花の水やり。きのう夕立もあったので朝はパス。夕方は要るだろうとのぞくと職員さんが気を利かして水やりしてくれていた。ひまわり畑のひまわり中が咲きはじめたが片開き。ウィンクしているのか。千里中央へプリンターのインクを買いに行く。ついでにパンなど食料品も買う。こぼれび通りの木陰を選んで帰る。ビンカがきれいだった。
部屋に籠り、安東次男さんの「花づとめ」を読んだ。「季節のうた百三章」と副題がある。憲法103条とは関係ないが、漢詩や短歌、俳句の読み解きかたを考えさせられた。たとえば、蕪村の「さみだれや大河を前に家に軒」。有名な句である。ぼくは、愚直にこの景に想像をめぐらす。安東さんは違う。「この句は娘を婚家から連戻したときの句である」、「さみだれ」の句は写生句などと言って済ますことはとてもできない。「家二軒」は、大自然の力を前にして、身を寄せ合うものの表現だろう。こう解読する。なるほど、そういう読み方もあるのか。ぼくは俳句は読み手が感得するもので、正しい読み方とか正しくない読み方とかいうのはおかしいと思う。紋切りでない多様な読み方ができるのが俳句の面白いところだと思う。それはそうと安東さんの深読みは作句に肉薄する凄まじい探究心を感じさせる。
酷暑日のひまわり眄眄西を向き 愚老
こぼれびの道にビンカの銀の筒 同
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ノーやん
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