、まだアイデンティティ、つまり自己の感覚を持っていることを意味しますが、それは今、より幸せな自己になっているということです。

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*訳注: T.16.Ⅵ.8:1
自分が不意に引き上げられて、実相の中に投げ込まれるのではないかと恐れることはない。 時間は親切なものである。 実相のためにそれを使うなら、あなたが移行して行く間、時間は優しくあなたに歩調を合わせてくれるだろう。 急を要するのは、ただあなたの心をこの世界に固定された状態から解き放つことのみである。

*訳注: T.18.Ⅱ.6:1-6
常に実用的な叡智を持つ聖霊はあなたの夢を受け入れて、目覚めさせるための手段として用いる。 あなたなら眠ったままでいるためにそれを使っていただろう。 私は以前夢が消え去る前の最初の変化はあなたの恐れの夢が幸せな夢に変わることだと述べた。 その変化をもたらすことが聖霊が特別な関係において行うことである。 聖霊はそれを破壊することもあなたから急に取り上げることもしない。 その代わりにそれをことなってやり方で使う。 
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質問者:  でも、それが死ではないとどうすればわかるのですか?

Kenneth: エゴがそれは死だと言うのです。エゴは、もし私が被害者でなく、他の人が私にしたことの結果である被害者でなければ、私は存在しなくなるだろうと言うのです。 なぜなら、私が知っている唯一の自己は、不当な扱いを受けて被害に遭い、それを乗り越えるためにあらゆる防御が必要な自己だからです。

何が起こるかというと、あなたが徐々に優しく進むとき、自分を失っているのではないと気づき始めるのです。消えているわけでも、死んでいるわけでもありません。ただ、より幸せになっているのです。朝起きたとき、「ああ、なんてこった、また今日も」と顔をしかめるのではなく、「朝起きたら、もう少し幸せになれるかも」と思うようになるでしょう。そうすることで、何も失っていないことに気づき始め、最終的には、みじめで、怒っていて、憂鬱で、不安で、恐れを抱えていた自己と、より穏やかで、より親切で、より優しい自己とを交換していることに気づくのです。そして、それらがステップであり、一歩ずつ、あなたは「もしかしたら、私は自分が思っていたような人間ではないのかもしれない」と気づき始めるのです。

質問者: 常にエゴの中にいる状態から抜け出し、常に神と共にいる状態に到達するには、時には死ななければならないかもしれないと思います。どうすれば、エゴなしでこの世界で生きられるのですか?

Kenneth: また、エゴがそれであなたを罠にかけているのだと思います。エゴは、あなたの非存在への恐れを大きくさせて、「そうだよ。私はこれは絶対にやらない。」と言わせるのです。たとえば、百番目のステップだとして、その一つ前のステップまでは、あなたは死ぬことはないし、存在しなくなることもありません。ただ、徐々に、何度も言いますが、より幸せに、より穏やかになるだけです。

ですから、そこに焦点を当て、他の考えが浮かんだときは、「それは私を怖がらせてすべてを諦めさせようとするエゴの策略だ」と言って、今していることに集中してください。つまり、日々、自分には選択肢があり、不当な扱いを受けていると感じる必要も、無力だと感じる必要も、幸せであることは罪ではないと思い出すことです。

そして、この世界で生きる上で貴重な教訓は、常に変化する世界で生き、常に変化する体で生きながら、内なる平和の不変性を奪う力を与えないことだと覚えておいてください。同時に、自分の体や体のニーズ、感情的にも物理的にも、そして他人の体などにも気を配りながら、心の平安の不変性を奪う力を与えないでください。それが、あなたの体がいつも病気だったり、いつも困っていたり、いつもあれこれだったりする場合に、罪悪感を感じないようにするのに役立ちます。あなたは、それをあなたの平和を奪う道具にする力、つまり失敗だと感じさせる力を与える必要はありません。

肉体的または精神的な苦痛があるかもしれませんが、あなたの中にある愛、つまり真実は、変わる必要はありません。ぐらついたり、ためらったりしません。まさにその時に、このコースは、私が先ほど言ったように、1日のうちのどの瞬間にも、その力を手放すように誘惑されているかを理解する上で、非常に実践的なものとなるのです。

質問者: もし医者があなたの腺(grand)は元に戻らないと言い、身体の問題に対処する必要があり、それが身体は現実だということを常に思い出させ、あなたを怒らせたり、憂鬱にさせたりする場合は、どうすればそのように身体を乗り越えることができるでしょうか?

