「何だと!Y、それは本当なのか?!」中島先生は思わず絶句した。「残念ながら事実です。僕等が追跡・調査した結果、浮かび上がったモノで、一部を除き間違いありません!」僕はキッパリと断言した。「しかし、事は思っていた以上に重大だな!特に“不透明な資金の流れ”を捕捉した事実は画期的でもある。これはもうお前たちの手に余る“極めて重大かつ緊急性の高い特異案件”に発展した!お前達の集めた証拠は“最高機密”になるモノばかりだ。全員、速やかに手を引け!後はワシ達職員が始末しなくてはならん事だ!」生物準備室には、長官、伊東、竹内、滝、レディ達5名も同席していた。今回の報告に際して、関わった全員の招集を先生が命じたからだった。「分かりました。全員が速やかに手を引いて、後はお任せします。ただ、調査・追跡に際して用いた手法について、後々追及されるとなると僕等も“後ろ暗い”部分がありますが・・・」「それは問題にはならん!得られた証拠の確度の高さから見ても“手法や違法性”については、ハッキリ言ってどうでもいいのだ。何故なら“学校として明らかな証拠を手にした”事が全てを帳消しにしているからだ。我々も度々調べたが、これだけの事実を積み上げられた例は無いのだ。心配するな。お前達に類は及ばぬ様に慎重に事を運ぶ。だから、今日を持って本件について“調べたり”“話したり”は一切禁ずる!いいな!知らぬ、存ぜぬ、で通せ!Y、署名して順番に全員に回せ。今から出席した者、全員の署名を取る。これは、秘密を守るための“宣誓書”の代わりになるモノだ。この書面を持って、ワシの言う事に同意したものとする!」全員が署名して先生の言葉を受け入れた。「Y、言うまでも無いが、お前達の手元にある証拠は確実に始末しろ!紙切れ1枚も残すな。お前が責任を持って廃棄しろ。それから、この場に赤坂は呼んでいないが、一応伊東達と打ち合わせて口を封じて置け。事実は“闇から闇”へ葬るんだ!僅かでも綻びがあれば、我々の動きに支障が生じる。多少面倒だが、しっかりと後始末を頼む!」中島先生は徹底して“後顧の憂い”を絶つ様に僕に念を押すのを忘れなかった。「はい、言われたことは確実に実行しますのでご安心下さい。これより以後は、出席者全員が本件にいて口を聞きませんし、話題として取り上げる事を差し控えます!」「よし!それでいい。Y、ご苦労だったな。結果は残念な方向へ向かわざるを得ないが、お前達の努力は無駄にはしない。伊東、クラス内を引き締めてまとめてくれ。Y達も協力して事に当たれ。話は以上だ。解散してよろしい!」僕等は無言で生物準備室を出た。明美先生からの連絡を受けた中島先生は、予定を切り上げて直ぐに静岡から学校へトンボ帰りを敢行した。本来なら明日になるはずだった報告を、今日の午後に繰り上げたのは“容易ならざる事実が判明した”と僕も自宅にかかって来た電話で話したからだった。「“中国大返し並みのトンボ帰り”をやってのけるとは、担任も相当な気合が入っているな。参謀長、どうやって焚き付けた?」長官が小声で聞いて来る。「事実を簡潔にまとめて言ったまでですよ。乗り気になったのは向こうです。“校長と善後策を早急に協議せねばならん”って言ってましたから、校長も居るのではないですかね?」「参謀長、証拠の隠滅はどうするんだ?」伊東が言う。「証拠って言っても長官と僕のノートぐらいしか残ってないから、廃棄するモノ自体が無いに等しい。長官と僕が表に出さなければ問題にはならないよ。みんなの記憶は消せないけど、箝口令が出てる以上は公の場では話せないから、それだけを注意すればいい。いずれにしても夏休み中だから、クラスの半分ぐらいしか夏期講習に来てない。知らない連中に話さない様にすれば、機密保持上の問題はクリアできるだろう?」僕は伊東に返した。「まあ、そうだな。大半の連中は知らないから、この中で隔離しちまえばいいか?!」「だけどよー、これからどうなるんだ?処分とかはあるのかよ?」竹ちゃんが不安そうに言う。「我々は処分の対象から外れた。大変なのは菊地嬢達や1期生、それに原田だろう。原田に打撃を与えられる意義は大きい!」長官が重々しく言った。僕等は教室へと戻って来た。午後3時を回っている。各自が帰り支度にかかった。
「ねえ、Y、菊地さんは何故失敗したの?あたし達イマイチ分からないんだけど」道子が代表して聞いて来る。「順序を追って説明するよ。取り敢えず外へ行こう」僕等は昇降口から外へ出た。いつもの通り隊列を組んで“大根坂”を下る。「まず、菊地孃には、いくつもの¨誤算¨があったからさ。最初は¨やり過ぎた¨事。これは赤坂君の成績を少し落とすつもりが、白紙答案を出すまで追い詰めてしまった。これでまず当初の目論見が狂った。次は、話が僕のところに持ち込まれて¨隠密行動で調査依頼¨が出た事。赤坂君本人が呼ばれて事情を聞かれる事無く、水面下で僕等が動いたから、彼女にすれば¨目に見える形¨で効果が確認できなかった。