SKのお姉さんが帰った後、僕はメンバーの子達から宇宙についての質問攻めにあった。数百億光年とは“どんなスケールで認識すればいいか?”と言うのだ。「説明は簡単じゃない!ちょっと待ってて」僕は科学雑誌を取りに病室へ戻り、指定席へ座り直した。「ねえ、○ッシー、なるべく分かりやすく教えてよ!」マイちゃんが注文を付ける。「はい、はい、では始めようか。まずは、太陽系のスケールからだ。感覚を掴んでもらうには、太陽を直径1cmと仮定しよう。そうすると、冥王星までの距離はおおよそ43m先になる。だから、50mプールが太陽系の半径って事になる。ここまではいいかな?」「うん、何となく分かった。結構な距離だね」「ああ、同じスケールで最も近い恒星、ケンタウルス座のα星までの距離を測ると、290km先。つまり、東京と名古屋の間ぐらいになる」「えー、そんなに遠いの?!」「光の速度で4年と3ヶ月かかるからね。光が1年に進む距離が1光年って言うけど、地球上のスケールで言うと、それは約9兆5000億kmになる!」「9兆!国会の予算みたいな数字!想像もつかない!」「そう、地球上でのスケールは宇宙では通用しない。だから、光が1年に進む距離、1光年をベースにするしかない。じゃあ、ここからは、太陽系を中心にした概念図を見て欲しい」僕は雑誌のページを広げて話を続ける。「まず、1辺を10光年とすると、7つの星がエリアに入る。一番有名なのは“シリウス”だろうな。全天で最も明るい1等星。以外に星が少ないでしょ?」「夜空で見える星に比べると隙間だらけね」「ご近所って意外に居ないんだ」「そう、じゃあ次。1辺を1万5000千光年まで広げよう。“オリオン腕”や“いて腕”といったガスや若い星の集中しているエリアに太陽系はある。オリオン星雲や恒星の爆発があった痕跡である“かに星雲”や“ばら星雲”も見えて来る。“腕”は銀河系の一部だけど、このスケールではまだ銀河中心は入りきらない」「これでもまだ近い方なの?」「そう、まだご近所の部類だ。では、更にスケールを広げて1辺を10万光年にすると、ようやく銀河系の中心が見えて来る。過去の超新星爆発の痕跡も2つ増える。“はくちょう座X-1”ってのは“ブラックホール”と言われている」「これでも、まだご近所なの?」「ああ、銀河系を出ていないからね。最初に言ったスケールで銀河系の直径を表すと、地球を170周する計算になる!」「広いね!」「そう、宇宙は広いんだよ。次に1辺を500万光年へ広げよう。中心に銀河系があるよね?近いとこでは“大小マゼラン星雲(銀河)”宇宙戦艦ヤマトが目指した場所。左上には“アンドロメダ銀河”も入って来る。この中で大きいのは、僕らの銀河系と“アンドロメダ銀河”の2つ。他は比較的小さな銀河になる。この集まりを“局部銀河群”と言う」「○ッシー、これでもまだご近所さんなの?」「宇宙のスケールから言うとそうなるね。更にスケールアップすると、そろそろ理解不能になりそうだからここで止めるけど、その位宇宙は広いんだよ!しかも宇宙は今も膨張を続けている。どこまで広がるかは分かっていない!しかも、光のスピードを超えて航行出来る方法が無いんだから!」「ワープすれば?」マイちゃんが言うが「今の理論では、全宇宙のエネルギーを集めてもワープは不可能なんだ。仮にワープ航法が開発されたとしても、銀河系からは出られない。人の寿命を超えるからね!」「うーん、壮大な話過ぎて分かんないけど、とにかく宇宙は広いって事は分かった。人類が到達出来ない彼方にSKの邪心は飛ばされたんだね!」「まあ、そうだ。だから、安心しな!到底帰って来れないんだから!」「でもさあ、こう言う知識はカメラの仕事に役立つの?」Eちゃんが指摘する。「例えば、望遠鏡レンズの設計依頼とか、宇宙空間で使うカメラの設計とか色々あるよ。逆に宇宙空間で使ってる素材を地球上で応用するとかね。行き詰った時に閃けば意外と上手く行く事は多々あるし、勉強して置いて損はないね」と僕が返すと「○ッシーの頭の中では、色々な事が順序良く終い込まれてる訳か!今はあたし達と遊んでくれてるけど、社会へ戻ったら活躍の場は多方面に及ぶんだろうし、何か遠くへ行っちゃいそうで離したくないな!」Eちゃんが寂しそうに言う。「あたしも、そう思う。いずれは退院するだろうし会社にも戻ると思う。でも、忙しい人にはなって欲しくない!○ッシー、約束して!あたし達の事を置いてかないって!」マイちゃんが語気を強めて訴える。「僕は、これからはペースを落とすつもり。バリバリ仕事したら絶対に倒れる!一度は潰れた身だよ!もう、以前の様には出来ない。だから、当分ここからは出るつもりは無いし、自分を大切にするつもり。無論、みんなの事を忘れたりはしないし、置いて行くつもりもない!むしろ、僕より先に退院出来るようになって欲しい。みんなを見送ってから自身が退院する。それが理想!」「本当に?!」「ああ、見送り続けて最後に出る。それが僕の望みだよ。だから、みんな先を争ってくれよ!」「分かった!○ッシー、誰が先陣を切るか楽しみにしてて!見送り係、任せるよ!」Eちゃんが笑顔で返して来た。マイちゃんも頷いている。「さて、湿っぽい話はもうお終いにしよう。明日からまた元気よく行くよ!」「おー!」みんなの雄叫びが響いた。
