
歩道の植込みのドウダンツツジ、しばらく前から紅葉真っ盛りです。
木によって赤の色合いもさまざまです。
持っていたスマホのカメラで、いちばん鮮やかな色のものを撮影。
カメラで思い出しました。
近頃のエアコンにはカメラセンサーがついているものがあるようです。
人の位置や動きを感知して、冷房の強弱を自動調節するというスマートエアコン。
家電ではほかに掃除機のほこりの量を測るセンサー。
洗濯機では、重さセンサーで洗濯物の目方を量って洗剤の量を変える。
食器洗い機では、汚れ感知センサーで水量や時間を制御・・・・。
センサーといえば、恐怖センサーの話。
父マウスに恐怖体験をさせると、精子を介して恐怖の記憶が子孫マウスに伝わる。
そんな記事をつい最近読みました。
母マウスも同じなのか、ともに恐怖体験したオス・メスのつがいでは?
そんなことも考えてしまいます。
獲得形質は遺伝しない・・・・と習いましたが、記憶と云うのは遺伝形質なのでしょうか。
恐怖は、原始本能に近い、誰もが持っている感覚です。
そういう記憶は大脳皮質ではなく、古い脳の部分にあって、それは遺伝する・・・・。
ということなのでしょうか。
たとえば何語を喋るかは生まれてから耳にする環境に左右されます。
でも、言葉をあやつる能力そのものは、誰もが先天的に備えていると云います。
ヒトのゲノムはすべて解読済み、けれど、生命の不思議は殆ど未知の儘なのでしょう。
近頃、眼にするM2М(マシンツーマシン)。
機械同士が人を介さずにネットを通じてセンサー検知情報をやりとりして自動制御する。
そういうシステムのことを云います。
各種センサーの発達がもたらすシステム空間といったところでしょうか。
それだけ人為センサーが発達すると、本来のヒトの持つセンサーはどうなるのでしょうか。
機械まかせにしていくうちに、だんだん退化してゆくのでしょうか。
それともセンサーがスマート化してヒトの脳まで獲得。
そして、ヒトは誰もいなくなった・・・・ということになるのでしょうか。
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