ボンタン飴を友人に配りながら鹿児島のみやげ話をする。やはり知覧特攻隊基地の話になる。10代から20歳前後の純真な若者たちの遺影、肉親への手紙、遺品、操縦席に独り乗る青年と機体の入り口を外から締め切る兵士の写真…。見たままを話すと女性のMさんは「聞くだけでこわい」と身震いした。彼らを死地に追いやったものはなにか。いまなお無謀な戦争を賛美して恥じない輩が政界に多数のさばるのはなぜか。ドイツと比較して際立つ日本の異常を考える。憲法九条の力を考える。
鹿児島市は観光都市だった(写真上=ブーゲンビリアに囲まれた鹿児島中央駅前広場)。どこも外来の客人に優しかった。道を訪ねて煩がる人はいなかった。親切・丁寧に応対した。知覧も同じだった(写真下=知覧武家屋敷前の大通り)。ただ、公衆トイレが少ないのに困った。仕方なくお店のトイレを使わせてもらう。なかには「トイレだけの方お断り」の張り紙をしている店もあった。いろいろ見学できいい旅だったが、高い交通費を使って、温泉にも入らず豚骨ラーメンを食べに行った旅でもあった。
噴煙の模様龍尾か初景色 龍尾