ノーやん日記パート2

ひなまつり

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 曇りのち雨。そう寒くはない。東京は日中も北海道より低い5度台の冷たい雨という。きょうは「うれしいひなまつり」。こどもが大の大人になったわが家も妻が本箱にお雛さんを飾った(写真上)。その娘も来て家事手伝いをしてくれた。ありがたい。この雛人形は100歳の長寿を全うした亡母が孫のために買ってくれた。雛飾りは自然と祖母の思い出話になる。愚老も疎開先の猿投村四郷字天道のT薬局2階にあったお雛さんを小箱から盗みしたことや小川の堤で猫柳を採り、あられ、菱餅などを頂いたことを思い出す。「うれしいひなまつり」。サト―八チロー作詞、河村光陽作曲とは、79歳にして知る。

 午後、外出せず、You tubeで林家木久蔵(扇)師の「芸能昭和史」をみる。戦争中の空襲警報・警戒警報の実演、終戦直後ラジオに流れた並木路子さんの「りんごの唄」や童謡「みかんの花咲く丘」のうた真似、片岡知恵蔵など戦後映画俳優の誇張した物まねなど「うまい!」。拍手喝采した。芸能も次世代に引き継がれていく。デフォルメした落語も貴重な文化財になるなあ。写真下=千里南公園の水仙。
          雛飾る祖母の思い出語り継ぐ 昇龍子

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%ふつうの顔webry%}でも軍人にならなくていい道を進まれたと思います。
fm
姉がいました。今年83歳下な。神奈川にいますよ。カボチャのサッカリン入の汁粉を思い出します。祖父が陸軍大将になる私を夢見、米兵を斬り殺さんとして祖先からの日本刀に粉を振りかけていました。どうも愚図の私を陸軍大将にする夢を諦め、姉に養子をもらうことを考えていました。父は姉を女医に従っていましたが、どちらの夢も消えていきました。
ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%笑いwebry%}貴兄のお家に雛人形というのは姉さんかだれか女性のご姉妹が居なさった?ということですか。
fm
我が家ではいつ頃から雛人形が亡くなったのであろう。戦後しばらくあったが、いくらなんでも古びてすてた記憶がある。剣道の面などに混じっていたが。
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