木田元氏の訃報で思い出したことがあります。
わたしが30歳くらいの頃、会社の5歳ほど下の後輩が分厚い本を読んでいました。
それがハイデガーの「存在と時間」。
へ~、難しい本を読んでいるね。
冗談交じりに、そう言ったことを今でも覚えています。
周りに、その類いの本を読んでいるのは誰もいなかったから、記憶に残ったのでしょう。
もっとも、その頃のわたしの哲学知識は皆無に近く、哲学概論や西洋哲学史を齧った程度。
「あるものはある、あらぬものはあらぬ」とか「万物は流転する」とか・・・・。
今でも覚えているのは、哲学的なことに多少は興味があったからなのかもしれません。
文庫版の「存在と時間」があったはず・・・・探してみましたが見当たりません。
おれには難しすぎてわからん! きっと売り払った本の中の一冊にあったのでしょう。
後輩の彼がそれを読み切ったのかどうか・・・・訊きませんでしたがたぶん挫折?
いや、わたしのように中途半端でいい加減な性格ではなかったから完読したことでしょう。
もっとも、完読しても分かったと云えないところが哲学の哲学たるところ。
それでも、考えてわからないことと、考えないでわからないことには雲泥の差。
その後輩の彼、豪雨災害のあった京都の福知山の出身でした。
一度、遊びに来てください、と云われながら、結局は行かずじまいになってしまいました。
郷里に戻っているなら、被害に遭わずにすんでくれたらいいのですが・・・・。
広島も仕事でよく行っていた土地なので、土砂崩れも他人事とは思えません。
もう40年近く前、たぶん山側の住宅地も今ほど家が密集していなかったでしょう。
とにかく一日も早い復興を願っています。