だから、攻撃目標を切り替えるタイミングを逸したし、なお悪い事に¨電話攻撃¨で予想外の出費がかさんでしまい¨資金力¨を削がれた。故に1期生に¨泣き付く¨ハメに陥った。そして、これは偶然でもあるけど、知らぬ間に¨堀を埋められて守備力を削がれた¨事。僕等のスパイ大作戦に寄って、決定的な証拠が炙り出された上に、資金不足に陥って攻撃力も削がれた。伊東にターゲットを移したものの、攻撃を継続的に実施する力はなくなった。その上、クラス男女相関図に決定的な¨見誤り¨があり、完全に行き詰まった。だから今回も策は外れ、自身の進退も危うい。残念ながら¨ゲームオーバー¨って訳!」「妙に権力に固執するからだ!自分で自分の首絞めてるんだからお笑いにもらなねぇっての!」竹ちゃんが吐き捨てるように言う。「確かにそうだな。彼女はどうしても“トップ”に立たないと気が済まない様だ。これまでも策を弄しては失敗し続けたが、今回ばかりは“タダでは済まない”理由がある」「Y、それってお金の事?」堀ちゃんが言う。「当たり。彼女が使った上納金は“不適切な資金”だから、当然訴追は免れないし言い訳も通じない。滝が偶然録った肉声で彼女はハッキリと言ってるしね。そう言えば滝!マスターテープはどうした?」「鞄の中に入ってるぜ!この様子じゃ放送室にも手が入るだろうと思ってな、持ち出して来てある。先生に出したのは“コピーのコピー”だから、後々まで残して置けるさ。もっとも、菊地嬢の首が繋がってればの話だが・・・」「それってどう言う意味?」雪枝が尋ねる。「運が悪ければ“退学”か、良くても“停学”は免れないって事。これだけ問題を起こしてる以上、何かしらの処分は決定的だ。ましてや、“使途不明金”を使い込んだんだ。今回ばかりは逃げられる訳が無い」僕がうつ向き加減で返した。「Y!落ち込むな。悪い事はしてない。むしろ人を助けた。胸を張れ!」さちは僕の頭を撫でる。「そうだよ!Yは先生の依頼を見事に果たした。誰も責めたりしない!」中島ちゃんも言ってくれる。「参謀長、結果はどうあれ、我々がやった事に間違いはない。要らぬ心配は無用。後は“正義の鉄槌”が下るのを待てばよい」長官も肩を叩いた。「しかし、やり切れませんね。結果はどう転んでだとしても、クラスメイトを裁くんですから気分の良いはずがありません!苦いお茶を飲んだ気分ですよ」こうして“事件”は学校に委ねられた。結論は、厳しかった。1期生のKと質の悪い左側の女は“退学”となり、菊地嬢は無期限の“停学”。グループの女子達も“厳重注意”と1週間の自宅待機に処された。1人、原田のみが無罪放免となった。原田は、Kの組織を乗っ取り“左側通行”のトップに君臨する事になった。規定路線は踏襲されたのだった。
お盆が明けて残暑の季節に入る頃、2学期が始まった。夏期講習の後、滝と僕は無事に“装置”を完成させて3組の教室へ密かに設置した。製作自体は難なく終えたが、微調整に大分手間取ったのは仕方なかった。試験段階では問題の出なかった“こもり音”に悩まされたのだ。「机上の計算通りには行かないさ。多少のズレは付きもの。想定の範囲内だ!」と滝は終始強気だったが、最後には妥協してケリが着いた。FMの周波数77MHzにセットすれば音は明瞭に拾えた。この“耳”は大いに役立ち、後々の作戦に貢献する事となる。始業式当日の朝、久々に自転車で“登頂”に挑んだが、あと少しのところで挫折した。息を切らせてへたり込んで居ると「Y-、大丈夫かー?」とさちの声がする。5人が並んで登って来る。さちはボトルを手に持って振っている。「おはようー!」2週間ぶりの再会だ。ハンカチで汗を拭いていると5人が追い付いて来てくれる。さちがボトルを額に当てて「水分摂りな!カラカラに乾いて飛んでいくよ!」と言う。「おーいー!待ってくれよー!」もう1人の声が追いかけて来る。竹ちゃんだ。汗だくで坂を駆け上って来る。「竹ちゃんこれ飲んで!」道子がボトルを差し出す。男子2名の給水タイムだ。息を整えてから昇降口を目指す。水道で顔を洗い直すとようやくシャンとした。「毎日登らねぇと体が言う事を聞かねぇ!」「同感だ!しかも、この暑さ。いい加減に涼しくなって欲しいな」朝から2人してヘバるとは何とも情けない。「参謀長、定期預金の利子(無期限停学の事)は聞いてるか?」「いや、今のところ何も聞いてない。マイナス金利だからな。満期がいつになるか?見当も付かないよ」「となると、事情を知らない連中に腹を探られるな。長官から何か情報は?」「特になし。“銀行”(学校)としても簡単に満期にはしないだろう。櫛の歯が欠けるのは仕方ないさ」僕等は教室へ向かいながら言う。ムッとする熱気が待ち構えていた。慌てて窓を全開にして風を通す。「いよいよ“委員長選挙”だが、今回は楽勝で久保田が勝てるな!」竹ちゃんが窓辺に立って言う。「ああ、対抗馬は出ない。波風を立てずに“禅譲”に持ち込める。唯一の問題は久保田のパートナーだが、笠原グループから推薦があるだろう。その辺は長官が水面下で動いてるよ」僕も風を背にして言う。「定期預金の件は担任からか?」