Kenneth: 身体と身体の問題を乗り越える方法は、あなたが信頼して協力している医療関係者がどのような人であれ、彼らが指示する方法で自分の体をケアすることです。しかし、それを恐ろしい象徴(シンボル)にしようとしないことです。

「ああ、私はここに体を持って存在していて、私の体はうまくいっていない。体を気持ちよくするためにできることはこれだ。だから、そうしよう。でも、これは何も関係ない」と言うだけです。言い換えれば、それを深刻なものにしないことです。あなたのエゴは、あなたのために次々と地雷を仕掛けているだけなのです。

そして、もしあなたが問題のある体を抱えているなら、あなたを助けるようなあらゆる方法で体をケアするべきです。 正しい方法や間違った方法とかいうものはありません。世界にはあらゆる方法があります。そして、あなたが最も快適だと感じ、あなたに合うものを選ぶだけでよいのです。

そして、それをコースの勉強の妨げとして使わないでください。それを一つの方法として見てください。つまり、私の体が崩壊していても、平和を保つことを学ぶことができる教室です。 私の問題が慢性的なもので、そこから解放されることがないとしても、平和を保つことを学ぶことができる教室。生涯、薬を飲んだり、あれやこれやをする必要があったとしても、平和を保つことを学ぶことができる教室です。

「ああ、私は自分の体を現実にしている。私はコースに失敗した。私はこのすべてを超越すべきだ。私は夢から目覚めるべきだ」と思うのではなく、(そうすると、決してそうはならないでしょう。)自分の体に優しく親切にし、ケアすることの方が、はるかにスピリチュアルに進歩し、はるかに役立ちます。コースは、エゴが害するために作ったものは、聖霊が癒しのために使うと言っています。

つまり、エゴは私たちの体を、私たち全員の体と同じように、私たちを真実と神から遠ざけるために作ったのです。私たちは常に体に罪悪感を抱いており、それが究極的には病気の原因です。しかし、それは今、神聖な目的を果たすことができます。「わかった、これは罪悪感から来ている」と言え、それが何なのかを知る必要すらないのですが、もう自分を罰する必要はないのです。

そして、私は病気の体を使って、それのためにしなければならないことをしながら、これが私の存在の妨げにはならないと学ぶ方法として使うことができます。そして、もし私が生涯にわたって肉体的に病気だとしても、平和でいることができます。そして、もしあなたが生涯にわたって肉体的に病気だとしても、平和でいることができるなら、あなたはもう病気ではありません。

あなたの体は症状を持っているかもしれませんが、あなたの心は癒されています。なぜなら、あなたはそれがあなたを支配する力を何も与えていないからです。これは、私が先ほど、どのようにして人々や状況、物事に力を与えているかについて話していたことでした。さて、体はその(支配力)リストの上位にあります。私たちは体に私たちを支配する力を与えています。ですから、症状を持つことで動揺するのは、体にあなたを支配する力を与える方法なのです。

そして、それを乗り越えるためには、症状をケアしながら、これは何の意味もないと気づくことです。そして、もし私が残りの人生で症状を抱えていたとしても、それは構わないのです。それは私を病気にさせるものではありません。病気は、症状があることに動揺することの中にあります。真実はあなたの体ではなく、あなたの心の中の誤りを正すことを覚えておいてください。ですから、もしあなたがそうすることができたら、どんなに貴重な教訓になるか考えてみてください。そして、私はあなたが残りの人生で症状を抱えるだろうとか、そうすべきだと言っているのではなく、もしあなたがそれを抱えているなら、それは素晴らしい教訓になるでしょう。平和でいられると、言うことができるでしょう。

質問者:  わかりました。

Kenneth: 大切なのは、それを徐々に、優しく、そして親切に自分自身にすることです。



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