翌日の検温後、新聞と将棋盤と駒を持って指定席に陣取った僕は、駒を並べ出した。そこへマイちゃんが顔を出す。「ねえ、○ッシー、今度は何を並べてるの?」「いや、名人戦の棋譜なんだけどさ、ちょっと微妙な局面でね」「何が微妙なの?」「駒がぶつかってるだろう?取るか?取らないか?それで先手が考えてるのさ。115分もね!」「えー!2時間近くも?!信じられない!」「だから、先がどうなるか?を予測してるのさ!」「1手に2時間かー、何を考えてる訳?」「まず、5~10手先の動きだよ。この1手が形勢を左右するとしたら、先の先まで予測して動かないと負けるからね。更に相手の動きを含めて30~40手先を読む。取らないとすれば、攻めるか?それとも辛抱して守るか?はたまた逆転の手はあるか?」「それって、○ッシーの戦略の基本的思考だよね?こんな形でトレーニングしてる訳?」「脳トレの一環ではあるね。作戦を練り上げるには割りと重宝してるよ」「じゃあさぁ、寒くなる前にもう一度脱走を計画しない?それも出来れば派手なヤツ!」「ふむ、やるなら早いに越した事は無いが、ルートが怪しい!最短コースを読まれてる気がするんだよ。だとすれば・・・、久々に真正面から堂々と行きますかね?」「そうだね!まさか正面切って出るとは思わない!そこに隙ありって訳か!」マイちゃんもノリノリになって来た。「○ッシー、いつまでに計画組める?」「明日の朝、今日は事前偵察に出る!」僕はプランを練り上げ始めた。「事が事だ。全員に手伝ってもらわなくちゃ無理だ!」「何の相談?もしかして、派手なヤツとか?」メンバーの子達も集まって来た。「今秋最後の大作戦だよ。○ッシー、概略を説明出来る?」「骨格は、正面突破!長旅を考えてる」僕はプランを話始めた。「これまでは、時間に囚われて最短コースに拘って来たが、そろそろ“遠征”をやる時期だと思う。どうも、手の内を読まれてる気がするんだ!そこで、今回やるなら思い切って外来棟をフル活用しての一大作戦に打って出る!」「奥の手ですな!」Eちゃんがすかさず食いついて来る。「かなり大がかりな作戦にはなるし、際どい事も敢えて組み入れる。リスクは計算しないと現段階では何とも言えないが、前回同様に全員が役割を演じ切ってくれれば勝算は高いと踏んでる!明日までは全体像を考えて置くから、各自覚悟を決めて置いて欲しい。どう?ここは一っ走り派手に行きますか?」「賛成!」みんなが合唱する。「ならば、今日の買い出しの際に、これから言う場所を観察して来て欲しい。いいかい?重点区域は・・・」僕は事細かに場所を指定して偵察を依頼した。何しろ、真正面からの正攻法だ。確認を怠ると足が付きかねない。慎重を期して話は進められた。
今秋最後の脱走を無事に終えた翌日、何故か主治医面談が集中して行われた。僕は相次いだ“意識喪失”もあり、圏外だったがマイちゃんやOちゃん、Eちゃん達が面談に臨んでいた。指定席周辺はガランとしていたが、午後に主治医面談を控えたAさんは、妙にそわそわしていた。「あー、またしても難儀な話し合いの始まりだわ!SH先生と旦那の板挟みよ!○ッシー、どうすればいいの?」Aさんは、早くも頭を抱える。「それぞれの家庭の問題には干渉出来ません!土足で踏み荒らす真似が出来る訳が無い!」僕は一刀両断に切り捨てに掛かる。「○ッシー、週末に帰らずに済ませる方法は無いの?戦略は思い付かない?」それでも彼女はすがり付こうとする。「残念ですけど、僕も患者なんでね。主治医の意向や治療方針に口は出せません!」袖を振り払いに掛かるが、諦めの悪い彼女は尚も食い下がる。「一家に一台○ッシーは必要なの!何かしらのヒントだけでも考えてくれない?」「無理!」「そこを何とかして!○ッシー!」「あくまでも独り言として聞くなら、個人的見解は述べるけどそれでいい?」背後霊として取り付かれるよりは被害が少ないので、僕もやむを得なく折れる。「何でもいいから、とにかく教えて!」必死の形相を消し去るには、話す以外に無さそうだ。「僕の個人的私見を言うよ。まず、ダウンロードの防止方法だけど、外泊が合計3日あるなら、1日にやっていい事は2つまで。他は手を出さずに休む事!これでダウンロードは回避出来る!」「何で2つしかダメなの?家事全般に旦那の世話に、子供の世話に猫の世話。HPの更新にコメントの投稿に・・・」「前回はそれを一気にやってダウンロードしてるだろう?もう少し分散させなきゃ無理は出るさ。1日目から全力で飛ばすからダメなの!」「じゃあ、どうするのよ?」「家に帰ってまずは、猫の世話。Aさんにしか懐いていない猫を落ち着かせる。これでまず家族の負担が1つ減る。その日はそれで終了!2日目は、食品・日用品の買い出しと食事の支度・片づけをする。これで旦那さんも一息つけるから、ここで手を引いて休む。3日目は、軽く掃除を手伝って洗濯の応援。そして病院へ帰る用意をする。猫の世話もしてから就寝して、月曜日にここへ帰ってくる。これしか無い!」「それじゃあ、HPの更新にコメントの投稿・返信はどうするの?」「VDT作業は、最も良くない事を自覚してくれなきゃ困るよ!人間が得る情報の大半は眼から入ってくる。PCの画面と半日睨めっこしてたら、脳が疲れるだけじゃなくて首や肩もやられる。PCは当分の間は封印する事だよ。HPもコメントもダメ!今はそれ以前の問題だろう?如何に落ち着いて自宅で過ごすか?それを第一に考えなきゃ!」僕は忌憚なく述べて次々と釘を刺す。「子供達の事は?」「生まれてからもう何年?10代になってるなら、ちょっとした変化には家に居れば気づけるんじゃない?だからこそ“居てくれるだけでいい”って旦那さんも主張するのさ。我が子の成長と変化は肌で感じ取れるはずじゃない?」「うーん、そう言う理屈か?」「母親ならではの感覚を思い出して接してみれば?Aさんにしか見えない事は多々あると思うけど。男性は基本的に育児に関与する事がどうしても希薄になりがちだよね?本来は良くないけど。