ノーやん日記パート2

Corvus ニューイヤー

 カラスの鳴かない日はないのたとえどおり、我が家はカラスの鳴き声で2008年が開けた。コーヴァスニューイヤー。コーヴァスはカラスの学名である。英語ではクロウ。年頭から縁起でもないと思われるだろうが、どっこい、大昔はカラスさまさまだったらしい。神武天皇東征の際、道案内をつとめたのがヤタガラスだったとされる。山村農家では「山の神」として崇め奉られていたという。ギリシャ神話の太陽神ヘリオスはカラスを聖鳥としたというし、聖書の洪水神話でもカラスが水嵩探索の役を担ったという。アメリカ大陸でも中国でもカラスが神話に登場する。正月にカラスのことをちょっと勉強してみた。すると、人とカラスは長い付き合いのあることがわかった。そこでまずは、おおどかな心でカラスに向き合うこと大切だと自戒した。 かといってカラスを持ち上げようというのではない。カラスを害鳥とみなす考えはいささかも変わらない。ただ、人とカラスはどういう関係をつくってきたのか、歴史を知っておくことは有益だろう。そこから、いろいろヒントも得られるに違いない。と思っただけだ。
 故事ことわざに「カラスの請け合い」というのがある。引き受けたことをすぐ忘れてしまうことをいう。カラスは、賢そうに見えるが忘れっぽい鳥という。カラス以上の人もいるから、あまり悪口はいえないがまあ知っておいて良い。「カラスの行水」。これは毎日ぼくが家族に言われていること。余り意味がない。「カラスの頭の白くなるまで」。これはありえないことのたとえで中国の「史記」には、「烏頭(うとう)白くして馬角(つの)を生ず」という奇跡が来た時に使われる故事もある。それほどカラスの黒は変わらない。「烏を鷺」は、黒を白といいくるめるの類。あまりいいようには使われない。「鵜のマネをする烏」は、能力をわきまえず人の真似をすれば失敗するという人への戒め。カラスにそういう癖があるのかどうかはわからないがカラスを馬鹿にしたいい方だ。「烏合の衆」といえば、カラスのように無規律・無統制な人間の集まりをさす。
 その習性は―。人家付近を好んで生活し、ゴミ捨て場に食べ物を狙って集まるほか、子豚を取っていったり、集団で犬を襲うこともあるという。食べ物を自分の縄張りに隠す習性もあるらしい。繁殖期には番(つがい)に分かれて3~6個を産卵し、成長するとまた何千羽という大集団を形成するようになる。ねぐらは近くの竹やぶや松の木を使う。カラスが白昼堂々銀座4丁目の電柱や建物に徘徊している光景に接し驚いたのは10年ほど前のことだが、ぼくの子どもの頃はカラスがそんなに人なれすることはなかった。近頃は2~3メートルほどに接近して歩いても平気である。人とカラスの生活の距離、ここらあたりから考え直して見るべき問題があるように思う。
新年の白紙綴じたる句帳かな 子規
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「インポート」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事