年代別に配列した蕪村の発信書簡全446通。分厚い一冊の本になっている。人名や難しい言葉には註が付いているので現代風に読むことができる。忙しく夜半亭の宗匠として立ち働いている様子もうかがえる。人を見て法を説くという人となりも分かる。
明和8年(1771)2月9日付で京の俳人子曳と蕪村の弟子几董にそれぞれ宛てた手紙を読む。几董宛ての手紙には、子曳への書き付け、歌仙の詠草、馬南(のちの大魯)作への付け置きなど多忙に働いている様子を知らせ、普通の人の句ならよしよしとすますところ「貴公は大家の事故、愚意のこさず書付申候」と書きつけている。いっぽう、子曳への手紙には出句者の句にそのままでもいいでしょう、と返事をし、「喰ふて寝て牛にならばや桃の花 蕪村」と、いかにものんびり過ごしているように書き送っている。
芭蕉、一茶、蕪村のそれぞれの人口に膾炙する句を一句思い浮かべる。芭蕉「古池や蛙飛こむ水のをと」、一茶「我と来て遊べや親のない雀」、蕪村「菜の花や月は東に日は西に」。それぞれに独特の詩の世界がある。幽玄・慕情・美。昼は、ラーメン。午後、天神さんへお参り。写真下梅の花の蕾。
梅の香の隅々いまだ届かざる 昇竜子
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ノーやん

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