「詳細は伏せるだろうが、ある程度の説明はあるだろう。でなきゃグループの欠席理由に尾ひれが付いて“暴走”しちまう。その辺のコントロールは、適当な線で誤魔化すだろう」僕等がそう言い合っていると、伊東と長官が現れた。直ぐに僕と竹ちゃんを手招きする。「参謀長、小佐野から情報が入った。原田が“委員長選挙”に立候補するらしいぞ!」長官が興奮して言う。「えっ!“大統領選挙(生徒会長)”まで表立って動かないはずでは?」僕も意外なニュースにハッとする。「それがな、定期預金の件で“実弾”を巻き上げられたのが影響してるらしい。ヤツとしては“実績”を積まなきゃならなくなったんだよ!」伊東が苦々しく言う。「なるほど、“実弾”を封印されたとなると“実績”は必須項目だな。2期の長期政権狙いか!?」「そうだ、そう来るとなると、久保田の補佐役に“劇薬”を用いねばならん!ヤツに振り回されぬ力量も兼ね備えた人物でなくては、建屋建設は難航する」長官の口ぶりからして僕はある人物を思い描いた。「まさかとは思いますが、小川千秋を起用するつもりですか?」「さすがだな。原田も千秋を心中では恐れている。“毒を以て毒を制す”の言葉通りそうするしかあるまい。伊東も必死に説得を試みた。そして、“我々4名が後ろ盾となる事”を条件にして承諾させた。無論、久保田の後ろ盾にも我々4名が立つのも1つの条件だが、順調に船出させるにはこれらをクリアしなくてはならん。参謀長、竹内、力添えを頼まれてくれぬか?」長官は僕と竹ちゃんを交互に見て言った。「やるしかありませんね。当面、大事は無さそうですから」「原田に対抗するなら、指をくわえて見てる訳にはいかねぇな。長官、乗ったぜ!」僕等は同意した。「済まんな、久保田と千秋の“操縦”は俺と長官が主に担当する。参謀長と竹ちゃんは“陰の実行部隊”として、今まで同様に網を張って情報を集めてくれ。特に、参謀長には担任との“連携”も兼ねてもらう。大変だが、宜しく頼むよ!」伊東が頭を下げた。「定期預金の支払いに銀行が応じなければ、大した問題は起こらない。むしろ、この間にやらなきゃならないのは、女子グループの“再編”を含む体制強化だろう?合併を含めた“再編”を加速させなくては、いつまでも火種は消せない。長官、笠原グループに手は回ってますか?」僕は懸念を投げかけた。「そうだ。千里への手回しはこれからだが、参謀長の言う事は確実に進めなくてはならん。切り崩し、引き抜き、吸収合併を千里へ早急に依頼する。参謀長のところはどうだ?」「直接抱えるとなるとキャパシティーをオーバーします。連立を組むのが最善ですが、後1つが限度ですね。現に有賀達を抱えてますから」僕も苦しい手の内を明かす。「うむ、真理子さん達との連立を模索してくれるか?それ以上となると、参謀長も動きにくくなるだろう。真理子さん側も内心はどこかと連立する意向はある様だから、レディ達と打ち合わせて見てくれ。その他は千里がカバーしてくれるだろう」長官の注文は厳しかったが、大魚が戻り暴れる前にクラスを平定せねばならない。「竹ちゃん、手を貸してくれ。こっちも指をくわえてばっかりでは、平和は訪れない。多分、中島ちゃん経由での工作になるから、目配りを頼む!」「了解だ!有賀は任せるが、真理子さん達は道子と見る手を考えよう」竹ちゃんも協力してくれることになった。「半月後には“新政権”の船出が控えておる。鬼の居ぬ間に手を尽くそう!」長官の言葉に3人が頷いた。こうして、“新政権”の発足の下打ち合わせは完了した。
その日の放課後、僕は中島ちゃんに「真理子さんのグループに繋ぎを付けて欲しい」と依頼を行った。「それはいいけど、Y、何を企んでるのよ?」と突っ込まれた。「そうよ!あたし達を差し置いて何を考えてるのよ?!」さちも怖い顔つきだ。「これも一重にクラスの平和のためさ。彼女達のグループは、今、宙に浮いてる。笠原グループとも定期預金とも距離を置いて、その都度態度を決めて来た経緯は知っての通り。“浮いた駒”を狙われたらこっちにも影響は少なからず出る。それならば、こっちへ引き込んで置くのは定石だろう?“連立”体制を作りたいだけだよ。有賀達みたいにね」僕は素直に言った。「つまり、“再編”を考えてるの?Y、小川さんのとこだって浮いてるじゃない?まさかとは思うけど、そっちとも“連立”するつもりなの?」道子が聞いて来る。「いや、小川グループは伊東と長官に委ねる。僕は真理子さん達との“連立”のみを進行させる。正直、これ以上は手を出すつもりは無い。僕等に有賀達と真理子さん達の集団を作れればいい。“連立”はするけど、干渉はしないし個別案件についてはその都度対応を協議する。有賀達との対応と同じだよ」「ふむ、それなら納得が行く。基本はあたし達5人でしょ?」雪枝が確認を入れる。「そう、指揮はこっちで執る。様は“鬼の居ぬ間に”体制を変えて置くためさ。無期限ではあるけど、いずれは“払い戻し”に応ずる事も考えると、現状のままって訳には行かない。