ノーやん日記パート2

2017芒種に思う

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 晴れ。きょうは暦の上の芒種(ぼうしゅ)。通年ならあす6日。ノギある穀物や穂のでる穀物のタネを播くころ。ぼちぼち田植えのときでっせえと、いう時候。幕府直轄の開拓地、わが上新田は開闢からことし490年を迎えたが、マンション街に変貌しコメもムギも作る人はもういない。2万人に膨れ上がった住民はスーパーかどっかでコメやパンを買って生きている。だからいまどき「芒種」ってなんやのん。と言われそう。人がいのちをつないで生きる根元のことを考えるときではないか。

 コメやムギはどうしてできるのか。土づくりや水張り、苗床や田植え、田の草取りや病虫害駆除、収穫や脱穀の作業、ムギは麦踏や脱穀など農作業という重労働のたまものということを家でも学校でもぼくは頭に叩き込まれた。いまでは作業が機械化され「重労働」というイメージは変わっているかもしれないが莫大な元手がかかった農作業であることに変わりはないだろう。

 南千里のスーパーへパンやウィスキーの買いものに出る。昼は冷やし讃岐うどん。午後、千里中央の理容スーパーで散髪。1100円。長谷池へ寄って菖蒲の咲き具合を観察。

 帰宅して、「13歳からの夏目漱石」と「なぜ仏像はハスの上に座っているのか」を読む。前書は、頭の回路が複雑系向き。後書は、単純系向き。愚脳は入り組んだ人間・社会関係の話には弱い。自然のシンプルな話はスウ~と脳が受け入れる。脳を鍛えようと思う人には前書がいいかもしれん。

 子どものころ、田んぼで蛭に足を吸いつかれたり、積雪の日に白い息を吐きながらカニのように麦踏をした体験はいまも忘れられない。写真上=千里東町公園長谷池の菖蒲、下=東豊中二ノ切池公園のシロツメグサ広場。
      麦踏を呼び覚まされる芒種の日 昇龍子

 

 

 

コメント一覧

ノーやん
https://55926699.at.webry.info/
{%笑いwebry%}家族総出の田植え風景を見なくなりましたがいまどきはどうしてるんでしょうかね。
fm
「麦踏を呼び覚まされる芒種の日」

暦の上では種まきの日ですか。私は夕陽を背に受けて種を蒔くゴッホの絵を思い出します。
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