ノーやん日記パート2

千里のへそぐらし

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 晴れ。朝のうち曇り。涼しかったが日中むしっとする。市内の診療所へ。腹部エコー検査。予約制なので待ち時間ほとんどなし。待合室で梅棹忠夫さんの「千里ぐらし」のつづきを読む。読みはじめたとたん、きのうは恥じ入ることを書いてしまったと赤面する。

 人の話しはさいごまでよく聞け(読め!)とよくいう。梅棹先生は、千里のまちの便利さだけを書いたのではなかった。生物学、生態学の先生。当然、千里のまちの植栽や野鳥のことにも触れられた。そんなことを見落とすはずがないのに、浅薄なわが輩はつい、千里ぐらしはわが輩の方が上だぞという軽薄不遜な態度を口走ったのだった。猿は木から落ちてもサルだが、人は口が滑るとバカになる。肝に銘じて反省する。

 愚老は千里ぐらし52年になる。千里丘陵を削ってつくった人工のまちへ国鉄吹田工場前の文化住宅から引っ越した。籤運よくあたったのだ。阪急南千里駅から毎夜、満員のバスで帰宅した賃貸住宅は、周囲に一軒の店もなく、街灯と数十メートル離れた向かいの棟の灯りを眺めるだけだった。大雨が降ると道路は川になり、晴れると雲雀がピーチクパーチク囀っていた。出来立ての近隣センターには浴場があったが住宅に風呂はなかった。わが輩はこの人工のまちに30年近く住み、千里から離れられない人間になってしまった。世帯分離の核家族化・高齢化がすすんだ。いまはそこから都市計画のない千里NTのへそのようなまちへミソサザイのごとく渡りすみ、20余年経つ。

 梅棹先生に触発されて千里の変遷をスケッチしてみたくなった。先生が愛された千里の竹林は京都嵯峨野にはとても及ばぬが絶滅はしていない。A紙出版の「日本の自然百選」に「千里丘陵の竹林」をあげている。「竹の会」というボランティアグループが守っている。まちの変貌は避けがたいがどういうまちを遺すかは住民の意思しだいだろう。昼は、パスタ・ペペロンチーノプラス夕べの豚肉豆腐ニラ炒めの残り。午後、パンと牛乳とマッコリを買いに。写真上=豊中市立豊島公園内花壇のアーティチョーク。西洋野菜としてイタリアンやフレンチレストランに使われる。下=花とみどりの相談所前花壇。
          マッコリを啜りつ竹の皮を剥ぐ 昇龍子
          
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