安永六、七年日付なし 士川・士巧・士喬宛の蕪村の手紙。この三人は灘の酒造家・松岡家の三兄弟俳人。そのうちの二番目の士喬の句が発句合の千句の巻頭に選ばれた。選んだのは蕪村である。
篝してくらき鵜飼がうしろかな
この句を、西本願寺の芦人が蕪村の門人月居との俳談で聞き、それが門主に伝わり「御門主うち返しく御吟詠ましく『扨しもおもしろき句哉。いと尊し。此作者さう(双)なき仏者なるべし』と御賞嘆有て、やがて近侍の祐筆に命ぜられ、此句を記録にとゞむべしとの御意也けるとぞ。」
千句の巻頭にこの句を選んだ蕪村は、作者の名を知らなかったようで、世話人を務めた大魯から聞いて知った。思いがけぬ珍説なので書き記し御慰め致しますと結んでいる。
蕪村がこの句を秀逸として選んだのは、「抑長き迷闇はいふもさら也。現世より鵜飼の翁が身に立添て、やがて背中にせまり来る未来の闇路、まことに無常迅速の理をもしらざるいとなみ、感慨いふばかりなしとて、蕪叟が秀逸にゑらび出せる也」と月居が芦人に伝えている。蕪村の満足顔が目に浮かぶ話。
俳句は人で選ばず作品で選ぶという作法は昔も今も変わらない。写真上=蕪村のおくのほそ道画巻」の女武者人形図。下=名古屋の暁台、士朗宛書簡「歯の痛もとんとわすれた」という、暁台と士朗を持ち上げたひょうきんな台詞つき画。
春一番静まり返る竹林 昇竜子
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ノーやん
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