笠原グループに対してアレルギーがありそうだから、少しでも影響が出ない範囲で体制を変えて行く。クラスの勢力バランスを今一度見直して、綻びを消してしまいたい。そうしないと“歴史は繰り返す”になってしまうし、また苦い思いはしたくないのが本音だよ」「Y、これ以上の拡大路線は取らないよね?」堀ちゃんが真顔で言う。「ああ、基本は6人+竹ちゃんの路線は維持するよ。今だってみんなの協力で成り立ってるんだ。この関係は変えるつもりは無い!僕の手はブッダの様に広くは無いし、慈悲の心も力も無い。だから手に余る様な真似はしない!」「だったら、話は簡単よ!真理ちゃん達だってこっちに関心を寄せてるし、Yとあたし達の関係を“羨ましい”ってずっと見てたから!1も2も無く乗って来ると思うよ!」中島ちゃんが断言する。「確か、真理ちゃんの誕生日ってYの誕生日と近くなかったかな?」堀ちゃんが少し思案に沈む。「そうだとすると同じ星座か?トップが親近感を持ってるなら、案外上手く行くかもね!」道子が言う。「あっ!思い出した!1日前だよ。だからYに関心があるんだ!」堀ちゃんが思い出した。「堀ちゃん、僕の誕生日の話、何で知れ渡ってる訳?」僕が意外な事態を問いただす。「だって、聞かれたのよー。“堀ちゃんなら知ってるでしょ?”って詰め寄られて・・・」「誰に?」「勿論、真理ちゃんに。結構関心持ってたよ」嫌な予感が背筋を伝う。「まさか、占いとかの材料にしてないよね?」僕は恐る恐る聞いた。「そこまでは確認してないの。でも、Yの誕生日と血液型は結構拡散してるよ。“以外だよねー”って答えが大半だけど」堀ちゃんが半分逃げつつ言う。「何が“以外だよねー”なのかは聞かない方がいいだろう。しかし、誰が広めたんだ?」と僕が問うと5人全員が手を挙げる。「分かった。もういい。これ以上突っ込んでも無駄らしい。中島ちゃん、真理子さんに打診してくれるかい?」「明日にでも聞いて見るよ。多分、OKするはず。そっちは任せて!」彼女は自信あり気に言う。恐らく交渉は成立するだろう。「Y、1つだけ言うぞ」さちが真顔で言う。「そなたは“ブッダの心”をちゃんと持って居る。そうでなければ、あたし達は付いて行かぬ。それを忘れるでない!」みんなを見る同じように眼で言っていた。優しいビーナスが5人。何と心強い事か。改めて思った。
瞬く間に9月に突入すると、無事に“政権交代”が行われ、久保田・小川コンビがクラスを牽引して行く事となった。“自宅待機”となっていた定期預金グループも復帰し、水面下では早速“組織再編”が進められた。僕等のグループは、真理子さん達のグループと有賀達のグループと“連立”を組んで、引き締めを進めた。「“放れ駒”を陣形に組み込んだのは大きい。参謀長、引き締めを怠るな!」長官は手を緩めず、千里を動かして定期預金グループからの切り崩し・引き抜き工作に余念がなかった。実際、トップを失っているのに加えて、自身に降りかかった“悪夢”から逃れる者が続出したため、手間取る事無く“再編”は一気に進んだ。男子達も積極的にクラスを変えようと動いていた。こちらは、伊東・小川コンビが久保田を動かして進めたので、案外順調に事は運んでいた。「風向きが変わったねー。本来有るべき姿にようやくたどり着いた感じ。このまま平和に過ごして行きたいよねー!」さちが隣でしみじみと言う。「ああ、やっと有るべき姿になったな。これまで本当に長かったから、余計にありがたみを実感するよ」僕も感慨ひとしおだった。「Y、真理ちゃんが呼んでるよー!」堀ちゃんが呼びかけて来る。「おー、何処に居る?」「廊下だよー」「はい、はい、真理子さんどうしました?」僕は廊下のロッカーの前へ急ぐ。「Y君、さっきの授業の“ビザンチン帝国”の首都の今の名前って何だっけ?」真理子さんが小首を傾げている。「イスタンブール。ボスポラス海峡に面した綺麗な街ですよ」僕は優しく答えた。彼女達のグループと連携する様になって半月あまり、有賀は相変わらず背後から“降りかかって来る”。赤坂とも繋がりが出来て僕等の周囲には、爽やかな風が吹き抜けていた。大きな問題も無くなり、みんな勉学と雑談と恋愛に励んでいた。席に戻ると「Y、放課後空いてる?」と雪枝が聞いて来る。「今日は大丈夫だ。どうしたの?」「また、日本史であやふやなとこがあるのよ。“補習”お願いしてもいい?」にわか煎餅が目の前に現れる。「OK、付き合うよ。他に面子は居るのかい?」僕は笑って引き受けた。「真理ちゃん達と中島ちゃんとさちだよ」「あやふやな部分はどこ?」「江戸時代全般。ちょっと広すぎる?」「いや、教科書に沿ってならカバー出来る。引き換えは英語のノートで手を打つがそれでいい?」「うん、用意しとくね。じゃあ宜しく!」雪枝は真理子さん達に報告に行った。「さち、どこが疑問点?」「享保の改革当たりかな?それと飢饉が何故頻発したのか?教科書には載ってないから聞きたい。Y、何故なのかな?」「放課後までに頭を整理して置かなきゃ!飢饉の事は“太陽活動”と関りがあるから昼休みに直接説明するよ」「“太陽活動”!?