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静かになる。    ケネス・ワプニック Ph.D.

2025-02-08 11:54:49 | 奇跡講座

静かになる。    ケネス・ワプニック Ph.D.

Be Still
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https://www.youtube.com/watch?v=WpFoPsgRXig

「奇跡講座(A Course in Miracles)」の二つの基本的なテーマは、まず他人と自分自身を赦す必要性と、次にイエスや聖霊の愛情深く、慰めとなる存在に信頼を置くこと、と言えるでしょう。そこで私は、今朝の瞑想をこれらの二つのテーマに基づいて行いたいと思いました。

それでは静かになり、内なる奥深く、神が宿り、私たち一人ひとりの内のキリストが神と共に宿る平和な場所に到達することに努めましょう。私たちが深く沈み、その平和の場所に到達しようと努めると、私たちの行く手を阻み、私たちを故郷へと導くビジョンを覆い隠そうとする様々な雲が現れるでしょう。

これらの幻想の雲は、さまざまな形をとるでしょう。不安の感情、恐れの感情、私たちが彼らがすべきだったと感じることをしなかったり、私たちや私たちが愛する人に行ったことに対して私たちが間違っていると感じる人々に対する怒りの感情という形をとるでしょう。

私たちが彼らに抱くこれらの不満は、さまざまな形で現れるかもしれません。時には、これらの形は極度の怒りや激怒の形をとるかもしれません。他の時には、軽度の苛立ちとして現れるかもしれません。形は問題ではありません。それらの中には、私たちが聖なる道を歩むことを阻止する力がいまだにあります。今、静かに座っていると、これらの幻想がとるさまざまな形が私たちの目の前に現れます。

それらを恐れないでください。それらのために罪悪感を感じないでください。単にそれらを見て、それらが何であるかを認識してください。 自分自身がそれらを見ているのを見て、これらの思考や感情が私たちの本当の姿を表していないことを理解し始めることができるように。 そして、私たちがこれらの幻想の雲を通り抜けるとき、心の中で慰めの手が差し伸べられているのを想像してください。 そして、この慰めの手は、私たちにそれを受け入れることだけを求めています。 それが私たちを導いてくれるように。

この手にお好きな、心地よい名前を与えてください。 「イエス」と呼んでも、「聖霊」と呼んでも、「神」と呼んでもかまいません。どんな名前があなたにとって正しいと感じられるか。その手の背後にある愛情深い存在は、あなたが使う名前ではなく、あなたの心の中で彼を求めて叫んでいる愛に応えます。そして、その手を取り、彼にすべての恐怖、不安、怒りの思いを通してあなたを導いてもらいましょう。

そして彼と共に、それらを優しく脇に払い、それらを超えて、それらの下に、神が常に差し伸べて私たちを歓迎している愛の場所へと移動しましょう。私たちが決して離れることのなかった場所、故郷へと私たちを歓迎してくれています。今、しばらくの間、その愛情深い存在を感じ、私たちを慰め、導いてくれるのを感じましょう。

[音楽] そして今、私たちはその反対側に立っています。私たちを拘束しようとしていた暗い雲の向こう側に立っています。

そして私たちは、私たちの上に、そして私たちの中に輝くキリストの光の中に立っています。 

その光の源はただ1つだけ要求しています。それは、彼が私たちに与えてくださった愛の光を、私たちの人生におけるすべての人々、私たちが見る人々、私たちが触れる人々、私たちが考える人々と共有し、私たちがその光の使者となることです。
そうすれば、私たちを創造した神の愛を忘れてしまったこの暗闇と影の世界に、平和の光と神の光が再び輝くでしょう。ワークブックのレッスンの 1 つ (W-pII.302.2:1-3) の最後には、この愛は私たちが求める最終目的であると同時に、神に近づく手段でもあると語る素晴らしい一節があります。
アーメン。

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訳注:W-pII.302
闇のあったところに私は光を見る。 
父よ、ついに私の目が開きつつあります。視覚がついに取り戻されて、見えるようになる時、あなたの神聖な世界が私たちを待っています。 私たちは苦しんだと思っていました。 しかしその時はあなたに創造された神の子のことを忘れていました。 今は闇は自分の想像の産物であり、私たちには見ることのできる光があるということがわかります。 キリストの心眼は闇を光に変えます。 愛が訪れた時 恐れは必ず消滅するからです。 今日あなたの神聖な世界を赦し、その聖性を見て、それが私自身の聖性の反映に他ならないと理解できますように。 

私たちの愛はみもとに行く私たちを待っている。
そしてまた私たちの傍らを歩み、道を教えてくれる。
神は決して失敗しない。
神こそ私たちが目指す到達地点である。
神こそ私たちが神のみもとに行くための手段である。
 



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