ましてや女の子ともなれば、母親にしか聞けない事象が絶対に出てくる。一例を上げれば生理に関することを旦那さんに相談出来ると思う?」「あー、そうかー、旦那もフリーズするしか無いわね。あたしにしか聞けない事は確かにある!」「それと、何が苦手でどこでつまづくか?学習全般についても細かく把握してるのは、旦那さんよりAさんのはず。これから高校進学に際して、どこを補強すればいいか?見極めてるのはどっち?」「やっぱりあたしかな?」「だったら、帰った時に微妙な変化を見逃さない様にしなきゃ!食事の時の会話とかを大事にしなきゃダメ!だからやる事を2つぐらいで止めとくのさ!ダウンしたら何も見えなくなるし、旦那さんとも相談すらままならなくなる。そうした事を回避するために、お母さんが居ないから、旦那さんとお子さん達でローテーションを組んで、家を回して乗り切ってるはずでしょ!手があるなら借りとかなきゃどうする訳?家族でしょ?」「でもね、何も出来ない自分がもどかしいのはどう始末するのよ?母親らしい事も何も出来ないのよ?せめて家に帰ったら何かしなきゃ申し訳が立たないじゃない!」「そう言う思考そのものがダメなの。今は“出来る事”と“出来ない事”がハッキリ分かれてるんだから、“出来る事”だけをやってればいい。数少ないのはしょうがないんだから、確実に“出来る事”をこなして段階的に増やすしかないでしょ?!先週の失敗を踏まえて考えるなら、まずは無理せずに自宅で過ごして帰ってくる事だね。“もどかしい”云々や“母親らしい”云々はこれからの事。Aさん自身が体調を崩さずに行って帰って来るのが、最初の一歩だろう?そのためには何を優先して、何を棚上げして置くか?考え方を根本的に切り換えなきゃいけませんね!」と言って僕は止めを刺した。「旦那にこれ以上の負担がのしかかっても?」「何年夫婦やってますか?Aさんが回復して元通りに家を回してくれる状態になるまでは、旦那さんも踏ん張れるだろうし覚悟してるはず。男性は基本的に家事労働に向いてないって言うけどさ、訓練次第では対応可能でしょ?実際、旦那さんが奮闘してくれてるからこそ、治療に専念出来るんじゃありませんか?無論、Aさんと同等とまでは行かなくても旦那さんだって相応の事はやってくれてるんでしょ?だったら、これから何をすべきか?は言わなくても分かるはずでしょ?旦那さんは、何よりもAさんの回復を願ってる。SH先生は、そのために何が必要か?を考えてくれてる。だったら、答えは1つしか無い。“一歩でも前に進むこと”これ以外に何があるの?そのために両者がすり合わせて妥協点を探す。それこそが主治医面談の意義だろう?」僕は、食い下がる大魚を抑え込む様に言い含める。「甘えてもいいって事?」「正直に“お願いします”って言えなくてどうする?結局は自分に跳ね返って来るんだぜ!火の粉を振り払う事をしなけりゃ、灰になっちまう。“お前が居てくれるだけでいい”ってセリフが出てるなら何を遠慮する?愛されてるなら、そう感じられるなら何も不満は無いでしょ!」「何か、見てる様に同席してる様に言われると、反論の余地も無いわね。やっぱり一家に一台必要だわ!○ッシー!」「僕はサイボーグじゃないよ!これはあくまでも僕個人の私的見解だ。後は、各家庭の事情に即して話し合って下さい!」どうにかAさんを封じ込めるが結構体力を消耗した。みんなの面談も長引いている様なので、一旦病室へ戻るとCDを1枚とヘッドフォンを手にして遊戯室のコンポの前に座る。静かに曲をヘッドフォンから流して心を落ち着ける。歌詞カードに眼を落して無言で文字を追うと、けだるさは徐々に消えていった。トントンと肩を叩かれる。顔を上げるとマイちゃんが居た。再生を止めてヘッドフォンを外すと「どうしたの?疲れてるね。原因はAさんかな?」と笑いかけて来る。「ご明察!朝から全力で封じ込めをやったからね。ちょっとブレイク中。T先生とはどうだった?」僕が返すと「話にもならないわ!あれもダメ!これもダメ!ダメダメの連続よ!こっちから席を蹴って出てきたとこ!注射は下手だし、頭も固いし、使い物になりゃしないって!」マイちゃんは大荒れになった。確かにT先生は注射は下手だし、四角四面の性格。マイちゃんにすれば“役立たず”の烙印をベッタリ押すだろうと思った。「○ッシー、また“お気に入りの彼女”のCDじゃん!」と言うと歌詞カードを取り上げて見聞に入る。「聴いてたの何曲目?」「5曲目だよ」「ふーむ、何かドラマみたいな詞だね。あたしも聴いていい?」「構わないけど、好みは分かれるだろうなー」マイちゃんはヘッドフォンを被ると5曲目に聴き入った。5分程の静寂が過ぎると「OK、謎が解けた!○ッシーの女子力はこれがベースか!」と妙に納得する。改めて歌詞を眼で追うと「あたし達の気持ちに対して、いつも的確な対応が取れるのは何故?ってずっと考えてたけど、普段からちゃんと“学習”してたのね。やっと突き止めた!」マイちゃんが悪戯っぽく笑う。「“学習”してた訳じゃないよ。自然と染み込んでくるんだ。砂が水を吸うみたいに」「ふーん、一応聞いて置く!でも、対応力の源泉はここにあったとはね。女の子よりも深く女心を極めてたのね。○ッシーらしい。しかも、○ッシーの“女の子選考基準”に合致してる!」「なーんか、誤解してない?」「誤解なんてしてないもん!あたしだって“女の子選考基準”に合致してるでしょう?」「仰せの通り!って何を言わせたい訳?」「秘密!それよりもさぁ、Oちゃんの面談時間長くない?」「うん、そろそろ2時間になるな。ひょっとすると・・・」「退院時期の打診あり?と見ても良くない?」マイちゃんも言う。「Oちゃんの安定振りは確かだし、週末の帰宅も順調だし、条件は満たしてると思うな。後は、先生達の判断次第じゃない?」僕が返すと「あたしもそう思う。後は○ッシーへの未練がどの程度かな?」彼女は首を傾げる。「ここだけの話、Oちゃんには悪いが、彼女を受け止めるだけのキャパは僕には無いんだ。優先順位があるから・・・」「言うまでもないけど、あたしが最優先でしょ?!」マイちゃんはダメを押す。押さなくても変わりはないのに。僕は黙って頷く。「あっ、帰ってきた。○ッシー、戻ろう!」僕らは慌ててCDを取り出して指定席へ向かった。
