昼、原爆詩人の詩碑がある岡町図書館で吉川英治「私本太平記」(講談社)7巻目を読む。光厳院の院宣をうけた足利尊氏が、九州から勢力を盛り返し義貞討伐に東上する際、博多・櫛田神社の隣に自害した妻登子の兄、北条英時の霊を弔おうと一塊の土をおいたというくだりがある。真偽のほどはわからないが、「私本太平記」は「やれ、義兄のあだ、子のかたき、親の怨みのと申し合っていたら、弓矢の本道などは見失われてしまうだろう。それのみか、復讐は果てなきまたの復讐を生んでゆく。永劫、修羅の殺し合いを演じてゆくほか世に何を残す?」と書いている。それは作家、吉川英治が今の世にいいたかったことだろうが、ちょっとうなった。正論だろう。が、被害者の加害者に対する怒りの感情はそう易々と消えるものでない。相手に反省がなければなおのこと。むつかしい問題だ。
函館の人から、メッセージをいただいた。小林多喜二の「蟹工船」のおひざ元の人。北海道は一度も行ったことがない。タラバガニは昨年義弟の退職記念旅行で送ってもらってたらふく食べた。最高にうまかった。メールの主は、たこ焼きとか、お好み焼き、焼きそばという粉もんが好きらしい。ぼくも好きだが(大阪の)「たこ焼き」の味に格差はないよ、と返信した。反論があるかもしれない。それはどうでもいいが、ちょっとびっくらした。
妻のみ恋し紅き蟹など歎かめや 草田男
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