理科が関わって来るの?」さちも小首を傾げる。「意外だけど密接に関わりがあるんだ。ともかく、何が必要か吟味しなきゃならないな!」僕は教科書を開いて眼を通す。江戸時代に関わる記述と自身が知っている内容を突き合わせて、何を聞かれてもいいように組み立てて行く。「Yはいつも全力だね。だから、分かりやすいし教科書の裏も教えてくれるから、面白い“授業”になる。みんな愉しみにしてると思うぞ!」さちが頭を撫でる。「いつも、さちに助けられてるから、得意分野で返すのは当然だよ。だからこそ、手は抜かない。ありったけを出し切る。それが恩返しだろう?」「そうだね。あたし達はいつもそうやって来た。だから続いているのかもね。Y、頑張ろう!」さちの笑顔が眩しい。教室のあちこちで男女が話しているし、ふざけている。こんな“当たり前の光景”を手にするまで、僕等は随分と長い戦いを続けて来た。それだけに、こんな“当たり前”が壊れるのを極端に恐れた。情報によれば、銀行が払い戻しに応ずる気配は今のところ無い。定期預金は金庫に封印され続けている。だが、長官も僕も伊東も久保田も竹内も“いつか、この平和は崩れるかも知れない”と言う危機感を抱いていた。表だっては出さないが、非常に神経をすり減らして情報を分析し続けていた。今は無くても数か月か半年後には“大魚が暴れる”事態が必ず来ると読んでいた。だが、それを悟られてはならない。水面下の奥深くで密かに続いている“解約対策会議”では危機感を共有して、非常時の“対策”が幾重にも積み重なっていた。「油断は禁物。いつ、いかなる時も備えを怠るな!」と長官は鼓舞し続けていた。やがて現れる“災厄の日”。カウントダウンは始まっている。時の流れを止める事は出来ないし、留める事は不可能だ。だからこそ、僕は今を全力で駆け抜けようとした。焦燥感に駆られていたのかも知れない。実際、ゼロアワーは近づいていた。まだ、眼に見える形をなしてはいなかったが、襲い来る津波は確実に接近していたのだ。
「ねえ、Y、菊地さんは何故失敗したの?あたし達イマイチ分からないんだけど」道子が代表して聞いて来る。「順序を追って説明するよ。取り敢えず外へ行こう」僕等は昇降口から外へ出た。いつもの通り隊列を組んで“大根坂”を下る。「まず、菊地孃には、いくつもの¨誤算¨があったからさ。最初は¨やり過ぎた¨事。これは赤坂君の成績を少し落とすつもりが、白紙答案を出すまで追い詰めてしまった。これでまず当初の目論見が狂った。次は、話が僕のところに持ち込まれて¨隠密行動で調査依頼¨が出た事。赤坂君本人が呼ばれて事情を聞かれる事無く、水面下で僕等が動いたから、彼女にすれば¨目に見える形¨で効果が確認できなかった。だから、攻撃目標を切り替えるタイミングを逸したし、なお悪い事に¨電話攻撃¨で予想外の出費がかさんでしまい¨資金力¨を削がれた。故に1期生に¨泣き付く¨ハメに陥った。そして、これは偶然でもあるけど、知らぬ間に¨堀を埋められて守備力を削がれた¨事。僕等のスパイ大作戦に寄って、決定的な証拠が炙り出された上に、資金不足に陥って攻撃力も削がれた。伊東にターゲットを移したものの、攻撃を継続的に実施する力はなくなった。その上、クラス男女相関図に決定的な¨見誤り¨があり、完全に行き詰まった。だから今回も策は外れ、自身の進退も危うい。残念ながら¨ゲームオーバー¨って訳!」「妙に権力に固執するからだ!自分で自分の首絞めてるんだからお笑いにもらなねぇっての!」竹ちゃんが吐き捨てるように言う。「確かにそうだな。彼女はどうしても“トップ”に立たないと気が済まない様だ。これまでも策を弄しては失敗し続けたが、今回ばかりは“タダでは済まない”理由がある」「Y、それってお金の事?」堀ちゃんが言う。「当たり。彼女が使った上納金は“不適切な資金”だから、当然訴追は免れないし言い訳も通じない。滝が偶然録った肉声で彼女はハッキリと言ってるしね。そう言えば滝!マスターテープはどうした?」「鞄の中に入ってるぜ!この様子じゃ放送室にも手が入るだろうと思ってな、持ち出して来てある。先生に出したのは“コピーのコピー”だから、後々まで残して置けるさ。もっとも、菊地嬢の首が繋がってればの話だが・・・」「それってどう言う意味?」雪枝が尋ねる。「運が悪ければ“退学”か、良くても“停学”は免れないって事。これだけ問題を起こしてる以上、何かしらの処分は決定的だ。ましてや、“使途不明金”を使い込んだんだ。今回ばかりは逃げられる訳が無い」僕がうつ向き加減で返した。「Y!落ち込むな。悪い事はしてない。むしろ人を助けた。胸を張れ!」さちは僕の頭を撫でる。「そうだよ!Yは先生の依頼を見事に果たした。誰も責めたりしない!」中島ちゃんも言ってくれる。「参謀長、結果はどうあれ、我々がやった事に間違いはない。要らぬ心配は無用。後は“正義の鉄槌”が下るのを待てばよい」長官も肩を叩いた。「しかし、やり切れませんね。結果はどう転んでだとしても、クラスメイトを裁くんですから気分の良いはずがありません!苦いお茶を飲んだ気分ですよ」こうして“事件”は学校に委ねられた。結論は、厳しかった。1期生のKと質の悪い左側の女は“退学”となり、菊地嬢は無期限の“停学”。グループの女子達も“厳重注意”と1週間の自宅待機に処された。1人、原田のみが無罪放免となった。原田は、Kの組織を乗っ取り“左側通行”のトップに君臨する事になった。規定路線は踏襲されたのだった。