「もう少し体重が増えないと退院は無理だって言うのよ!これって酷くない?」Eちゃんはむくれて居た。「確かにそうだが、40kgを切ってたんだから、ある意味仕方あるまい。Eちゃん、もうしばらく僕らに付き合ってくれる?」「当然そのつもり!○ッシーとマイちゃんとまだまだ馬鹿やりたいし!家に帰っても寒いだけだしね」Eちゃんは屈託なく笑う。一方、Oちゃんは1点を見つめて何かを考えている。何やら思いつめた表情が気になる。「Oちゃん、どうしたの?」Aさんが切り出した。「うん、ちょっとね・・・」Oちゃんの表情は曇るばかり。「ごめん!1人で考えたいの!病室に戻るね」Oちゃんは身を翻すと病室へ向かった。「退院の打診はあったみたいね。後は、未練かな?」Aさんが言うと「多分ね。○ッシーに対する未練をどうしたものか?葛藤中ですな!」Eちゃんも同調する。「打診があったのは間違いないだろうけど、迷いは生じるかもね・・・」マイちゃんも同意見の様だ。「いずれにせよ、結論を出すのは彼女自身だ。憶測でモノを言うのは良くないね。Oちゃん自身が自らと向き合って決めなきゃならない。今は静かに見守るしかないね」僕は妙な尾ひれが付かないように、憶測を封じようとした。「○ッシー、手助け出来ないの?」Aさんが余計な方向へ走ろうとする。「手出しは無用!僕らがどうこう言う問題じゃない!」僕は語気を強めて制止した。「確かに、○ッシーの言う通り。あたし達が踏み込んじゃいけない領域だね!」マイちゃんも後押ししてくれた。「個々の“事案”については、一線を越えてはならない部分がある。例え仲間内でもね。そして、彼女が出した結論についてもどうこう言うのは控えるべきだ!その上で、何か相談されれば話は別だ。そっとしとくのも“心遣い”の1つじゃないかな?」僕の意見に反論は出なかった。彼女がどう言う点で引っかかり、思い悩み、苦慮しているのか?は知る由もない。むしろ“知るべきではない”のである。退院と言う大事に際して、余人が口を挿むのはタブーだ。苦しいだろうがOちゃんが考えて決めるしか無いのだ。マイちゃんが僕の左手を握りしめた。その横顔は憂いに満ちていた。「○ッシー、大丈夫かな?」「決めるのは彼女だ。今、出来る事はないよ。静かに見守るしかない」左手をしっかりと握って落ち着かせる。「そうだね」マイちゃんは遠くを見る様に言った。
夕食の時間になってもOちゃんは病室から出て来なかった。ベッドに座り込んで一心に考えていると言う。Aさんは「○ッシー、どうにかならない?」とお節介を焼こうとするが「個々の問題については、相互不介入が原則!土足で踏み荒らす真似が出来ますか?!」と言って叩き潰した。Aさんは「そう言わないで、話だけでも・・・」と尚も食い下がるが「プライペートに手は出さない!それが僕らのルール。彼女から言い出さない限りは、話しも何もありません!」と封じ込めを図る。「○ッシー、そこを何とか・・・」「無理!!!」流石に僕も切れた。「一線を越えていい場合とそうでない場合の区別が何故分からん!自分がやろうとしている事が、どれだけ迷惑か考えた事があるのか!!」テーブルを叩き声を荒げて睨み付けると、Aさんは怖れをなして逃げ出した。「まあまあ、○ッシー落ち着いて!○ッシーは正論を言ってるだけ。Aさんが非常識なのは、みんな分かってるから」とマイちゃんがなだめに入って来る。「心配とお節介の区別も付かんのか!」僕は憤然としてタバコに火を点じた。「付かないからああ言う事を平気で言うのよ。○ッシーを怒らせるなんて無神経にも程があるわ!」マイちゃんも切れかかっている。「はい、はい、はい、○ッシーもこれ食べて落ち着いて。ほら、口あけて」メンバーの子達が僕の口にお菓子を放り込んでくれる。マイちゃんにもおすそ分けの山が手渡される。「“僕達は医師じゃなくて患者なんだ”って、○ッシーがよく言うけどさ、今回の件はまさにそれだよね。医師と患者の事にあたし達が介入すべきじゃないよね!」しみじみと彼女達が言うと「その通り。それが分からないAさんがどうかしてるよ!」マイちゃんが返すとその場の全員が頷いた。「○ッシー、ちょいと宜しゅうございますか?」Eちゃんが聞いてくる。「どうした?」「Aさんが“個人的に話を聞いてやりたい”と申しておりますが、如何いたしましょう?」Aさんは、どうしても介入したいらしい。だが、1つ間違えばメンバー全員を巻き込む騒動になりかねない。そこまでして、果たして糸口が見えるのか?不確定要素の濃い事案だけに、下手な手出しは大火傷を負いかねないのに。僕はしばらく考え込んだ。「Eちゃん、止める様に言っときな!○ッシーの逆鱗に触れてるんだから!」マイちゃんが言っている。「Eちゃん、Aさんは、あくまでも“個人的に話を聞いてやりたい”と言ってるんだろう?」「へい、左様でございます」「ならば、Aさん“個人”が解決に手を貸すだけでいいんだよね?僕らはあくまでも“不干渉”を通す。後になってどうこう言うのも無しでいいなら止める筋合いは無い。