昨日は体感的に今年一番の暑さだったような気がします。
いつもはエアコンのない部屋でパソコン作業をするのですが、昨日は諦めました。
そこで、時々しか使わないWin8のパソコンを持って、冷房が効く部屋へ。
月曜日に、テクノでWin8.1の講座があります。
ふだん使っていないので、少し慣れておくつもりもあってそのパソコンを使いました。
立ち上がりや個々の動作も速く、そろそろこちらをメインにしたほうがよいかも・・・・。
そこまではよかったのですが、何となく居心地がよくありません。
いつもとテーブルや椅子が違う、眼に入る周りのものや外の眺めも違うからでしょう。
人は環境と一体、ということをあらためて実感しました。
人は、自分と他人とを区別します。
特に若いころは自意識過剰ですから、世の中、自分を中心に回っていると思います。
わたしも若いころはそのクチで、しかも、他人との間に深い溝を感じていました。
ところが学生の頃ならいざしらず、社会に出るとそうもいきません。
わたしも、つきあう人の範囲が広がるにつれ、自分色?が薄まって来た気がします。
だからといって、それが行き過ぎると、もっと自分を出せと云われたりもします。
自分と自分以外のものとの関係。
その関係をつくり上げていくことが生きること、だとも思います。ちょっと大げさ?
というわけで思いついたのが自分半分、他人半分という言葉。
自分と云うのも、考えてみると半分は他人から出来ているようなものです。
そう考えると、他人を殺すことは自分を半分殺すことにもなります。
また、自殺と云うのは、自分だけでなく他人も殺すことにつながっていきます。
ただ、イノチの大切さを教えても、今の個人偏重の世の中では空回りします。
それよりも、自分は自分以外の人やものと一体だという感覚を大事にしたほうがよい。
とか何とか・・・・環境が変わったら、書くことも変わってしまいました。