お盆が明けて残暑の季節に入る頃、2学期が始まった。夏期講習の後、滝と僕は無事に“装置”を完成させて3組の教室へ密かに設置した。製作自体は難なく終えたが、微調整に大分手間取ったのは仕方なかった。試験段階では問題の出なかった“こもり音”に悩まされたのだ。「机上の計算通りには行かないさ。多少のズレは付きもの。想定の範囲内だ!」と滝は終始強気だったが、最後には妥協してケリが着いた。FMの周波数77MHzにセットすれば音は明瞭に拾えた。この“耳”は大いに役立ち、後々の作戦に貢献する事となる。始業式当日の朝、久々に自転車で“登頂”に挑んだが、あと少しのところで挫折した。息を切らせてへたり込んで居ると「Y-、大丈夫かー?」とさちの声がする。5人が並んで登って来る。さちはボトルを手に持って振っている。「おはようー!」2週間ぶりの再会だ。ハンカチで汗を拭いていると5人が追い付いて来てくれる。さちがボトルを額に当てて「水分摂りな!カラカラに乾いて飛んでいくよ!」と言う。「おーいー!待ってくれよー!」もう1人の声が追いかけて来る。竹ちゃんだ。汗だくで坂を駆け上って来る。「竹ちゃんこれ飲んで!」道子がボトルを差し出す。男子2名の給水タイムだ。息を整えてから昇降口を目指す。水道で顔を洗い直すとようやくシャンとした。「毎日登らねぇと体が言う事を聞かねぇ!」「同感だ!しかも、この暑さ。いい加減に涼しくなって欲しいな」朝から2人してヘバるとは何とも情けない。「参謀長、定期預金の利子(無期限停学の事)は聞いてるか?」「いや、今のところ何も聞いてない。マイナス金利だからな。満期がいつになるか?見当も付かないよ」「となると、事情を知らない連中に腹を探られるな。長官から何か情報は?」「特になし。“銀行”(学校)としても簡単に満期にはしないだろう。櫛の歯が欠けるのは仕方ないさ」僕等は教室へ向かいながら言う。ムッとする熱気が待ち構えていた。慌てて窓を全開にして風を通す。「いよいよ“委員長選挙”だが、今回は楽勝で久保田が勝てるな!」竹ちゃんが窓辺に立って言う。「ああ、対抗馬は出ない。波風を立てずに“禅譲”に持ち込める。唯一の問題は久保田のパートナーだが、笠原グループから推薦があるだろう。その辺は長官が水面下で動いてるよ」僕も風を背にして言う。「定期預金の件は担任からか?」「詳細は伏せるだろうが、ある程度の説明はあるだろう。でなきゃグループの欠席理由に尾ひれが付いて“暴走”しちまう。その辺のコントロールは、適当な線で誤魔化すだろう」僕等がそう言い合っていると、伊東と長官が現れた。直ぐに僕と竹ちゃんを手招きする。「参謀長、小佐野から情報が入った。原田が“委員長選挙”に立候補するらしいぞ!」長官が興奮して言う。「えっ!“大統領選挙(生徒会長)”まで表立って動かないはずでは?」僕も意外なニュースにハッとする。「それがな、定期預金の件で“実弾”を巻き上げられたのが影響してるらしい。ヤツとしては“実績”を積まなきゃならなくなったんだよ!」伊東が苦々しく言う。「なるほど、“実弾”を封印されたとなると“実績”は必須項目だな。2期の長期政権狙いか!?」「そうだ、そう来るとなると、久保田の補佐役に“劇薬”を用いねばならん!ヤツに振り回されぬ力量も兼ね備えた人物でなくては、建屋建設は難航する」長官の口ぶりからして僕はある人物を思い描いた。「まさかとは思いますが、小川千秋を起用するつもりですか?」「さすがだな。原田も千秋を心中では恐れている。“毒を以て毒を制す”の言葉通りそうするしかあるまい。伊東も必死に説得を試みた。そして、“我々4名が後ろ盾となる事”を条件にして承諾させた。無論、久保田の後ろ盾にも我々4名が立つのも1つの条件だが、順調に船出させるにはこれらをクリアしなくてはならん。参謀長、竹内、力添えを頼まれてくれぬか?」長官は僕と竹ちゃんを交互に見て言った。「やるしかありませんね。当面、大事は無さそうですから」「原田に対抗するなら、指をくわえて見てる訳にはいかねぇな。長官、乗ったぜ!」僕等は同意した。「済まんな、久保田と千秋の“操縦”は俺と長官が主に担当する。参謀長と竹ちゃんは“陰の実行部隊”として、今まで同様に網を張って情報を集めてくれ。特に、参謀長には担任との“連携”も兼ねてもらう。大変だが、宜しく頼むよ!」伊東が頭を下げた。「定期預金の支払いに銀行が応じなければ、大した問題は起こらない。むしろ、この間にやらなきゃならないのは、女子グループの“再編”を含む体制強化だろう?