亡父の句集、「岬」と「瑞穂ヶ丘」を読み返す。いままで気付かなかったことに気付く。父は稀に見る短筆家。手紙はすべて電報調で2、3行しか書かない。いや書けない。きょう気付いたのは、句集の題に込めた父の思いである。前書は父が生まれ育った渥美半島伊良湖の郷愁歌。「白雨や沖の白帆も見えぬほど」「長き夜を父は縄綯い母は縫う」。後書「瑞穂ケ丘」は、終戦後、名古屋の瑞穂グラウンド近くに居を構え、子育てを成し遂げた感慨こもる人生歌。「那智三山雲湧き軒へ燕来る」「越天楽喜寿金婚の秋の旅」。万感こもる旅の思い出。定年後、北海道から九州まで夫婦旅をした。実際は苦労に苦労を重ねた生涯だったのに父は楽しい思い出ばかりを残した{%泣くwebry%}。俳号斗汐。
父の職歴を見ると、製糸会社員、県職員、航空機会社員、百貨店社員、化成会社取締役、製菓会社員、米穀卸組合経理部長などじつに転々とした。主に庶務・人事・経理畑を歩いていたことも分かった。若いころから俳句が好きで「桃作や過激思想に染まぬとさ」の句を詠んだという。「俳句とは五七五のうた」と小六の頃教えてくれた。父の句集は俳句結社「焚火社」の平出吾邦先生、「青樹」主宰の長谷川双魚先生の「序」を頂いているが、自費出版はかなりの出費だったに違いない。没27年後のいまごろ亡父に感謝。写真上=千里南公園の水仙。同下=寒にへこたれぬカタバミ。
水仙の日溜まり踏めば笑う顔 昇龍子
コメント一覧
ノーやん
fm
最新の画像もっと見る
最近の「インポート」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事