投句者3万3千人という「中日新聞」系の「平和俳句」や年に186万句も投句があるという「伊藤園」の「お~いお茶」俳句など俳句を国民的文芸に育てた功績もすごいと思う。反戦のイデオロギー剥きだしにした句は俳句にあらず、花鳥諷詠の有季定型こそ俳句の王道と説き、俳句を非政治主義の枠に閉じ込めようとする守旧的潮流に、縮こまることなく自由に詠う、善し悪しの判断は読者が決める、という民主主義の俳句を唱道された意味で傑出した俳句界の革命児でないか。
権力者に抗う俳句があってよし。ないのがむしろ不自然と思う。だが政治がらみの俳句の大方は「イデオロギー俳句」として切り捨てられているのではないだろうか。
大手振り赤信号を青葉風 昇龍子