そこん所を了解するなら、自由にさせていいよ。ただし、繰り返しになるが、僕らは手は貸さないよ!この点を強調して置いてくれ!それとEちゃん、君も手を引いてくれ!」「○ッシー!放任するの?!」マイちゃんが異を唱える。「どの道、泣き付いてくるのは“ここ”しか無い。Aさんがどこまでやれるか?観察してましょう。それから動いても遅くは無い!Eちゃん、僕は了解したと伝えてくれ。ただ、他は反対してるとも併せて釘を刺しておいて」「承知しました!○ッシーの言葉、しかと申し渡します!」Eちゃんは神妙に言うと病室へ向った。「○ッシー、本当にいいの?」マイちゃんが代表して聞いてくる。その場の全員が固唾を飲んで見守っている。「どこまで対処出来るかを見ているしかあるまい。手痛い目に合うのはAさんだ。さっきも言ったが、どの道、泣き付いてくるのは“ここ”しか無い。その時になって初めて思い知るだろうよ!患者と医師の件に不用意に手を出すとどうなるかをね」「○ッシー、否応なしに巻き込まれるよ!それでもいいの?」「“ここ”を預かってる以上、覚悟はしてるさ。最小限の被害で食い止めるのが僕の役目だから」「○ッシー1人に全てを押付けるなんて出来ないよ!みんな!手を貸してくれる?」マイちゃんが尋ねると「当然!」と合唱が返って来た。「今回は、かなり個人的かつシビアな問題だ。表面上、目立った動きは差し控えるが、水面下では情報収集がカギになる。AさんとOちゃんの動きから眼を離さないでくれ!そして、些細な事でも必ず知らせて欲しい。いいか、タイミングが全てを左右する。押すか?引くか?その都度判断して最善を尽くそう!」僕は周囲を見渡した。全員が黙って頷いた。「じゃあ、作戦開始!」「了解!」女の子達はそれぞれに動き出した。「○ッシー、結局こうなる訳?」マイちゃんが呆れ顔で言う。「事は重大だし、僕らにとっても無縁では無い。Oちゃんに気持ち良く退院してもらうには、やむを得ないよ」「うん、あたしにとっても今後を左右する事だし、無下にはできないか?」「ああ、これ以上“優先順位”で悩まないためにもね」「ふーん、ちゃんと意識してるんだ!」マイちゃんが勝ち誇ったように言う。「どれだけバランスを取っても2人を同時に支えるのは無理がある。Oちゃんには自立してもらわないと・・・」「あたしとの“約束”は果たせないかな?」「そう言う事。分かってるなら今後の方策について検討したいんですが?付き合ってくれます?」「はーい。早速続きをやろうか?」僕らも着地点についての検討に入っていった。難儀な戦いは始まった。もう、後戻りは出来ない。
翌日の検温後、新聞と将棋盤と駒を持って指定席に陣取った僕は、駒を並べ出した。そこへマイちゃんが顔を出す。「ねえ、○ッシー、今度は何を並べてるの?」「いや、名人戦の棋譜なんだけどさ、ちょっと微妙な局面でね」「何が微妙なの?」「駒がぶつかってるだろう?取るか?取らないか?それで先手が考えてるのさ。115分もね!」「えー!2時間近くも?!信じられない!」「だから、先がどうなるか?を予測してるのさ!」「1手に2時間かー、何を考えてる訳?」「まず、5~10手先の動きだよ。この1手が形勢を左右するとしたら、先の先まで予測して動かないと負けるからね。更に相手の動きを含めて30~40手先を読む。取らないとすれば、攻めるか?それとも辛抱して守るか?はたまた逆転の手はあるか?」「それって、○ッシーの戦略の基本的思考だよね?こんな形でトレーニングしてる訳?」「脳トレの一環ではあるね。作戦を練り上げるには割りと重宝してるよ」「じゃあさぁ、寒くなる前にもう一度脱走を計画しない?それも出来れば派手なヤツ!」「ふむ、やるなら早いに越した事は無いが、ルートが怪しい!最短コースを読まれてる気がするんだよ。だとすれば・・・、久々に真正面から堂々と行きますかね?」「そうだね!まさか正面切って出るとは思わない!そこに隙ありって訳か!」マイちゃんもノリノリになって来た。「○ッシー、いつまでに計画組める?」「明日の朝、今日は事前偵察に出る!」僕はプランを練り上げ始めた。「事が事だ。全員に手伝ってもらわなくちゃ無理だ!」「何の相談?もしかして、派手なヤツとか?」メンバーの子達も集まって来た。「今秋最後の大作戦だよ。○ッシー、概略を説明出来る?」「骨格は、正面突破!長旅を考えてる」僕はプランを話始めた。「これまでは、時間に囚われて最短コースに拘って来たが、そろそろ“遠征”をやる時期だと思う。どうも、手の内を読まれてる気がするんだ!そこで、今回やるなら思い切って外来棟をフル活用しての一大作戦に打って出る!」「奥の手ですな!」Eちゃんがすかさず食いついて来る。「かなり大がかりな作戦にはなるし、際どい事も敢えて組み入れる。リスクは計算しないと現段階では何とも言えないが、前回同様に全員が役割を演じ切ってくれれば勝算は高いと踏んでる!明日までは全体像を考えて置くから、各自覚悟を決めて置いて欲しい。どう?ここは一っ走り派手に行きますか?」「賛成!」みんなが合唱する。「ならば、今日の買い出しの際に、これから言う場所を観察して来て欲しい。いいかい?重点区域は・・・」僕は事細かに場所を指定して偵察を依頼した。何しろ、真正面からの正攻法だ。確認を怠ると足が付きかねない。慎重を期して話は進められた。
