ノーやん日記パート2

おそるおそる女流のなかで

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 曇り。ときどき日が射す。「こんにちわ」。わがマンションの美女からにっこり声かけられる。わが輩もにっこり。しかし、美女には用心。棘や毒針を隠し持っている人もいるからな。子規の「獺祭書屋俳話」を読む。「女流と俳句」の章。女流俳人は、男と違ってやさしみがあり「細事に着眼して心情を写し出すこと、其微に入り以て読者を悩殺せしむるものあり」と。びっくりするな。女の俳句が悩殺する?うき事になれて雪間の嫁菜かな(捨女)

 元禄前後の女流俳人として子規先生は、捨女、智月、園女、秋色の四人を挙げる。その寸評。「すて」は燕子花(かきつばた)の如し、「智月」は蓮花(れんげ)の如し、「園女」は紫陽花(あじさい)の如し、「秋色」は撫子(なでしこ)の如し、と。子規先生、上手く持ち上げるな。ナルホドと思う句も示して。

 ぼくはここ十数年、「女流」俳人の指導を受けてきた。理屈に流れる句調をただすのにおそるおそるながら、細やかな情感を重んじる句調に学んだ。しかし所詮男は男。バンカラ人間の愚老には真似できん。しかし男社会は過去のものというべし。

 女子高生の間で「あべ過ぎ」という言葉が流行っているとFBで見た。「食べ過ぎ」ではない。「馬鹿すぎる」という意味らしい。「人の話を聞かない」「聞かれたことに応えない」「聞かれてもごまかす」。そういう女子高生の直感がスゴイ。女の直感はあたるぞ。昼は、パスタ・トマト+豆苗+浅利汁+ソーセージ。写真上=常緑のカイヅカイブキ、下=落葉のラクウショウ。
          年の中あれこれ浮かび目を覚ます 昇龍子 

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%笑いwebry%}女流詩人というとすぐ小野小町とか清少納言とか与謝野晶子が浮かんでしまいますが現代詩人では身近には瀬野としさんなどが浮かびます。
fm
女流詩人といえば、ある大学教官とおぼしき女性の講義がNHKでありました。その中に記憶に残っているのは一人です。許婚者を戦争で失い、米軍兵士で賑わう基地の町の特殊飲食店で働く女性が雑誌に句を投稿していたという話が記憶に残りました。「ダンサーになろうかと…」で始まる句でした。この女性の最後を講師はお茶を濁しましたが、時々思い出します。わが町から遠くはない場所でした。主題から外れて失礼しました。
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