合併を含めた“再編”を加速させなくては、いつまでも火種は消せない。長官、笠原グループに手は回ってますか?」僕は懸念を投げかけた。「そうだ。千里への手回しはこれからだが、参謀長の言う事は確実に進めなくてはならん。切り崩し、引き抜き、吸収合併を千里へ早急に依頼する。参謀長のところはどうだ?」「直接抱えるとなるとキャパシティーをオーバーします。連立を組むのが最善ですが、後1つが限度ですね。現に有賀達を抱えてますから」僕も苦しい手の内を明かす。「うむ、真理子さん達との連立を模索してくれるか?それ以上となると、参謀長も動きにくくなるだろう。真理子さん側も内心はどこかと連立する意向はある様だから、レディ達と打ち合わせて見てくれ。その他は千里がカバーしてくれるだろう」長官の注文は厳しかったが、大魚が戻り暴れる前にクラスを平定せねばならない。「竹ちゃん、手を貸してくれ。こっちも指をくわえてばっかりでは、平和は訪れない。多分、中島ちゃん経由での工作になるから、目配りを頼む!」「了解だ!有賀は任せるが、真理子さん達は道子と見る手を考えよう」竹ちゃんも協力してくれることになった。「半月後には“新政権”の船出が控えておる。鬼の居ぬ間に手を尽くそう!」長官の言葉に3人が頷いた。こうして、“新政権”の発足の下打ち合わせは完了した。
その日の放課後、僕は中島ちゃんに「真理子さんのグループに繋ぎを付けて欲しい」と依頼を行った。「それはいいけど、Y、何を企んでるのよ?」と突っ込まれた。「そうよ!あたし達を差し置いて何を考えてるのよ?!」さちも怖い顔つきだ。「これも一重にクラスの平和のためさ。彼女達のグループは、今、宙に浮いてる。笠原グループとも定期預金とも距離を置いて、その都度態度を決めて来た経緯は知っての通り。“浮いた駒”を狙われたらこっちにも影響は少なからず出る。それならば、こっちへ引き込んで置くのは定石だろう?“連立”体制を作りたいだけだよ。有賀達みたいにね」僕は素直に言った。「つまり、“再編”を考えてるの?Y、小川さんのとこだって浮いてるじゃない?まさかとは思うけど、そっちとも“連立”するつもりなの?」道子が聞いて来る。「いや、小川グループは伊東と長官に委ねる。僕は真理子さん達との“連立”のみを進行させる。正直、これ以上は手を出すつもりは無い。僕等に有賀達と真理子さん達の集団を作れればいい。“連立”はするけど、干渉はしないし個別案件についてはその都度対応を協議する。有賀達との対応と同じだよ」「ふむ、それなら納得が行く。基本はあたし達5人でしょ?」雪枝が確認を入れる。「そう、指揮はこっちで執る。様は“鬼の居ぬ間に”体制を変えて置くためさ。無期限ではあるけど、いずれは“払い戻し”に応ずる事も考えると、現状のままって訳には行かない。笠原グループに対してアレルギーがありそうだから、少しでも影響が出ない範囲で体制を変えて行く。クラスの勢力バランスを今一度見直して、綻びを消してしまいたい。そうしないと“歴史は繰り返す”になってしまうし、また苦い思いはしたくないのが本音だよ」「Y、これ以上の拡大路線は取らないよね?」堀ちゃんが真顔で言う。「ああ、基本は6人+竹ちゃんの路線は維持するよ。今だってみんなの協力で成り立ってるんだ。この関係は変えるつもりは無い!僕の手はブッダの様に広くは無いし、慈悲の心も力も無い。だから手に余る様な真似はしない!」「だったら、話は簡単よ!真理ちゃん達だってこっちに関心を寄せてるし、Yとあたし達の関係を“羨ましい”ってずっと見てたから!1も2も無く乗って来ると思うよ!」中島ちゃんが断言する。「確か、真理ちゃんの誕生日ってYの誕生日と近くなかったかな?」堀ちゃんが少し思案に沈む。「そうだとすると同じ星座か?トップが親近感を持ってるなら、案外上手く行くかもね!」道子が言う。「あっ!思い出した!1日前だよ。だからYに関心があるんだ!」堀ちゃんが思い出した。「堀ちゃん、僕の誕生日の話、何で知れ渡ってる訳?」僕が意外な事態を問いただす。「だって、聞かれたのよー。“堀ちゃんなら知ってるでしょ?”って詰め寄られて・・・」「誰に?」「勿論、真理ちゃんに。結構関心持ってたよ」嫌な予感が背筋を伝う。「まさか、占いとかの材料にしてないよね?」僕は恐る恐る聞いた。「そこまでは確認してないの。でも、Yの誕生日と血液型は結構拡散してるよ。“以外だよねー”って答えが大半だけど」堀ちゃんが半分逃げつつ言う。「何が“以外だよねー”なのかは聞かない方がいいだろう。しかし、誰が広めたんだ?」と僕が問うと5人全員が手を挙げる。「分かった。もういい。これ以上突っ込んでも無駄らしい。中島ちゃん、真理子さんに打診してくれるかい?」「明日にでも聞いて見るよ。多分、OKするはず。そっちは任せて!」彼女は自信あり気に言う。恐らく交渉は成立するだろう。「Y、1つだけ言うぞ」さちが真顔で言う。「そなたは“ブッダの心”をちゃんと持って居る。そうでなければ、あたし達は付いて行かぬ。それを忘れるでない!」みんなを見る同じように眼で言っていた。優しいビーナスが5人。何と心強い事か。改めて思った。