今秋最後の脱走を無事に終えた翌日、何故か主治医面談が集中して行われた。僕は相次いだ“意識喪失”もあり、圏外だったがマイちゃんやOちゃん、Eちゃん達が面談に臨んでいた。指定席周辺はガランとしていたが、午後に主治医面談を控えたAさんは、妙にそわそわしていた。「あー、またしても難儀な話し合いの始まりだわ!SH先生と旦那の板挟みよ!○ッシー、どうすればいいの?」Aさんは、早くも頭を抱える。「それぞれの家庭の問題には干渉出来ません!土足で踏み荒らす真似が出来る訳が無い!」僕は一刀両断に切り捨てに掛かる。「○ッシー、週末に帰らずに済ませる方法は無いの?戦略は思い付かない?」それでも彼女はすがり付こうとする。「残念ですけど、僕も患者なんでね。主治医の意向や治療方針に口は出せません!」袖を振り払いに掛かるが、諦めの悪い彼女は尚も食い下がる。「一家に一台○ッシーは必要なの!何かしらのヒントだけでも考えてくれない?」「無理!」「そこを何とかして!○ッシー!」「あくまでも独り言として聞くなら、個人的見解は述べるけどそれでいい?」背後霊として取り付かれるよりは被害が少ないので、僕もやむを得なく折れる。「何でもいいから、とにかく教えて!」必死の形相を消し去るには、話す以外に無さそうだ。「僕の個人的私見を言うよ。まず、ダウンロードの防止方法だけど、外泊が合計3日あるなら、1日にやっていい事は2つまで。他は手を出さずに休む事!これでダウンロードは回避出来る!」「何で2つしかダメなの?家事全般に旦那の世話に、子供の世話に猫の世話。HPの更新にコメントの投稿に・・・」「前回はそれを一気にやってダウンロードしてるだろう?もう少し分散させなきゃ無理は出るさ。1日目から全力で飛ばすからダメなの!」「じゃあ、どうするのよ?」「家に帰ってまずは、猫の世話。Aさんにしか懐いていない猫を落ち着かせる。これでまず家族の負担が1つ減る。その日はそれで終了!2日目は、食品・日用品の買い出しと食事の支度・片づけをする。これで旦那さんも一息つけるから、ここで手を引いて休む。3日目は、軽く掃除を手伝って洗濯の応援。そして病院へ帰る用意をする。猫の世話もしてから就寝して、月曜日にここへ帰ってくる。これしか無い!」「それじゃあ、HPの更新にコメントの投稿・返信はどうするの?」「VDT作業は、最も良くない事を自覚してくれなきゃ困るよ!人間が得る情報の大半は眼から入ってくる。PCの画面と半日睨めっこしてたら、脳が疲れるだけじゃなくて首や肩もやられる。PCは当分の間は封印する事だよ。HPもコメントもダメ!今はそれ以前の問題だろう?如何に落ち着いて自宅で過ごすか?それを第一に考えなきゃ!」僕は忌憚なく述べて次々と釘を刺す。「子供達の事は?」「生まれてからもう何年?10代になってるなら、ちょっとした変化には家に居れば気づけるんじゃない?だからこそ“居てくれるだけでいい”って旦那さんも主張するのさ。我が子の成長と変化は肌で感じ取れるはずじゃない?」「うーん、そう言う理屈か?」「母親ならではの感覚を思い出して接してみれば?Aさんにしか見えない事は多々あると思うけど。男性は基本的に育児に関与する事がどうしても希薄になりがちだよね?本来は良くないけど。ましてや女の子ともなれば、母親にしか聞けない事象が絶対に出てくる。一例を上げれば生理に関することを旦那さんに相談出来ると思う?」「あー、そうかー、旦那もフリーズするしか無いわね。あたしにしか聞けない事は確かにある!」「それと、何が苦手でどこでつまづくか?学習全般についても細かく把握してるのは、旦那さんよりAさんのはず。これから高校進学に際して、どこを補強すればいいか?見極めてるのはどっち?」「やっぱりあたしかな?」「だったら、帰った時に微妙な変化を見逃さない様にしなきゃ!食事の時の会話とかを大事にしなきゃダメ!だからやる事を2つぐらいで止めとくのさ!ダウンしたら何も見えなくなるし、旦那さんとも相談すらままならなくなる。そうした事を回避するために、お母さんが居ないから、旦那さんとお子さん達でローテーションを組んで、家を回して乗り切ってるはずでしょ!手があるなら借りとかなきゃどうする訳?家族でしょ?」「でもね、何も出来ない自分がもどかしいのはどう始末するのよ?母親らしい事も何も出来ないのよ?せめて家に帰ったら何かしなきゃ申し訳が立たないじゃない!」「そう言う思考そのものがダメなの。今は“出来る事”と“出来ない事”がハッキリ分かれてるんだから、“出来る事”だけをやってればいい。数少ないのはしょうがないんだから、確実に“出来る事”をこなして段階的に増やすしかないでしょ?!先週の失敗を踏まえて考えるなら、まずは無理せずに自宅で過ごして帰ってくる事だね。“もどかしい”云々や“母親らしい”云々はこれからの事。Aさん自身が体調を崩さずに行って帰って来るのが、最初の一歩だろう?そのためには何を優先して、何を棚上げして置くか?考え方を根本的に切り換えなきゃいけませんね!」と言って僕は止めを刺した。「旦那にこれ以上の負担がのしかかっても?」「何年夫婦やってますか?Aさんが回復して元通りに家を回してくれる状態になるまでは、旦那さんも踏ん張れるだろうし覚悟してるはず。男性は基本的に家事労働に向いてないって言うけどさ、訓練次第では対応可能でしょ?実際、旦那さんが奮闘してくれてるからこそ、治療に専念出来るんじゃありませんか?無論、Aさんと同等とまでは行かなくても旦那さんだって相応の事はやってくれてるんでしょ?だったら、これから何をすべきか?は言わなくても分かるはずでしょ?旦那さんは、何よりもAさんの回復を願ってる。SH先生は、そのために何が必要か?を考えてくれてる。だったら、答えは1つしか無い。“一歩でも前に進むこと”これ以外に何があるの?そのために両者がすり合わせて妥協点を探す。それこそが主治医面談の意義だろう?」僕は、食い下がる大魚を抑え込む様に言い含める。