先週の日曜は衆議院選挙でしたので、煽りを喰らって中止になった大会もあったようです。そこに向かって稽古・練習をしてきた拳士にとっては残念な事でしたが、目標を持って行なった稽古自体は決して無駄にならないと思います。
準備してきたスタッフの皆さん、本当にご愁傷様です。
私はとある区民大会に審判員として参加してきました。先日の西東京大会でもそうでしたが、参加拳士たちの真剣な眼差しを見ると、大いに自分自身の励みにもなります。勿論、技術レベルについては巧劣さまざまあるのですが、目標とする演武の形が、それぞれの拳士に見えているような気がしました。
大会では高校生たちの楽しいアトラクションもあり(少し内容が淡白でしたが)、会場も大いに笑いに溢れていました。大会ごとに自主的なアイデアで盛り上げているのは素晴らしい事だと思います。
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ブログを始めたばかりですが、技術に関して言いたい事が沢山あるのだなぁと改めて確認してみたりはしたのですが、それ以上に早くも感じたのは、結局身体を動かさないとどうにもならない、という事でした。感じたというか痛感しました。
新しい技を誰かに教えるとしたら、まずやってみせて、それからやらせて見せて、相手が技を理解しているのかを確認し、理解していても出来ていないところを指導し、自分自身が出来ていると思っていた事が指導する事で出来ていなかったと気付かされたり、… そういった事は、パソコンを前に頭をこねくり返していても全く出来ない事です。
人間に技を教えていると、技術以外の事でそれなりの気苦労もあり、全体を見て調整したり、一部のひとがとても心配になってしまったり、なかなか少林寺拳法の技そのものの愉しさに没入できないもどかしさを感じたりします。(教わる側の時はそういう事は少ないのですが、全く無い訳でもないです。もの凄くもどかしい場合もあります)それを含めての少林寺拳法だとは思っているのですが。
色々あっても、やはり実際にやってみないとどうしようもない。実際にやってみる事の大切さ(愉しさ)を、後輩たちにも理解してほしいと思います。
そして可能であるなら、大会や昇級昇段などの具体的な目標を持ち、それに向かって頑張ってみてほしいと思います。今回、出場拳士たちの真剣な眼差しを見て、それを強く思いました。大会という場がなければ(出場しなければ)、彼らはあの目を見せる事が出来なかったのだから。
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今回、無事自分なりの審判が最後まで出来たので、心底ホッとしました。他の先生方の様子を見ていても分からないのですが、私は審判員はホントに苦手なんです。こんなブログを立ち上げて自分なりに技にこだわりはあるのですが、審判員として沢山の組に序列を作る事には、非常に抵抗を感じてしまうのです。なので出来るだけ精神をフラットにしようと心掛けています。
大会に参加するというのは、裏方の方々の有り難さを実感する場でもあります。審判だけでなく司会進行・来賓接待や採点収集・賞状作成、そもそも賞状手配・会場整備、ホントに大変です。自分も大会に参加してお世話になった事がある以上、その恩返しと思って頑張っています。多分、審判員の中では自分に鞭打ってムリしてる方だと思いますヨ。。
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