瞬く間に9月に突入すると、無事に“政権交代”が行われ、久保田・小川コンビがクラスを牽引して行く事となった。“自宅待機”となっていた定期預金グループも復帰し、水面下では早速“組織再編”が進められた。僕等のグループは、真理子さん達のグループと有賀達のグループと“連立”を組んで、引き締めを進めた。「“放れ駒”を陣形に組み込んだのは大きい。参謀長、引き締めを怠るな!」長官は手を緩めず、千里を動かして定期預金グループからの切り崩し・引き抜き工作に余念がなかった。実際、トップを失っているのに加えて、自身に降りかかった“悪夢”から逃れる者が続出したため、手間取る事無く“再編”は一気に進んだ。男子達も積極的にクラスを変えようと動いていた。こちらは、伊東・小川コンビが久保田を動かして進めたので、案外順調に事は運んでいた。「風向きが変わったねー。本来有るべき姿にようやくたどり着いた感じ。このまま平和に過ごして行きたいよねー!」さちが隣でしみじみと言う。「ああ、やっと有るべき姿になったな。これまで本当に長かったから、余計にありがたみを実感するよ」僕も感慨ひとしおだった。「Y、真理ちゃんが呼んでるよー!」堀ちゃんが呼びかけて来る。「おー、何処に居る?」「廊下だよー」「はい、はい、真理子さんどうしました?」僕は廊下のロッカーの前へ急ぐ。「Y君、さっきの授業の“ビザンチン帝国”の首都の今の名前って何だっけ?」真理子さんが小首を傾げている。「イスタンブール。ボスポラス海峡に面した綺麗な街ですよ」僕は優しく答えた。彼女達のグループと連携する様になって半月あまり、有賀は相変わらず背後から“降りかかって来る”。赤坂とも繋がりが出来て僕等の周囲には、爽やかな風が吹き抜けていた。大きな問題も無くなり、みんな勉学と雑談と恋愛に励んでいた。席に戻ると「Y、放課後空いてる?」と雪枝が聞いて来る。「今日は大丈夫だ。どうしたの?」「また、日本史であやふやなとこがあるのよ。“補習”お願いしてもいい?」にわか煎餅が目の前に現れる。「OK、付き合うよ。他に面子は居るのかい?」僕は笑って引き受けた。「真理ちゃん達と中島ちゃんとさちだよ」「あやふやな部分はどこ?」「江戸時代全般。ちょっと広すぎる?」「いや、教科書に沿ってならカバー出来る。引き換えは英語のノートで手を打つがそれでいい?」「うん、用意しとくね。じゃあ宜しく!」雪枝は真理子さん達に報告に行った。「さち、どこが疑問点?」「享保の改革当たりかな?それと飢饉が何故頻発したのか?教科書には載ってないから聞きたい。Y、何故なのかな?」「放課後までに頭を整理して置かなきゃ!飢饉の事は“太陽活動”と関りがあるから昼休みに直接説明するよ」「“太陽活動”!?理科が関わって来るの?」さちも小首を傾げる。「意外だけど密接に関わりがあるんだ。ともかく、何が必要か吟味しなきゃならないな!」僕は教科書を開いて眼を通す。江戸時代に関わる記述と自身が知っている内容を突き合わせて、何を聞かれてもいいように組み立てて行く。「Yはいつも全力だね。だから、分かりやすいし教科書の裏も教えてくれるから、面白い“授業”になる。みんな愉しみにしてると思うぞ!」さちが頭を撫でる。「いつも、さちに助けられてるから、得意分野で返すのは当然だよ。だからこそ、手は抜かない。ありったけを出し切る。それが恩返しだろう?」「そうだね。あたし達はいつもそうやって来た。だから続いているのかもね。Y、頑張ろう!」さちの笑顔が眩しい。教室のあちこちで男女が話しているし、ふざけている。こんな“当たり前の光景”を手にするまで、僕等は随分と長い戦いを続けて来た。それだけに、こんな“当たり前”が壊れるのを極端に恐れた。情報によれば、銀行が払い戻しに応ずる気配は今のところ無い。定期預金は金庫に封印され続けている。だが、長官も僕も伊東も久保田も竹内も“いつか、この平和は崩れるかも知れない”と言う危機感を抱いていた。表だっては出さないが、非常に神経をすり減らして情報を分析し続けていた。今は無くても数か月か半年後には“大魚が暴れる”事態が必ず来ると読んでいた。だが、それを悟られてはならない。水面下の奥深くで密かに続いている“解約対策会議”では危機感を共有して、非常時の“対策”が幾重にも積み重なっていた。「油断は禁物。いつ、いかなる時も備えを怠るな!」と長官は鼓舞し続けていた。やがて現れる“災厄の日”。カウントダウンは始まっている。時の流れを止める事は出来ないし、留める事は不可能だ。だからこそ、僕は今を全力で駆け抜けようとした。焦燥感に駆られていたのかも知れない。実際、ゼロアワーは近づいていた。まだ、眼に見える形をなしてはいなかったが、襲い来る津波は確実に接近していたのだ。
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