「甘えてもいいって事?」「正直に“お願いします”って言えなくてどうする?結局は自分に跳ね返って来るんだぜ!火の粉を振り払う事をしなけりゃ、灰になっちまう。“お前が居てくれるだけでいい”ってセリフが出てるなら何を遠慮する?愛されてるなら、そう感じられるなら何も不満は無いでしょ!」「何か、見てる様に同席してる様に言われると、反論の余地も無いわね。やっぱり一家に一台必要だわ!○ッシー!」「僕はサイボーグじゃないよ!これはあくまでも僕個人の私的見解だ。後は、各家庭の事情に即して話し合って下さい!」どうにかAさんを封じ込めるが結構体力を消耗した。みんなの面談も長引いている様なので、一旦病室へ戻るとCDを1枚とヘッドフォンを手にして遊戯室のコンポの前に座る。静かに曲をヘッドフォンから流して心を落ち着ける。歌詞カードに眼を落して無言で文字を追うと、けだるさは徐々に消えていった。トントンと肩を叩かれる。顔を上げるとマイちゃんが居た。再生を止めてヘッドフォンを外すと「どうしたの?疲れてるね。原因はAさんかな?」と笑いかけて来る。「ご明察!朝から全力で封じ込めをやったからね。ちょっとブレイク中。T先生とはどうだった?」僕が返すと「話にもならないわ!あれもダメ!これもダメ!ダメダメの連続よ!こっちから席を蹴って出てきたとこ!注射は下手だし、頭も固いし、使い物になりゃしないって!」マイちゃんは大荒れになった。確かにT先生は注射は下手だし、四角四面の性格。マイちゃんにすれば“役立たず”の烙印をベッタリ押すだろうと思った。「○ッシー、また“お気に入りの彼女”のCDじゃん!」と言うと歌詞カードを取り上げて見聞に入る。「聴いてたの何曲目?」「5曲目だよ」「ふーむ、何かドラマみたいな詞だね。あたしも聴いていい?」「構わないけど、好みは分かれるだろうなー」マイちゃんはヘッドフォンを被ると5曲目に聴き入った。5分程の静寂が過ぎると「OK、謎が解けた!○ッシーの女子力はこれがベースか!」と妙に納得する。改めて歌詞を眼で追うと「あたし達の気持ちに対して、いつも的確な対応が取れるのは何故?ってずっと考えてたけど、普段からちゃんと“学習”してたのね。やっと突き止めた!」マイちゃんが悪戯っぽく笑う。「“学習”してた訳じゃないよ。自然と染み込んでくるんだ。砂が水を吸うみたいに」「ふーん、一応聞いて置く!でも、対応力の源泉はここにあったとはね。女の子よりも深く女心を極めてたのね。○ッシーらしい。しかも、○ッシーの“女の子選考基準”に合致してる!」「なーんか、誤解してない?」「誤解なんてしてないもん!あたしだって“女の子選考基準”に合致してるでしょう?」「仰せの通り!って何を言わせたい訳?」「秘密!それよりもさぁ、Oちゃんの面談時間長くない?」「うん、そろそろ2時間になるな。ひょっとすると・・・」「退院時期の打診あり?と見ても良くない?」マイちゃんも言う。「Oちゃんの安定振りは確かだし、週末の帰宅も順調だし、条件は満たしてると思うな。後は、先生達の判断次第じゃない?」僕が返すと「あたしもそう思う。後は○ッシーへの未練がどの程度かな?」彼女は首を傾げる。「ここだけの話、Oちゃんには悪いが、彼女を受け止めるだけのキャパは僕には無いんだ。優先順位があるから・・・」「言うまでもないけど、あたしが最優先でしょ?!」マイちゃんはダメを押す。押さなくても変わりはないのに。僕は黙って頷く。「あっ、帰ってきた。○ッシー、戻ろう!」僕らは慌ててCDを取り出して指定席へ向かった。
「もう少し体重が増えないと退院は無理だって言うのよ!これって酷くない?」Eちゃんはむくれて居た。「確かにそうだが、40kgを切ってたんだから、ある意味仕方あるまい。Eちゃん、もうしばらく僕らに付き合ってくれる?」「当然そのつもり!○ッシーとマイちゃんとまだまだ馬鹿やりたいし!家に帰っても寒いだけだしね」Eちゃんは屈託なく笑う。一方、Oちゃんは1点を見つめて何かを考えている。何やら思いつめた表情が気になる。「Oちゃん、どうしたの?」Aさんが切り出した。「うん、ちょっとね・・・」Oちゃんの表情は曇るばかり。「ごめん!1人で考えたいの!病室に戻るね」Oちゃんは身を翻すと病室へ向かった。「退院の打診はあったみたいね。後は、未練かな?」Aさんが言うと「多分ね。○ッシーに対する未練をどうしたものか?葛藤中ですな!」Eちゃんも同調する。「打診があったのは間違いないだろうけど、迷いは生じるかもね・・・」マイちゃんも同意見の様だ。「いずれにせよ、結論を出すのは彼女自身だ。憶測でモノを言うのは良くないね。Oちゃん自身が自らと向き合って決めなきゃならない。今は静かに見守るしかないね」僕は妙な尾ひれが付かないように、憶測を封じようとした。「○ッシー、手助け出来ないの?」Aさんが余計な方向へ走ろうとする。「手出しは無用!僕らがどうこう言う問題じゃない!」僕は語気を強めて制止した。「確かに、○ッシーの言う通り。あたし達が踏み込んじゃいけない領域だね!」マイちゃんも後押ししてくれた。「個々の“事案”については、一線を越えてはならない部分がある。例え仲間内でもね。そして、彼女が出した結論についてもどうこう言うのは控えるべきだ!その上で、何か相談されれば話は別だ。そっとしとくのも“心遣い”の1つじゃないかな?」僕の意見に反論は出なかった。彼女がどう言う点で引っかかり、思い悩み、苦慮しているのか?は知る由もない。むしろ“知るべきではない”のである。退院と言う大事に際して、余人が口を挿むのはタブーだ。苦しいだろうがOちゃんが考えて決めるしか無いのだ。マイちゃんが僕の左手を握りしめた。その横顔は憂いに満ちていた。「○ッシー、大丈夫かな?」「決めるのは彼女だ。今、出来る事はないよ。静かに見守るしかない」左手をしっかりと握って落ち着かせる。「そうだね」マイちゃんは遠くを見る様に言った。
