すると、「ん?なんじゃこれは!」。ペットボトルと空き缶が花壇の中に転がっているではないか。「なんでこんなことすんねん」とぼくがいう。話は、「ちかごろの若い子はねぇ」になった。アメリカ生活を体験されたKさんは、電車のホームや車中でペットボトルなどを口にする若い子のスタイルはアメリカンでかっこいいと思っているのではないか、という。しかし、自分が出したゴミを公共の花壇に捨て置くのをまさか「かっこいい」と思っているわけではないだろう。なぜそういう行動をするのか解せない。「公徳心」が薄れているとしか思えない。「この間、花壇の中を子どもが歩いても親は何にも注意しないんですよ」とまたKさんがいう。子どもが草花を見つけてそこに足が向くのはごく自然なことだ。頭から「いけません」というのも酷な気もする。しかし「公徳心」は子どものうちからちゃんと教えないといけないとは思う。とはいえ、ペットボトル、空き缶などの無意識のポイ捨ては、あちらこちらに自動販売機を設置し、大量生産・大量消費・使い捨てを推進してきたシステムの副産物ではないのか。「公徳心」を子どもに説くだけでなくそういうシステムを作り出してきた大本の企業とそれを監督する行政がゴミとして散らかることが判っている容器のリターン、リサイクルのシステム(容器のバックペイなど)を事業者責任でしっかり築くべきではではないか、単に「公徳心」の問題と片付けられないと思う。
けさの話は市民のモラルから輸入食品の安全安心の問題にひろがった。ロータリー花壇のパンジーの花がら摘みは手洗い桶2杯分いっぱいになった。
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