夕食の時間になってもOちゃんは病室から出て来なかった。ベッドに座り込んで一心に考えていると言う。Aさんは「○ッシー、どうにかならない?」とお節介を焼こうとするが「個々の問題については、相互不介入が原則!土足で踏み荒らす真似が出来ますか?!」と言って叩き潰した。Aさんは「そう言わないで、話だけでも・・・」と尚も食い下がるが「プライペートに手は出さない!それが僕らのルール。彼女から言い出さない限りは、話しも何もありません!」と封じ込めを図る。「○ッシー、そこを何とか・・・」「無理!!!」流石に僕も切れた。「一線を越えていい場合とそうでない場合の区別が何故分からん!自分がやろうとしている事が、どれだけ迷惑か考えた事があるのか!!」テーブルを叩き声を荒げて睨み付けると、Aさんは怖れをなして逃げ出した。「まあまあ、○ッシー落ち着いて!○ッシーは正論を言ってるだけ。Aさんが非常識なのは、みんな分かってるから」とマイちゃんがなだめに入って来る。「心配とお節介の区別も付かんのか!」僕は憤然としてタバコに火を点じた。「付かないからああ言う事を平気で言うのよ。○ッシーを怒らせるなんて無神経にも程があるわ!」マイちゃんも切れかかっている。「はい、はい、はい、○ッシーもこれ食べて落ち着いて。ほら、口あけて」メンバーの子達が僕の口にお菓子を放り込んでくれる。マイちゃんにもおすそ分けの山が手渡される。「“僕達は医師じゃなくて患者なんだ”って、○ッシーがよく言うけどさ、今回の件はまさにそれだよね。医師と患者の事にあたし達が介入すべきじゃないよね!」しみじみと彼女達が言うと「その通り。それが分からないAさんがどうかしてるよ!」マイちゃんが返すとその場の全員が頷いた。「○ッシー、ちょいと宜しゅうございますか?」Eちゃんが聞いてくる。「どうした?」「Aさんが“個人的に話を聞いてやりたい”と申しておりますが、如何いたしましょう?」Aさんは、どうしても介入したいらしい。だが、1つ間違えばメンバー全員を巻き込む騒動になりかねない。そこまでして、果たして糸口が見えるのか?不確定要素の濃い事案だけに、下手な手出しは大火傷を負いかねないのに。僕はしばらく考え込んだ。「Eちゃん、止める様に言っときな!○ッシーの逆鱗に触れてるんだから!」マイちゃんが言っている。「Eちゃん、Aさんは、あくまでも“個人的に話を聞いてやりたい”と言ってるんだろう?」「へい、左様でございます」「ならば、Aさん“個人”が解決に手を貸すだけでいいんだよね?僕らはあくまでも“不干渉”を通す。後になってどうこう言うのも無しでいいなら止める筋合いは無い。そこん所を了解するなら、自由にさせていいよ。ただし、繰り返しになるが、僕らは手は貸さないよ!この点を強調して置いてくれ!それとEちゃん、君も手を引いてくれ!」「○ッシー!放任するの?!」マイちゃんが異を唱える。「どの道、泣き付いてくるのは“ここ”しか無い。Aさんがどこまでやれるか?観察してましょう。それから動いても遅くは無い!Eちゃん、僕は了解したと伝えてくれ。ただ、他は反対してるとも併せて釘を刺しておいて」「承知しました!○ッシーの言葉、しかと申し渡します!」Eちゃんは神妙に言うと病室へ向った。「○ッシー、本当にいいの?」マイちゃんが代表して聞いてくる。その場の全員が固唾を飲んで見守っている。「どこまで対処出来るかを見ているしかあるまい。手痛い目に合うのはAさんだ。さっきも言ったが、どの道、泣き付いてくるのは“ここ”しか無い。その時になって初めて思い知るだろうよ!患者と医師の件に不用意に手を出すとどうなるかをね」「○ッシー、否応なしに巻き込まれるよ!それでもいいの?」「“ここ”を預かってる以上、覚悟はしてるさ。最小限の被害で食い止めるのが僕の役目だから」「○ッシー1人に全てを押付けるなんて出来ないよ!みんな!手を貸してくれる?」マイちゃんが尋ねると「当然!」と合唱が返って来た。「今回は、かなり個人的かつシビアな問題だ。表面上、目立った動きは差し控えるが、水面下では情報収集がカギになる。AさんとOちゃんの動きから眼を離さないでくれ!そして、些細な事でも必ず知らせて欲しい。いいか、タイミングが全てを左右する。押すか?引くか?その都度判断して最善を尽くそう!」僕は周囲を見渡した。全員が黙って頷いた。「じゃあ、作戦開始!」「了解!」女の子達はそれぞれに動き出した。「○ッシー、結局こうなる訳?」マイちゃんが呆れ顔で言う。「事は重大だし、僕らにとっても無縁では無い。Oちゃんに気持ち良く退院してもらうには、やむを得ないよ」「うん、あたしにとっても今後を左右する事だし、無下にはできないか?」「ああ、これ以上“優先順位”で悩まないためにもね」「ふーん、ちゃんと意識してるんだ!」マイちゃんが勝ち誇ったように言う。「どれだけバランスを取っても2人を同時に支えるのは無理がある。Oちゃんには自立してもらわないと・・・」「あたしとの“約束”は果たせないかな?」「そう言う事。分かってるなら今後の方策について検討したいんですが?付き合ってくれます?」「はーい。早速続きをやろうか?」僕らも着地点についての検討に入っていった。難儀な戦いは始まった。もう、後戻りは出来ない。
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